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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

2 文部省郷土教育講習会

 文部省は、昭和五年(一九三〇)、地理学者小田内通敏を文部省嘱託として郷土教育の振興を図ってきたが、次第に郷土教育の重要性が認められ、全国的に大きな流れとなってきた。同六・七年はその絶頂期といえよう。そこで、文部省では郷土教育が正しく展開されるように、東京において郷土教育講習会を同七年の八月に一週間開催することにした。そして、その道の権威者を講師とし、全国の中等教員等を受講させた。その際の要項は次のとおりである。

昭和七年度郷土教育講習会
一、会期  自 昭和七年八月一日      (外に八月八日ヨリ二日間地方実地視察)
      至 同年八月七日
一、会場  東京高等師範学校
一、講習員資格  師範学校、中学校、高等女学校、小学校教員、府県視学、市視学
一、定員  二百名
一、講義題目並に講師
 I、郷土教育の本義        文部省普通学務局       武 部 欽 一
 2、郷土教育           東京帝国大学教授文学博士   吉 田 熊 次
 3、最近世教育改良運動ノ動機   東京文理科大学長文学博士   大 瀬 甚太郎
 4、気候ト地方生活        中央気象台長理学博士     岡 田 武 松
 5、土壌卜地方生活        東京帝国大学名誉教授理学博士 脇 水 鉄五郎
 6、植物ノ地方的分布       東京帝国大学教授理学博士   草 野 俊 助
 7、林制卜地方生活        農林省嘱託          遠 藤 安太郎
 8、地名ノ研究                         柳 田 国 男
 9、交通ノ発達                         樋 畑 雪 湖
 10、明治維新以後ノ経済      東京帝国大学助教授      士 屋 喬 雄
 11、農村経済史ノ概念ト研究法   法政大学教授農学博士     小 野 武 夫
 12、都市の発達          東京帝国大学教授       今 井 登志喜
 13、都市計画           内務省都市計画課長      飯 沼 一 省
 14、地域社会ノ研究        文部省嘱託          小田内 通 敏
 15、地域研究ノ方法                       小此木 忠七郎
   16、郷土博物館          東京科学博物館学芸官     森   金次郎
   17、我ガ村ノ郷土教育       愛媛県越智郡盛小学校長    森   光 繁
  一、研究会 開期中元三回午後研究会ヲ開キ講習員ノ郷土教育ノ施設並二研究事項ノ発表
  一、市内見学 開期中二於テ中央気象台・逓信博物館・帝国図書館・東京科学博物館等実地見学ヲナス
  一、地方視察 講義終了後二日間ノ予定ヲ以テ山梨師範学校ノ郷土教育施設状況並二汲古館(郷土二関スル博物館)ヲ
    視察ス

 文部省がこのような大がかりの講習会を開くことになったので、この講習会は当時の教育界から大変な注目を浴びた。そうそうたる講師陣の中で、最後に、具体的な題目「我ガ村ノ郷土教育」で発表している講師が、愛媛県越智郡盛小学校長森光繁である。森光繁は、すでに『盛郷土読本』を編集発刊し、郷土教育を具体的に展開していたことから全国的に有名であった。
 森光繁の講義がきわめて具体的で参加者に多大の感銘を与えたことは、当時東京高等師範学校の学生で、その講義を実際に聞いた村上節太郎の言である。
 そのことから、愛媛県の郷土教育は、全国的にみて高いレベルにあったことがうなずける。
 森光繁の講義の大略は次のとおりである。

 小田内先生が松山にお越しになったとき、私の村の特異性を聞かれ、はるばる島までご指導にきてくださった。
 盛で最も重要と考えられることは、純農村で家が密集していること。これは、水系や気候条件と海賊の来襲を防ぐこと、習慣を重んじることが重なったためと思う。また、住宅は窓が少なくて暗く、煙突もきわめて少なくつ(三一八軒中、九つしかない)、井戸も共同井戸が一三あるだけ。農業生産も、煙草を作り始めているが柑橘は栽培しようとしなかった。
 そこで村全体を教育の海の中に入れて洗わなければ我が村は救われないし、今後の発展も望めないと思った。つまり、郷土を正しく認識させながら、郷土愛の精神を高めようとしたのである。
 私たちは、この郷土の正しい認識をさせるために『盛郷土続本』を職員総動員で作成した。上巻・中巻・下巻とあるが、三・四年生か上巻、五・六年生が中巻、高等科が下巻をそれぞれ使用することになっている。
 『盛郷土読本』の中巻の「蝿と蚊」の一節、
蝿「君の一番御馳走は」蚊「それは何と言っても人間の血だ。これ位うまいものは無い。見給へ、此の鋸と羽を。これさへあれば人間の血を吸う位朝飯前だ」
 など、蚊は自慢さうに話し出した。
蚊「所が僕にも容易ならぬことがある。それは煙だ。この辺の家には煙突が無いので、火を焚かれると、目もロも開け
 られたものではない」
蝿「そんな時には自慢の羽で飛び出せばよいではないか」
蚊「それだ。僕にはかうした立派な羽はあるが、逃げ場所が無い。家の囲は厚い壁でとぢこめられてゐるので、そんな
 時には仕方が無いから床下に行くのだ。床下へ行けば安全地帯だから」
蝿「君ものんきにはしてゐられない様だね。僕達の仲間は何でも食べるから、君達の様に危検な所に行かなくとも、御
 馳走はいくらでもある。縁の下を見給へ。大きなつぼがあるだろう。そこへ行けば僕達の食べるものはざらにあるん
 だ。其の足で台所へも行く」
  (以下略)
 読んでいるうちに、理屈を並べないでも、祖先が考えてきたこと、衛生面の様子、これからどうすればよいかということが自然に考えられてくる。
 結論として私はいたずらに郷土を礼讃し、あるいは郷土を排撃したりすることをやめて、本当に郷土を認識し、本当に郷土を愛していく人間を淘汰してやりたい。政府において現在農村を救済するいろいろな方策が講ぜられていることは、私共農村にいる者にとってまことにありがたい。しかし、そのような他力的な救済のみに依存するのでなく、教育の力で、農村が真実に更生し、永久に楽土となる根本をうち立てることでなければならない。講義の大ざっぱな概要であるから意を尽くすことができないが、盛の郷土教育の様子を察知することはできる。