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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

二 高地性集落の出現

 高地性集落とは

 弥生時代に形成された弥生文化は、水稲栽培を主体的要素とする農業生産の開始・発展という経済発達段階の歴史的過程のなかでとらえられなければならないものである。水稲栽培、すなわち水田経営は水利の便もよい沖積平野をその生産基盤とする性格を有している。弥生時代の水田経営とてもその例外の何ものでもなく、より水利に恵まれた地域に限られていたとみてよい。当然、縄文時代の遺跡立地とも大きな違いを生じ、集落は水田経営とそれに伴う日常の居住にふさわしい沖積平野面ないしはそれに接続する山麓下の微高地に集まるようになる。このような集落を低地性集落と呼んでいる。
 このような時代にあって水田経営にはあまりにもふさわしくない山頂や山腹中に集落が発生する。これを低地性集落に対して高地性集落とか高地性遺跡と呼んでいる。高地性集落は単に海抜高度が高いものを呼ぶものではなく、沖積平野面からの比高差の大なものを高地性集落と呼んでいる。しかし、人びとの居住するうえにおける最も重要な立地因子は飲料水であろう。ここでは、この飲料水の確保の困難性に中心をおいて高地性集落をとりあげてみたい。
 稲作はともかく、飲料水にさえ事欠く山頂や山腹に集落が形成されていることは、明らかにそこに別の意図を持っているとみなければならない。このような高地性集落が弥生中期後半になると瀬戸内海沿岸に多く出現するようになる。これらの高地性集落の発生・機能・形態などについて順次みてみよう。