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西条市

森田恭平(1874~1949)

 実業家。森田家は小松藩成立後の地元採用の下級武士格として、町方を兼ねて古くから勘定方を務め、中でも森田五右衛門明正(代官兼浦奉行)は幕府測量御用伊能忠敬を藩侯の代理としてお迎えし、測量にも随行している。
 森田恭平は、森田五右衛門正憲(明正の孫に当たる)の子保之助に跡継ぎがなかったので、西条朔日市木村家(当時近江屋 古川呉服店)から迎えられた人である。慶応義塾で福沢諭吉に師事したが、養父保之助からの要請で卒業3か月前に中退を決意し、地元小松に戻った。
 小松は加茂川と中山川の水利の恩恵をあまり受けない場所に立地しており、近くに中山川を望みながら雑穀を主作としなければならない地域が多く、ため池の築造は多くの人々が望むところであった。帰郷後、人々の希望を叶えたいとの大志を抱き、大正3年に大谷池の築造にとりかかり,苦心を重ねて大正5年に完成し、水田開発に大きく貢献した。その功績は大谷池堤に頌徳碑が建てられていることからも明らかである。
 その他土本事業の完成にともなう失業救済のための小松製布(株)の創設、西条銀行の取締役として複式簿記の採用、住友製錬の煙害専門委員や農地の耕地整理、予讃線伊予小松駅誘致に尽力するなど、農業や金融・産業など各方面において地域の発展に貢献した。また、囲碁、将棋、茶、油絵など趣味も多かった。
(『愛媛県史 人物』、『愛媛篤農伝』および関係者からの提供資料をもとに記述)

【追記】
 大谷池は完成当時、堤高29m、堤長220m、貯水量約103万tで、県内最大のため池だった。平成28年3月27日、大谷池築造100周年記念に」郷土の偉人を顕彰しようと新たな顕彰碑が建立され、完成記念式典が行われた。
(『愛媛新聞(平成28年3月29日)』の記事をもとに記述)

①森田恭平翁頌徳碑・顕彰碑

①森田恭平翁頌徳碑・顕彰碑

西条市小松町南川(大谷池付近)

②現在の大谷池(奥に松山自動車道が見える)

②現在の大谷池(奥に松山自動車道が見える)

西条市小松町南川