データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 近世 上(昭和61年1月31日発行)

1 藩の組織と家臣団の形成

 藩の職制

 藩の行政組織は、基本的には他の諸藩との相異点はなく、それぞれの職務内容もほぼ同じである。藩政初期には、家老のもとに町奉行・山奉行・船奉行・普請奉行などが置かれ、それぞれが政務を分担する形がとられたようである。その後、四代藩主頼邦の時代(在職一七二四~一七四四)に、職制改革が実施され、従来の各奉行を廃止して、それらの職務をすべて兼帯する奉行を新設した。また、弓鉄砲組は、それまで弓組・鉄砲組に分かれていたが、この時の改革で一つに統合された。しかし、幕末期には先手弓鉄砲足軽・持弓鉄砲足軽・大筒役と細分され、組織が拡充された(政事日記序之内諸役人之仕事書)。

 家臣団の構成

 小松藩は、前述の如く、一柳直盛の死去後、長子直重が弟直頼に遺領を分けたことによって成立した。従って、家臣団の組織は、西条藩より分割される形で作られたものである。藩士のうち、家老喜多川氏をはじめ伊勢国神戸以来の譜代家臣が重職を占め、直頼の小松入部以後召し抱えられた伊予国出身者の多くは、徒士・足軽であった。
 これらの藩士は、知行取と蔵米取(扶持米取・切米取)とに分けられるが、小松藩における知行取は六〇石以上であった。文化五年(一八〇八)における家臣は二九〇名で、そのうち、知行取の者は一九名であった。石高の最高は家老喜多川氏の四〇〇石、最低は八斗となっており、知行取の者も一六名は一〇〇石以下であった(青野春水「知行制度と家臣団の構造」)。