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愛媛県史 芸術・文化財(昭和61年1月31日発行)

四 室町時代の神社建築

大山祇神社本殿 国指定重要文化財 越智郡大三島町 大山祇神社

 越智郡大三島宮浦にある国幣大社で古く奈良時代の初め既に社殿が建っていた。伊予の豪族河野氏は大山積神を氏神として祭祀し、一般にも海の守護神として崇め、平安末期には隆盛を極めて社殿が七〇棟を越えたと伝えている。その後度々の兵火で殆ど焼失し、応永三四年(一四二七)に再建されたのが現在の本殿である事が墨書銘で明らかにされた。各代の武将から奉納された甲冑刀剣類は膨大な数で国宝八、重文七一点に達し、本殿と拝殿も国指定重要文化財となっている。
 本殿は三間社流造、屋根は箱棟鬼板付の桧皮葺二重繁棰の壮麗な姿である。全体の木割は太く、外部回りは総て胡粉および丹塗り、段違いの回縁に高欄を置き両袖に細緻な意匠の脇障子や中備の蟇股、内陣の妻飾りなど変化豊かな手法に優美な特色を伝えている。日本固有の神社建築は元は伊勢の神明造、出雲の大社造に見る直截簡明な白木造りであったが、奈良平安時代から中国伝来の仏寺建築の影響を受けて流造、八幡造などに変遷し、千木や堅魚木の棟飾がなくなり、屋根は反りのある曲線、組物や架構に寺社様式を取り入れ木部は丹塗りに仕上げ、本建物の如く優麗な姿に変わっていった。

大山祇神社拝殿 国指定重要文化財

 本殿の前面にある桁行七間、梁間四間、桧皮葺、切妻造で平安調の面影を残している。正面に唐破風の向拝屋根が張り出し三方に回縁を巡らし、内部は天井を張らず、太い木柄が簡明な厳かさを感じさす。創建は本殿と同じ応永年間で、昭和三〇年解体修理によって、当時の様式に復元し、本殿とともに古き歴史を偲ぶ貴重な遺構である。

大山祇神社上津社社殿 愛媛県指定文化財

 この社殿は大山祇神社の境内社で、本殿と同様に応永年間の建造とみられ、規模は桁行三・六m梁間二・七mと本殿の約半分、様式手法は本殿に準じた建物である。創建後、延享、および文政年間に改修が行われ、局部の絵模様等に桃山期の手法が混ざり、昭和四三年に解体大修理をしている。

大山祗神社十七社社殿 愛媛県指定文化財

 この社殿も境内社で御神像一八体を安置する建物で、諸山積社と一六社が連接し、異例な事に一方の屋根は入母屋、他方は切妻造となっている。桁行三〇m、梁間四・五m、桧皮葺の簡素な建物である。由緒書によれば正安年間(一二九九~一三〇二)の創建でその後永和四年(一三七八)に再建された室町期の建築であるが、その後の改修のたびに組物等に桃山江戸期の手法が混入している。