データベース『えひめの記憶』
双海町誌
第二節 生産暦
「働かざるもの食うべからず」という言葉があるが、人が生きるためには、食べることを欠かすことはできない。かつての竪穴住居の跡にも、食料を焼いたり、煮たりした炉の痕跡がある。
現在の主食である米は早くから栽培されたけれども、近代まで神事や特別な行事を祝う日以外はほとんど食べられなかった。麦は奈良時代の始めごろから作られるようになり、その麦や粟、その他の雑穀と菜っ葉のまぜ飯などが庶民の食生活の中で主食をなしてきた。
この生産暦は、後に述べる年中行事と関係が深く、その地方の食生活とも関連している。昭和前期ころの法師地区、松尾地区を中心とした生産暦は、次表のとおりである。