データベース『えひめの記憶』
今治市
大沢常右衛門(1801〜1865)
塩業改良家。芸州加茂郡三津村(現広島県豊田郡安芸津町)で享和元年12月26日に生まれ、文化10年父宣明と共に野間郡波止浜に来住し、製塩業に従事した。天保4年改庄屋格を許された。幼名梅吉、宇子照、諱宣義、晩年六兵衛と改めた。俳号淡水。天保5年大浦と赤崎に塩田2軒を増築、この頃、塩田増加による塩価低落の対策のため、三八法(操業条件の良い3~8月に稼業し冬季は休業する)を考案し、播州、備前、讃州などの同業者を説いて協力を得た。また天保後期以降衰微した波止浜塩田を、撒砂の方法や経営を改善して危機を救った。同業者は彼の努力に感じ、弘化4年塩田2軒を贈ったがうけず、共有塩田に寄付した。常右衛門は終始塩業の繁栄のみに意を用い、貧民をよく救助したため、松山藩からも度々表彰された。特に嘉永7年には郷士とし三人扶持を与えられた。慶応元年6月9日、自宅で63歳で病没、墓は波止浜瑞光寺にある。永寿院実道良義居士。なお塩業改良の功によって明治32年愛媛県知事より、翌年農商務大臣より、金50円を贈られて追賞を受けた。(『愛媛県史 人物』より)