データベース『えひめの記憶』
久万町誌
2 伝染病
終戦後は、医薬、医術の急激な進歩と相まって、国民健康保健制度が普及し、住民の衛生思想も向上して、二〇年も増すにいたった。文化水準の上昇に比例して町外はもちろん、県外、国外との交流も激しく伝染病は年々あとをたたない。昭和二二年の天然痘疑似病や、日本脳炎、猖紅熱の各一件と二九年の猖紅熱一件の他は、赤痢、ジフテリア、腸チフスの三病がおもなものとなっている。毎年発生をみていたジフテリアも、昭和二六年までであり、腸チフスについても同年を最後として一件も発生していない。これは、予防接種が徹底して行われていることによるものである。赤痢は、年々相当数の発生をみ、町でも衛生部門は総力をあげて防疫対策を講じている。しかしながら他の伝染病皆無の時代に、赤痢だけが撲滅できないことは残念であったが、住民の環境衛生に対する意識の向上と相まって、昭和五一年度を最後に伝染病は発生していない。
その他の伝染性病気として呼吸器系の結核がある。昭和二四、二五年ころまでは、不治の病といわれ、この病に取りつかれたが最後、家も財産も、家族までも失うとされ、人々より忌みきらわれていた。しかし、時代は変わり医術の進歩もあって、今日では難病とも思われなくなり、死亡者についてもごく少数に限られるようになった。