データベース『えひめの記憶』
双海町誌
第一〇節 高等女学院
愛媛県立松山南高等学校上灘分校は、一九四五(昭和二十)年四月に、普通科と家庭科でスタートした。昼からの定時制で普通科は男子一五人ぐらいであった。普通科は、希望者が少なく、一年で自然消滅した。同校の家庭科コースには、在学を希望する者が多く、分校として存立していたが、一九五七(昭和三十二)年三月末で廃止された。
しかし、家庭科コースは、存続を希望する者が多数あったため、同年四月に上灘中学校に双海町立双海高等女学院を設置することとなった。
創設当初は、和裁部と洋裁部及び編物部が設置され、洋裁は松山ドレスメーカーの分院的な運営を行っていた。
また、茶道・華道・食物・珠算・社会等の一般教養科目も取り入れるなど、幅広い女子教育が行われた。
創設された同校の総則等は次のとおりであった。
総 則
・本学院は女子に実際生活に必要な知識技能を授け兼ねて民主的婦徳を涵養することを目的とする
・本学院に左の科を置く
本科、聴講科
・本科に洋裁・和裁・編物部を置き、修業年限は左のとおりとす洋裁部一か年、和裁部一か年、編物部一か年、聴講科一か月以上
・各科(部)生徒定員次のとおり
洋裁部二五名、和裁部二〇名、編物部二〇名、聴講科若干名
・本学院は双海町立双海高等女学院と称する
・本学院位置を双海町大字上灘甲五六二一番地とする
学年学期
・学年は四月一日に始まり翌年三月三十一日に終わる
・学年を分かちて三学期とする
第一学期…四月一日より八月三十一日に至る
第二学期…九月一日より十二月三十一日に至る
第三学期…一月一日より三月三十一日に至る
学科課程及び毎週教授時間
・学科課程及び毎週教授時間は左のとおりとする
しかし、創立はしたものの、すぐに戦後のベビーブームが中学校に波及して、上灘中学校の教室不足が深刻化したため、同女学院は由並小学校に移転することとなった。
その後も、洋裁部が一時民家(本郷の武智宅)に分散しなければならないなどの困難な時期もあったが、一九六五(昭和四十)年、由並小学校(現在のプールあたり)に独立校舎を設置した。
その後、一九七四(昭和四十九)年三月三十一日で廃止となった。