データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)
4 中津川洞遺跡からの人骨とその埋葬
粘土床の埋葬遺構
中津川洞発掘調査における、A区(2―54)第二層の落ち込み最下部すなわち第四層の上面で、粘土(槨状)床を伴った埋葬遺構と四肢骨を伴う人骨が屈葬状態で検出された。埋葬時期は第二層形成時、すなわち縄文前期・中津川式土器期と考えられている。
埋葬遺構は、長軸方向がほぼ南北を指向し(2―65)、全長一・七メートル、東西幅一・一メートルで、基部は円礫の川石と角礫を積みあげ、その上に小角礫と粘土によって槨状に盛りあげたものである。さらに頭部の置かれた左右周縁には、最高二五センチもの囲状土盛がしつらえられている。この土盛は、足部にいたっては全く認められず、また人骨を安置した基底面も次第に下降している。上部には何らの施設も存在しなかったが、これは第二層にくい込んでいる炉跡構築の際、削平されたものと考えられる。(炉跡は大きな川石が擂り鉢状に埋め込まれ、赤く変色していた。炉跡中に木炭とともに焼けた獣骨片が遺存し、縄文後期の磨消縄文土器片も散在していた。この炉跡に北接し、比高差マイナス一○センチで人骨の検出をみた)このほか、埋葬遺構の南部には角礫による配石遺構とみられるものが遺存した。おそらく埋葬に伴う祭祀的な遺構であったものとし得る。
人骨は、頭蓋では脳頭蓋と下顎が比較的よく保存されていたものの、顔面骨は鼻根部と不完全な左半側を残すのみであった。体幹の骨はいずれともきわめて断片的であるが、四肢骨の右上肢骨と両下肢骨はよく保存されていた。また頭蓋は小さく、四肢長骨が細小で、しかも寛骨の大坐骨切痕も広くゆるい湾曲を示すことから、この人骨は女性と判定されている。年令については、歯の磨耗が強く椎骨での退行性変化が著しいものの、頭蓋の縫合での癒合はなく四肢骨の関節面もすべて正常であり、とうてい老年と考えられず熟年とされている。また身長は、大腿骨の長さからのPearson式によって、一四八センチと推定されている。
この女性人骨は、本洞穴の中央部に丁重な粘土(槨状)床という方法で埋葬されており、特別な意味をもった人間の埋葬の在り方を示唆したものといえる。またその埋葬形態についても今後究明さるべき側面が多い。