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愛媛県史 原始・古代Ⅰ(昭和57年3月31日発行)

5 上黒岩岩陰・穴神洞からの人骨と埋葬

 垂飾品と集積人骨

 上黒岩岩陰遺跡の最終調査後に開設された考古館入口右側には、成人女性人骨(第一次調査で収納)が造花を胸にし収納されており、われわれを先史のロマンへと誘ってくれている。かなりの美貌が想定されるこの女性は、一・四五メートル程度の身長に、髪を深々と双肩に垂らし、皮衣をまとい首や手首に貝飾りをし、山野をかけめぐっていたのであろう。
 上黒岩岩陰の等二次調査では、第三トレンチ(2―39)に接してイヌの埋葬骨二体、さらに岩壁よりの東北部よりの東北部(A区)に一〇体以上の集積人骨を収納した。この集積人骨内から、これらの人がつけていたと想定される装身具が発見された。イモガイの殼頂部を輪切りして製作したもの、マルツノガイを輪切りにしたもの、タカラガイの背面の殼頂部を取り去って板状に磨いたものなどの貝製垂飾品、サメの脊椎の中央に孔を穿った垂飾品、ヘアーピン様の鹿角製有孔角針、鹿角製一対の耳栓などが検出された。また集積人骨のほぼ中心部からチャート製の鍬形(石)鏃が発見された。さらに集積人骨の東端部周辺からは、明らかにこれらの埋葬と関連したと推定される楕円押型文土器(上黒岩Ⅲ式)の口縁大破片と尖底部破片が出土した。

 改葬されていた人骨など

 さらにその第三次調査では、A区の東北部の発掘が実施され、埋葬骨数体が収納された。また第四次調査では、A拡張区が設定され調査が実施された。ここでは、頭部のみは改葬された形を示す熟年女性の右側臥位の屈葬骨を始め、平坦な石で覆われた壮年骨男二・幼児骨一の改葬人骨などが検出された。
 ここでやや詳述にわたるかとも思われるが、第四次調査人骨の考定にあたられた森本・小片(一九六九)の報告をもとにその概略を述べよう。
 成人男性二体(第六九〇一号及び第六九〇二号人骨)と幼児一体(第六九〇三号人骨)は、直径約五〇センチ、深さ三〇センチの円形ピット内に一括して二次埋葬されていた。埋葬様式は、まずピットの底の西、北及び東にあたる四分の三には第六九〇一号頭蓋が左側を下に、他の二者の頭蓋が右側を下にし、いずれも顔が西に向くように横たえられ、南にあたる四分の一には、これは三体の下顎骨が置かれていた。つぎに、これらの頭蓋及び下顎骨の間隙には、成人の椎骨・胸骨・助骨・手骨・足骨及び幼児の頭蓋以外の骨など小さい骨がつめられ、その上には肩甲骨・寛骨など平たい骨が置かれ、さらにその上には、成人四肢の大きな長骨が骨軸を南北方向に向けて水平かつ平行に並べられ、長骨の上には比較的大きな押型文土器(上黒岩Ⅲ式)の破片が置かれ、最後に平坦な石で覆われていた。各骨の位置関係は解剖学的に全く不自然であるが、関節付近に人為的損傷がみられないこと、焼かれた形跡のないことなどから、死後ある程度の期間を経ての腐敗で各骨が関節で分離し、二次埋葬されたものと考えられる。
 有孔ヘラ状骨製品の突き刺さりで知られる第六九〇一号の壮年男の人骨について触れよう。この男性は大腿骨及び脛骨からPearson式により推定した身長は約一五九センチで、骨格の頑丈さ、筋付着部の発達の強さなどから、かなり屈強であったと想像される。その右の腸骨翼には、上前腸骨棘から約三センチ後方、腸骨稜の約二センチ下方に、長さ約一〇センチ、幅約二センチのヘラ状骨製品が凹面を後上方に向け、ほぼ水平に刺入したまま発見された。骨製品の先端は刃こぼれもなく腸骨窩から大骨盤腔内に約三センチ突出している。創縁は鋭く光沢があり治癒機転がみられぬことから、この男性は腸穿孔により即死に近いか、あるいは長くとも数日の経過で死に至ったものと推測される。この男性の右の脛骨は、ピット内から発見されていない。また頭蓋長幅指数は約八〇を示し、短頭と中頭との境界にある。歯の咬合型は鉗子状で、風俗による抜歯はみられない。咬耗度はMartinの第三度で、咬耗が著しい。齲歯はない。(参考までに、他の二者も齲歯は全くない)下肢骨には蹲踞の特徴がみられる。
 また二次埋葬ピットの下にあった北頭位右側臥位の熟年女性の屈葬骨は、ほぼ解剖学的位置関係を保つことから、頭蓋がその骨盤近くに転位したことは、前述の円形ピット掘削中に発見され、その際埋め移されたものと考えられている。
 なお、有孔ヘラ状骨製品については、身近から突くことで肉を貫ぎ、さらに骨まで貫くことは至難であることから、投槍として着装されたとの見解が強い。おそらく大形獣と誤認され投槍を受けたのではあるまいか。
 穴神洞遺跡では、洞穴入口北壁に沿った第四層(上黒岩Ⅲ式で総括される押型文土器が出土)落ちこみ最下面から、頭蓋が埋葬された状況で出土した。頭蓋の上には二〇×一〇センチの石灰岩が二個置かれ、その周辺に土器の破片と小さな川石二個とツノガイ製の垂飾品が配されていた。頭蓋は縫合部から二分され、これが重ねられており、明らかに二次埋葬されたものであった。

2-39 上黒岩遺跡発掘地区概要図

2-39 上黒岩遺跡発掘地区概要図