データベース『えひめの記憶』
久万町誌
2 菅生山(昭和四三年三月八日 県指定 名勝)
昔、一人の狩人が、スゲの生い茂った山中で、夜中に草むらの中で光り輝いている物体を発見した。近づいてよく見ると、十一面観音の尊像である。そこで狩人をやめ、堂を建て、この十一面観音を祀った。この年が大宝元年(七〇一)であったという。あたり一面にスゲが生い茂っていたので、お山全体を「菅生山」と呼ぶようになり、堂を建てた年が大宝元年であったことから、「大宝寺」と名づけられた。
このように古いお寺であるが、仁平二年(一一五二)と明治七年(一八七四)四月の大火災で堂塔や記録のすべてが焼失してしまった。大正から現在に至るまでの間に、本堂をはじめ、大師堂、庫裡、鐘楼、山門、仁王門、客殿と、諸堂が復興され、四国四十四番の札所の偉容が整ってきた。
県が指定した名勝地としては、このお寺を中心に、境内地八㌶に及ぶものである。
名勝地としての最大の魅力は、スギやヒノキの巨樹の立ち並ぶ樹叢がかもし出す、独特の神秘さにある。その幽玄・静寂の気は、俗世間を離れた別天地で、訪れる人を清浄ならしめずにはおかない不思議さをもっている。
境内には、胸高数メートルに及ぶスギ・ヒノキのほか、シュロソウ、ユウスゲ、ツリフネソウ、オモゴザサ、エゾエノキなどの、珍しい植物が自生している。本堂下のイチョウの木には、ムササビが住みついている。
また、小倉志山が建立した霜夜塚(寛保二年、一七四二)にはじまり、文学的にも、その価値は高い。
藤 原 為 頼
○朝なぎに漕ぎ出て見れば伊予路なる菅生の山に雲のかかれる
読み人しらず
○春雨にぬれつつこゆる菅の山笠にぬふてふ名のみはかりぬ
僧 正 了 恕
○世にはまたかかるみやまも有明の月の雲まになくほととぎす
芭 蕉 作(霜夜塚の句)
○薬のむ さらでも霜の 枕かな
小 倉 志 山
○もとどりに かえて霜夜の 塚供養
高 群 逸 枝
〇きてみれば野分さみしうふき居りて垣根の黄菊いまさかりなり
種 田 山 頭 火
○朝まいりは わたくし一人の 銀沓ちりしく