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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

5 山神遺跡などでの遺構と遺物

 馬の埋葬遺構

 山神遺跡Ⅰ区からは、二個の不整形の小土坑状遺構と三基の環状列石が検出された。このうち第三環状列石とされたものは、その内部から、比較的そろった馬歯骨それに前後肢骨が発見され、馬の埋葬遺構であることが確認されている。(2―77)
 この馬は、鉗歯の歯冠磨耗状態などから推して年齢一二~一四歳内外、犬歯の存在から牡とされ、中足骨長などから体長一二五センチ程度の小型馬とされている。先土器時代を除き、縄文草創期から前期にかけての馬骨の欠落期以降、全国的に縄文中・後期における出土数の増加するなかで、四国では平城貝塚、徳島県城山公園につぐ三体目の検出で、きわめて貴重である。
 山神遺跡Ⅱ区からは、帯状また円形状を成す集石遺構、それぞれ形態的に相違する土坑状遺構群と柱穴跡と想定されるピット群が検出されている。このピット群からは、定形化された竪穴プラン的なものは推定し得なかったものの、ピット群北端に、東西約三メートルの土塁が張り出しており、何らかの建物的な存在がうかがわれた。

 縄文後期終末から晩期の石器

 また石器類は、Ⅰ区から、石庖丁状石器、削器、石鏃、線刻石、Ⅱ区からは、石錘、磨石、削器、それに発掘前に採集されていた臼玉などが挙げられる。臼玉は、乳白色の滑石を素材とし、径〇・八二センチ、厚さ〇・四七センチの円盤状で、外縁部は研磨され中央部に円孔が穿たれたものである。またⅢ区からの表採品としては、緑色蛇紋岩製(全長一・七五センチ)の勾玉、石鏃、石斧など挙げられよう。
 山神遺跡に近い笛ケ滝遺跡は、縄文後期から晩期初頭にわたる土器が採集されておりこの期の中核的遺跡とされるが、ここからの遺物に若干触れておきたい。
 この遺跡は、古くより、丁字頭勾玉など異色ある遺物の検出で知られている。また石器類でも、三頭あるいは十字形(四頭)石器が検出され、今後究明さるべき側面が多いとされる。
 この三頭及び十字形石器は、全体の形状から付された名称でその用途は明確でない。九州側では北久根山式(県域では、川原谷式・平城Ⅲ式)から御領式(県域での山神Ⅱ式)のころにわたるものとされ、その形式は十字形石器では正十字形に近く、新しいものはx字形に近いとされる。笛ケ滝出土のものは、おそらく山神Ⅱ式あたりに相当するものと考えられる。これらは将来の解明に待たれるものの、留意さるべき点として磨滅面がくりこみの部分にあり、石斧的な使用の痕跡が認められない点にある。この遺跡のもつ性格から推して、集団規制に強く関わる遺物とし得るものかもしれない。

2-77 山神遺跡Ⅰ区馬骨出土の第3環状列石実測図

2-77 山神遺跡Ⅰ区馬骨出土の第3環状列石実測図