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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

1 横穴式石室の造営

 横穴式石室の導入

 古墳時代も後期になると、六世紀初頭の頃には、被葬者を埋葬する施設に大きく変化を見るにいたった。この埋葬施設は、前・中期に盛行した竪穴式石室構造とは異なり、埋葬外槨施設を、自然石(石塊)または割石・切石による石材をもって構築をほどこし、さらには石室(玄室)に通じる道(羨道)を付設するという横穴式石室が盛行した。この横穴式石室における内部構造や、石積みの技法も複雑であり、それぞれに構築の時期的な推移を示す技術的な発展をみた。すなわち石の積み方や石室の立体観から、また石室の数値の変化をはじめ、玄室の平面上の構成やら、玄室と羨道部の取りつけ方の変化、さらには玄室内部の構造の差異が実に多彩であった。これら多彩な古墳時代後期における、古墳営造思想の発展と一般化という時代的風潮と相まって、古墳が各地域に盛んに築造された。それはこれら古墳の遺骸を収める多様な内部施設の変化のみならず、これを被覆する高塚の封土状況にも大きな変化を見るに至った。
 また古墳営造の立地でも変化がみられ、これまでの山頂部や丘陵の突端部から、平野部へと立地条件が移り、さらには集落地内にまでも古墳が営造されるとともに、横穴式石室の築造という石室構造の変化に伴う墳丘の変化がみられ、前期及び、中期の時期に盛行した前方後円墳の壮大さも変化への道をたどり、これにまた大化の規制のせいもあってか全国的には円墳がより多く営造されるようになった。

 石室構造とそのもつ意味

 このように六世紀においての遺骸埋葬施設としての石室が横穴式石室という統一された内部構造にありながらも、それぞれ細部に亘っての内部構造や石積みの技法には、種々変化がみられ複雑である。これらの内おもだった点についてのべてみよう。まず石積み方法では、板状の石材を横積みにして四壁の上方で縮約させて、天井石を横架させるもの、四壁に自然な石塊を積むものから、大きく割石を積むものもある。さらに時代のすすむにつれ整った切石を用い石積みも、下段の石材の中央位置にあるように積まれた布目積みもみられる。また奥壁に巨石を用いるものや、四壁を一枚石で構築するものなどがある。石積みにより造り出された室内の空間(立体観)においても、四壁が上部に積み上げられるにしたがい縮約するものや、奥壁は垂直で左右の側壁のみが上部で縮約するものと、四壁がほとんど垂直に積まれ箱形をなすものと、左右の両側壁が中央部で凹面するものなどがある。石室の構造の外に室の数にも変化がみられ、(1)玄室(遺骸安置)と羨道(玄室への通路)をもつものと、もたないものから、羨道の長短についても変化があるが、(2)玄室に前室を付設し、この前室に羨道がつくられるものから、(3)大規模な古墳においてはさらに室数が増加して、玄室・中室・前室・羨道となるものもあるが、本県では(3)の営造はみられていない。石室内の平面にみられる変化もまた豊かで、床平面の形態では(1)縦長の長方形が普通一般にみられる構造に対して、(2)横長の長方形をなすものがあり羨道を含めた形はT字形の床面となる。(3)四壁面が等辺長をしめす方形のもの、(4)左右両壁面にふくらみがみられ三味線の胴部を形どったもの、(4)(5)をさらに発展させたものに楕円形、舟底形、円形へと発展したものもあり、特に玄室においてのみみられるものと前室を含めてみられるものとがある。
 さらに玄室の内部構造における床面にみられる施設としては(1)床面を地山削り出しでとどめるもの、(2)床面一面に礫石を敷くものから部分的に敷くもの、(3)棺床をもつもの、(4)排水の溝を施設するもの等がある。壁面における施設としては、天井部または天井部に近い付近に石棚的な施設をもつものから、奥壁に石厨子的な施設をなすもの、四壁面の一側面が、左右側面壁障的な施設(槨障)をなすものや、側壁面から特に石を突起させた施設もみられるほか、玄室に羨道部を取り付けるときにも、細かく観察すれば、その取り付けられる位置により、次のような分化が見られる。玄室に対して中央部の位置につくり付けられるものを、室内より見れば両壁面より張り出した袖をつくるところから両袖式と呼び、いずれか一方にのみ袖をなすものを片袖式と呼び左片袖または右片袖となる。またこのような張り出し部を造らずわずかに奥壁に対する両側壁よりなり羨道部としての縮約するものから、玄室部の石材に対して、羨道部での石材になだらかな変化を示す無袖式等がある。
 またこれらの羨道部の閉塞状態にも特色が見られ、あるものは自然石による閉塞にとどまるものから、入念に粘土と自然石をもって閉塞するものから、二重に自然石で閉塞しているもの、一枚の板石をたてかけたものから、たてかけられた板石の周囲を粘土で固めたものなどがある。
 さてこれら様々な造りを見せる横穴式石室に搬入されるものについても、さらに色々なものがあり、その地方的な踏襲傾向をもつもの、中央より波及したものなども含めて、より複雑な棺槨を造り出すもの等もある。本県においては、あまりそのような例はみられないと同時に、外 施設である、玄室の営造についての省力化が、進められる傾きがみられる。同時に玄室を被覆する封土についても、時間の経過と共に省力化がすすみ、棺槨部を地山掘り込みという構築方法をとった。山腹の傾斜地をL字型に切る土木工事により、封土はもとより、石積み効果の高揚がみられたことはいうまでもなく、それ以上に、石室の床面における微傾斜を造りだすことにより、排水効果を生みだすという、一石二鳥的な構築技術の向上が見られた。経費削減による古墳営造の夢は、大衆化への道をたどることとなり、各地に小規模な古墳が、しかも集中化という傾向をみた。他方、死者に対する思想的な変化もあいともない、家族墳としての様相に発展した。しかも追葬可能な横穴式石室という構築方法は、ひいては、古墳群がよって立つ立地条件はもとより、群集条件としての黄泉の国への参道(墓道)設定がなされたものといえよう。これら六世紀後半にみられる円墳は一種の共同墓地としての性格を持っており、経済的な事情をも加味されての営造であり、立地としては耕地をさけて、丘陵の尾根や台地を占有するか、または丘陵の傾斜面を利用することにより構築への省力化を計った横穴式石室や、組合式の箱形石棺によるものから、竪穴式石室の形式をたもちながら壁も浅く、狭長な小形でしかも自然石塊を利用したものや、木棺を直接封土中に収め、粘土施設をほどこしたものなど形式的にも種々様々である。