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西条市

久米栄太郎(1872~1947)

 栄太郎は地主・米穀商の貴族議員唯次の長男として明治5年9月3日禎瑞高丸で出生。山林業を興し600町歩の山林を購入し、農地を朝鮮(韓国)に拡大して久米家繁栄の基礎を築く。
 明治26年頃から明治末頃まで続いた「葛藤事件」で自家の米倉を解放し禎瑞住民を飢餓から救い、優秀な農業後継者の育成のため「禎瑞青年農志会」を設立し主催。
 大正2年に農業資材等の一括購入・農産物の一括販売のため「有限責任禎瑞信用購買販売組合」(現農協)を設立し、無報酬で組合長となり、私費で事務所兼農業資材・日用雑貨の販売所等を建築。
 大正7年に米穀の高騰を待って販売する貯蔵用倉庫を、日本で最初に下組と高丸に建築し、禎瑞住民の農業経営の増収を計った。
 大正12年から3年間私費で広島県の技師を招聘し海苔の人工養殖技術を導入し、製品の販路を浅草に開拓し住民の経済を豊かにした。「禎瑞小学校」の校舎の増改築、児童文庫等教材の寄付。「妹背川橋」(現「加茂橋」)が台風で流失し児童2名が水死したとき花崗岩の強固な橋を架橋して寄付。
 昭和3年「禎瑞小作人組合」が旧藩主から禎瑞を38万5,000円、同組合の法的無知に乗じた実質49万5,466円(現価495億4,660万円)で購入した時、勧銀から26万円(現価260億円)を借入する際連帯保証をし、返済の指導及び未納者25名の債務を肩代わりして約定より10年早い昭和16年秋に借入金の元利合計44万4,583円(同444億5,830万円)を完済し、禎瑞は晴れて禎瑞住民の私有地となった「禎瑞新田解放の父」である。
 昭和22年2月25日72歳で病没。(『久米栄太郎之像付近の解説板』より)

【追記】
 この銅像は、平成17年10月9日に西条市禎瑞高丸一番地に建立された。




①久米栄太郎之像

①久米栄太郎之像

西条市禎瑞(産業道路バイパス沿い、西条市石井記念公園付近)