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新居浜市

近藤浪太郎(1885~1969)

 明治18年5月28日垣生村の篤農家近藤吉蔵の長男として生まれた。生来の温厚篤実さと強い信念とを持って土に生き、精魂を傾けて農事の研究にはげみ、体験を積みかさねての研究であったが、常に謙虚な態度で達観していた。しかし農事に関しては、積極的な指導力を発揮し、生涯を通じてただ一すじに地方農業の発展につくした。時の雑誌『農業』で全国に紹介せられ普及した独創的な苗代の改革を始め、その業績は極めて多岐に亘り、昭和5年大日本農会総裁から農村施設経営、農事改良の奨励及び実行の功績顕著として名誉表彰を受けたほか、農業及び農事に関し各界から数多くの表彰を受け、昭和38年には黄綬褒章を、さらに昭和41年には勲六等単光旭日章を授けられた。
 大正8年村農会長に就任以来昭和23年の農業会解散まで実に30年の長期に亘り歴任し、死後に至るもなお「農会長」の敬称で地方の人々に親しまれている。
 「土を愛する友を誘い、土を愛する友と語らいながら土を養いつつ作物を育て、家畜を育て、土にひそむ万物の根元を究める仕事が百生(百姓)で、産土(うぶすな)の道は遠大で限りがない。此の遠い旅路が生涯であり、楽しみである。」と語り百姓魂の失われていくのを憂いながら昭和44年4月22日85歳の天寿を終えた。地方農民の建立による近藤浪太郎顕彰碑がその生地垣生小学校の校門前にある。(『新居浜市史』より)

【追記】
近藤浪太郎顕彰碑は、現在垣生公民館付近にある。

①近藤浪太郎翁顕彰之碑Ⅰ

①近藤浪太郎翁顕彰之碑Ⅰ

新居浜市垣生2丁目12-26(垣生公民館南側)

②近藤浪太郎翁顕彰之碑Ⅱ

②近藤浪太郎翁顕彰之碑Ⅱ

新居浜市垣生2丁目12-26(垣生公民館南側)

③近藤浪太郎翁顕彰之碑Ⅲ

③近藤浪太郎翁顕彰之碑Ⅲ

新居浜市垣生2丁目12-26(垣生公民館南側)