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今治市

江嶋為信(1635~1695)

 江戸時代前期の今治藩家老。作家。俳人。兵学者。寛永12(1635)年日向国(現、宮崎県)飫肥(おび)藩士の海老原為頼の三男として生まれた。通称三左衛門、後に長左衛門に改め、松風軒、山水と号した。京都に上り伊藤玄亀(いとうげんき)に兵学を、さらに江戸に遊学して古文辞学を荻生徂徠(おぎゅうそらい)について修得した。寛文8(1668)年、今治藩士・小泉三右衛門の推挙によって、今治藩に迎えられ、松平家初代藩主・定房、第二代藩主・定時、第三代藩主・定陳(さだのぶ)に仕えた。南朝の忠臣・脇屋義助(新田義貞の弟)の逝去した国分寺畔に墓碑を造営して、その忠節を顕彰した。また『新田系譜』1巻を編集し、同氏の事績を明瞭にし、貞享元(1684)年、定陳にも進講し、同藩の文運の振興に努めた。為信は累進して家老となり、俸禄500石を給与された。文才にも長じ、俳諧を西山宗因に学び、俳人としても名を知られた。元禄8(1695)年、61歳で逝去した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 江嶋為信墓所:海禅寺裏山墓地(今治市山方町、県立今治北高等学校南側)

【脇屋義助公廟堂について】
 現在の義助公の廟堂は、寛文9(1669)年今治藩士町野政貞らが再建したものである。また、廟堂の脇には、今治藩の儒学者佐伯惟忠が建てた表中碑(写真④)があり、貝原益軒の讃文を刻んでいる。(今治市教育委員会が設置した説明板より)


①脇屋義助公之廟Ⅰ

①脇屋義助公之廟Ⅰ

今治市国分4丁目4-65

②脇屋義助公之廟Ⅱ

②脇屋義助公之廟Ⅱ

今治市国分4丁目4-65

③脇屋義助公之廟Ⅲ

③脇屋義助公之廟Ⅲ

今治市国分4丁目4-65

④脇屋義助公之廟Ⅳ

④脇屋義助公之廟Ⅳ

今治市国分4丁目4-65