データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 学問・宗教(昭和60年3月31日発行)

三 現代社会の神道-神社の法人化

 明治以降、政府は神道を国家神道として国民統治の具とし、これを崇敬することは臣民の義務であるとした。すなわち、神道(神社)は宗教にあらずとし、国家的祭祀・国民道徳として一般宗教の一段上位に存在させたのである。しかし、昭和二〇年の神道指令によって政教分離が行われ、続いて宗教法人令が公布になり、一般宗教と同じ扱いを受けることになった。
 第二次世界大戦敗戦の結果は、神仏に対する思想変化もあって神社界は大きく混乱し、今後は神社は宗教として生きていくべきか、単なる民族的祭祀としてとどまるべきかの論議が闘わされた。
 神道指令とは、昭和二〇年一二月一五日、GHQが発したもので、正しくは「国家神道・神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(連合国最高司令官総司令部参謀副官発第三号日本政府ニ対スル覚書)というのである。その第一項で、

 一、神社神道に対する国家その他官公吏などの特別保護監督等の停止
 二、神社神道に対する公の財政的援助の停止
 三、神祇院の廃止
 四、神道的性格を有つ官公立学校の廃止
 五、一般官公立学校における神道的教育の廃止
 六、教科書より神道的教材の削除
 七、学校・役場等より神棚等神道的施設の除去
 八、官公吏や一般国民が神道的行事に参加しない自由の研究
 九、役人の資格における神社参拝の廃止

等を命令し、さらにその第二項においては、この指令の目的が「宗教を国家より分離する」こと、すなわち政教分離にあり、かつ、それは神道に対してのみならず、あらゆる宗教、信仰、宗派、信条ないし哲学の信奉者に対しても適用されることを述べ、さらに本指令の事項は同じ効力を持って神道に関連するあらゆる「祭式、慣例、礼式、信仰、教え、神話、伝説、哲学、神道、物的象徴」に適用されると決めつけている。そして最後に、

 神社神道ハ国家カラ分離セラレ、ソノ軍国主義的乃至過激ナル国家主義的要素ヲ剥奪セラレタル後ハ、若シソノ信奉者ガ望ム場合ニハ、一宗教トシテ認メラレルデアラウ。而シテソレガ事実旧日本人個人ノ宗教ナリ、或ハ哲学ナリデアル限リニ於テ、他ノ宗教同様ノ保護ヲ許容セラルデアラウ。

と、神道の今後の在り方を限定したのである。
 神道指令は、日本的国民生活を否定したものであったので、戦後の日本人の精神生活を混乱に陥れ、各地でさまざまなトラブルが頻発した。しかも、GHQは次いで一二月三一日「修身、日本歴史および地理停止に関する件」を指令してきたのである。これは、日本政府が軍国主義的及び極端な国家主義的観念を植え付けることを禁止するため発した措置であったから、当時は学校教育現場では神社を極端にタブー視し、指令の命ずる以上に厳しくボイコットしたりした。例えば祭礼日の学校休業はもとより祭礼参加を拒否するのみか、中には神社の存立までも否定する向きもあった。神社の前で脱帽敬礼することさえ、占領軍の命令に反して悪事をしているかのような気持ちにさせられた時期であり、遠足や修学旅行の際にも神社・仏閣を見学することさえ忌避した。とにかく、日本人から神社護持の精神が消滅するかに思われたほど憂慮された時代があったのである。