データベース『えひめの記憶』
伊予市誌
四三、大蛇の化身 (八倉)
八倉の下の方にある赤坂泉には、昔から大蛇がいたと伝えられている。
これは明治時代の中ごろの話である。八倉の地主に重松喜一という大百姓がいた。子守を雇いたいと思って人々に頼んでいた。しかし、いざ雇うとなると、なかなか良い娘はいなかった。
ところが、ある日、その家ヘ一五歳ぐらいのきれいな娘がひとりで訪ねてきた。喜一がでていくと、
「うち、森松のもんですが、こちらさんで子守がいると聞いて来たのですが、雇ってつかあさい。」
と言った。気だてのやさしそうな娘だったので、喜一はすぐ気に入ってしまって、さっそくその日からこの娘を雇うことにした。
この娘は、喜一が思った通りやさしくて、よく気がついて、一生懸命子供の守りをしてくれた。喜一は、これはたいした拾いものだと喜んだ。
娘は、どんなに夜がおそくなっても、きちんと家へ帰っていく。そして朝も早くきちんとやってくるのであった。喜一は、これにはほとほと感心した。また、これは大変だろうと思った。森松まで、どんなに歩いても女の足で一時間はかかる。それに帰りがおそくなり、朝は早く来るとなると、どうしても夜の道になることが多い。年若い娘にとっては、いやなこわいこともあるだろう。そこで喜一が、
「あんた、いっそのこと泊まりこみにしてくれんかい。その方が楽じゃろと思うんじゃが。」
と言うと、
「いんえ、つらいことも、こわいこともないんです。どうぞ、うちから通わせてつかあさい。」
と答えて、いつもと変わらず、元気に通っていた。
ところが、ふと気がついた。娘が朝はいてくるぞうりがぐっしょりぬれている。朝露でぬれるにしても、ぬれ方がどうもおかしい。そこで、毎朝気をつけて見ることにしたが、やはり、いつもぬれていた。喜一は不思議でたまらなかった。そこで、とうとう娘が家に帰るとき、一度あとをつけてみようと思った。
娘は、夜になると帰り支度をし、ていねいにあいさつをして家を出た。そして、すたすたと赤坂泉の方へ下り始めた。喜一は、赤坂泉の所を通って森松へ帰っていくのだろうかと思いながら、なお、わからないようにつけていった。赤坂泉のところまで来たとき、ふっと娘の姿が消えてしまった。
喜一は、あっと思った。この赤坂泉には大蛇が住んでいると、昔から言われているのを思い出したのである。「あの娘は、もしかしたら大蛇の化身(生まれ変わり)ではなかろうか。森松に住んでいると言ったけれども、果たしてそこに住んでいるか、確かめたわけではない。とすると、あの娘は……。」と思うと、喜一の体はふるえがとまらなくなってしまった。
「これは恐ろしいことになった。あの娘には、子守を断らなければならない。」と決心した喜一は、翌朝いつものように娘がやってくると、
「都合でのう、もう子守はいらんようになった。急にこんなことを言い出してなんだけれど、すまんが、これ限りやめてもらえんじゃろか。」
ときりだした。すると、娘はじっと喜一の顔を見つめた。喜一はふるえた。娘は、
「はい。」
とうなずいた。喜一は用意していた今までの子守賃と、その上におみやげを添えて差し出して、お礼を言った。娘は、にっこりしてそれを受け取り、家を出ていった。
それからしばらくは、喜一は恐ろしくて、このことを誰にも話さなかった。しかし、あるとき、とうとうこのことを村人に話した。村人はそれを聞くと、
「そりゃ大蛇の化身にまちがいないぞよ。無事に済んでよかったのう。」
と、みんなでよろこんでくれたという。