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愛媛県史 学問・宗教(昭和60年3月31日発行)

七 愛媛方言内部分派 結論

 表覧

 一大愛媛方言の内部分派は、表2のように成立しており、このような立体相を成している、と見ることができる。

 平面図

 左の表覧の末端に見られる南予方言・中予方言・東予方言の三者は、愛媛県地面上では、たがいにほ
どほどの領域を分かち持って、相互に張りあってもいる。この大きな三区分に注目して、平面図を作れば、図8が得られる。
 中予方言の西境に関しては、上浮穴郡西南部・伊予郡西南部に多少の問題があるけれども、今は不問とする。東予中の大三島ほかの北部島嶼も、今は東予方言下のものとするしだいである。
 なににしても、「分派」との考えかたが重要である。明確な一線による、方言範囲の区画づけなどは、県下全集落を対象に、精密・徹底の総合調査をしたあとでなくては、できるものではない。それにしても、一線による区画づけの決着をつげるのは、容易ならぬことである。
 方言のまとまり、方言範囲は、分派観のもとで、色濃い所を本位として、ゆったりととらえておくのが有意義である。

 三方言分派を横に見た図

 南予方言も中予方言も東予方言も、みな、単純一様のものではない。すでに述べてきたように、おのおの、その内部が複雑である。
 その複雑なありさまを、既述の吟味にしたがって、横から見た図にしてみる。

 説 明

 (1) 中予方言は、比較的単純である。それを「平担地」にたとえる。ところで、上浮穴郡のことばは、すこしく別様で、高みにある。
 (2) 喜多郡方面(大洲市をふくむ)は、中予方言が南予方言に接する所なので、その方言特色が波線であらわされた。
 (3) 宇和三郡方面には宇和島市がふくまれる。
 (4) 南宇和郡は、南予方言の別格地である。
 (5) 南予方言全般が、その特質からして、高く描き出された。
 (6) 東予方言は、中予方言になだらかにつづいていく。
 (7) 越智郡方面は、今治市をふくむ。
 (8) 周桑郡方面は、東予市をふくむ。
 (9) 宇摩郡方面(伊予三島市・川之江市をふくむ)は、東予方言の別格地である。

 南予方言は、歴史的に見て、愛媛方言の最古層とされるか。二段活用の残存などは、有力な証例になる。その他、「イヌノゴト アル」(犬のようだ)などの「ゴト」ほか、いくつかの、九州方言とのむすびあいを示す事実も重視される。
 中東予方言は、より新化した方言地層のものか。瀬戸内海斜面の地域は、瀬戸内海中心の、大きな、ことばのながれ・動きの影響を受けて、南予地方以上に、ことばが新化しやすかったものと思われる。その瀬戸内海影響の受けかたの相違によって、中東予地域にも、中予方言と東予方言との差異が生じたであろう。かつ、東予方言にも、さまざまの内部差がおこったであろう。
 喜多郡方面は、南予的であってしかも、瀬戸内海にも面している。この地域の特定性も、ゆえあることかと思われる。
 以上のような愛媛方言状態は、その内部相が、南予の南宇和郡から東予の宇摩郡方面にかけてのダンダラ模様である。
 中予方言に、腹背のダンダラ模様があり、南予方言・東予方言に、左右のダンダラ模様がある。そのすべてが、歴史的事実にほかならない。

愛媛方言大区分表

愛媛方言大区分表


愛媛方言内部大分派図

愛媛方言内部大分派図


愛媛方言内部小分派図

愛媛方言内部小分派図