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久万町誌

1 日本の政治倫理化運動の歴史

 日本に近代的政治制度が導入されたのは明治以降であるが、政治腐敗の体質は江戸時代から引き継がれて今日に至っている。政治の歴史は、政治汚職や疑獄によって堪え難いほど汚されてきた。
 しかし、汚職や疑獄がいつも公然とまかり通っていたわけではなく、あの田沼意次も、民衆の批判の声の中で失脚させられたし、忠臣蔵でも、賄賂の問題が吉良上野介の悪役に重要なモチーフになっている。
 明治になっても、汚職事件は大きな政治や政界への批判の材料となっている。中でも明治一四年に起きた北海道開拓使庁の官有物払下げ事件は、政変に発展し、明治三五年の教科書疑獄、同じく四三年には日糖疑獄と続く。昭和に入ってからも、三年の売勲事件、二三年に昭電疑獄、昭和二八年に保全経済会事件、造船疑獄、昭和四〇年に吹原産業事件、共和製糖の黒い霧事件、昭和五一年のロッキード疑獄、リクルート疑惑事件は、政官界を巻き込んだ事件となり、国民のいかりをかっている。
 このほかにも、選挙や、政治にからんだ事件は数多くあるが、これらはいずれも、選挙のあり方に、選挙を行う人にあるといわれている。
 戦後、日本の民主化の一つに、婦人参政権と選挙権年齢二〇歳への引き下げが実現し、完全普通選挙制度が生まれたことがあげられる。
 昭和二一年一一月三日、国民主権を規定した新憲法が公布され、昭和二二年五月三日から施行された。選挙は、国民の主権の行使として、重要な意味を持つものである。しかし、選挙の実態は戦前とあまり変わりなく、昭和二三年七月、政治の浄化を目的とした政治資金規制法が制定された。
 これもあまり実効はなく、昭和二六年の第二回統一地方選挙では、買収だけで六万人ちかい違反者を出し、国民から厳しい批判と反省の声が上がってきた。こうした中で、選挙浄化の運動を進めようという動きが見られ、昭和二七年六月四日、民間団体として、「公明選挙連盟」が設立された。このような動きに呼応して、朝日、毎日、読売三紙が次のような共同宣言を行っている。
     「公明選挙を推進する」
   『独立に当たって、民主政治を確立することが何より大切であるが、その仕事は我々国民にゆだねられている。国民の手で民主政治を達成するには、まず公明な選挙かその始まりである。
   今まで行われた選挙の実情は、遺憾ながら金力による、あるいは情実に流れる選挙や違反の多いこと、驚くべきものがある。現に来るべき衆議院議員総選挙に対し、全国的に行われている事前運動は、はなはだしい乱脈ぶりを示している。これでは日本の民主化はとうてい覚束ない。
   この際選挙を正しくするために、毎日、朝日、読売の三新聞社は、共同して、紙面を通じ、あるいは他の適当な方法で、一大国民運動を展開する』
 こうした民間の動きの中で、中央政治管理会でも「公明選挙運動実施要項」を定め、国会でも「公明選挙に関する決議」を可決。政府も「選挙の公明化運動に関する件」を閣議決定。ここに官民一体の公明選挙運動の足なみがそろうことになる。
 この公明選挙運動の中核的存在となった公明選挙連盟は、当面昭和二七年の総選挙を対象として結成されたのであるが、選挙後この組織の恒久化が強く要請され、昭和ニ七年一二月に財団法人として設立された。その後、公明選挙連盟が中心となり、選挙啓発、政治教育、調査研究など幅広く展開されるようになった。
 ところが、昭和三六年に至って公明政治連盟が結成され、公明選挙運動という名称を改名し、「明るく正しい選挙」となった。また中央は、明るく正しい選挙推進全国協議会、地方では市町村を単位として「明るく正しい選挙推進協議会」と改称して現在にいたっている。
 その常時啓発並びに教育活動の中心となるのは教育委員会の社会教育部門が一般的状況である。