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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

4 水崎遺跡

 遺跡の位置

 縄文前期にその始源を持ち、強力な縄文中期土器を主体に後・晩期にわたる遺跡とされる水崎遺跡は、越智郡波方町水崎甲二八九六の一地先に所在する。名だたる来島瀬戸の激流に対峙する大角鼻・黒崎を結ぶ水崎海岸の海中から、その遺物が一括発見されるというユニークな遺跡相を持つ。
 周知のごとく、高縄半島には、さして高峻な山岳は見あたらず、隆起と侵食の激しい相殺の跡を残す高縄山・明神ケ森・東三方ケ森らを中心に、全くの丘陵性山地が連々と展開するが、特に波方町樋口の地溝以北の半島先端部においては、海山(遠見山)、高山、塔ノ峰これらに連なる丘陵を含め、侵食側の圧倒的優位を示す開析された火山群が存在する。
 ところで本遺跡は、塔ノ峰から大角鼻へと伸びる一丘陵から侵食排出されたペディメント(緩斜面地形)がその先端を海岸部まで成長させ、その最先端部に占地したものと想定される。

 発掘調査の成果

 発掘調査は昭和四九年(一九七四)八月、いわゆる盆明けの最大干潮時を選んで実施、海面下ながら比較的安定した遺物包含層の確認、すでに述べた縄文前期土器を始め、県下での標準土器的な性格が付される縄文中期土器、多量の縄文後期土器それに若干の縄文晩期土器の検出、ここでの漁撈的手段を明確に物語る大型石錘の採集など成果をあげた。
 発掘地域は、遺跡の性格追求をより効果的にするため、海岸線平行トレンチとこれに直交するトレンチ、計八個のトレンチが選定された。各トレンチの層序はそれぞれに若干の差異をみせながらも比較的安定し、第一層細砂土、第二層中細砂土、第三層茶褐色砂質土、第四層赤褐色砂質土層と総括し得た。遺物包含層はこの第三層茶褐色砂質土からであったが、この層は全く微変化すら見せず、縄文前期から晩期にわたる遺物を一括して包含し、ここでは層位的な遺物の出土状態は見られなかった。このことは、海面下ながら安定した層位を示す程の大規模かつ一瞬の原位置からの移動、つまり地盤のずれ落ちが第三層形成時に存在したことを想定しないわけにはいかない。したがって昭和四〇年(一九六五)前後から干潮時、この海岸の砂上に散在した土器片などの遺物は、波動などによる第三層の海底下での破裂部分からのものと判明された。ちなみにこの時期、海上からの自然波を強く遮るコンクリート造りの防波壁が造築されたことが、海底面の波動によるえぐり取りを加速させた遠因かとも推察される。