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新居浜市

青木刑部

 天正13年7月、豊臣秀吉の四国征伐、いわゆる天正の陣において小早川隆景の軍勢が金子城に押し寄せたとき、政枝も戦場となり、何百人もの人が亡くなったと伝えられているが、当時金子城随一の豪将として名高き青木刑部は、持病の喘息を物ともせず、折からの増水した金子川を渡り政枝を見廻中、敵と遭遇し激しい戦いの最中に喘息の発作が起き、敵に深手を負わされ、これが元で亡くなったと伝えられている。当時の政枝の住民は青木刑部の菩提を弔う為に供養塔を建立して霊を慰めた。其の後大正12年、信仰厚い政枝の23名の篤信者が周囲の土地を購入し、社殿を建て、青木刑部を祭神として祀り、呼名を青木神社と定めた。
 後の世の人が、神社の祭神に畏敬の念を表し、心をこめて祈れば、必ず治るという霊験が人々の口伝えに拡がり、喘息、咳に悩む人の参拝が絶えない。(青木神社の由来より)

①青木神社

①青木神社

新居浜市政枝町1丁目(国鉄新居浜駅連絡船跡沿い)