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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

四 戦後の幼稚園教育

 幼稚園教育の基準

 昭和二一年四月に連合国最高司令官へ提出した「米国教育使節団報告書」に、「児童の成長発達の確実な原則から見て、学校施設をさらに年少の児童にまで及ぼすことの賢明なことがわかる。正規の学校制度に必要な改革が行われ、適当な経費が支給されるときが来たら、育児場や幼稚園をもっと多く設けて、これを小学校に組み入れるよう勧める」と、報告されている。これらの勧告の方向にそって、昭和二二年三月に公布の学校教育法に取り入れられ、幼稚園は学校教育体系の一環として独自の地位が認められた。すなわち、学校教育法第一条に「この法律で、学校とは、小学校・中学校・高等学校・大学・盲学校・聾学校・養護学校及び幼稚園とする。」とあって、幼稚園を学校として位置づけている。同法第七七条に「幼稚園は、幼児を保育し、適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする」とあり、また同法第七八条には「幼稚園は、前条の目的を実現するために、左の各号に掲げる目標の達成に努めなければならない」として五項目の目標を示している。
 前述のように同二二年「学校教育法」の公布により、幼稚園は学校として位置づけられた。同二三年三月一日に「保育要領」が刊行され、保育の指針が示された。ついで同二六年三月三日の通諜で「幼児指導要録」が定められ、同二七年五月二一日に「幼稚園基準」の通達によって、その基準が示された。その後同三〇年一○月八日に、「幼稚園幼児指導要録」の改訂、同三一年二月七日に『幼稚園教育要領』刊行、同三一年二月一三日に「幼稚園設置基準」制定、同三七年一月三一日に「幼稚園設置基準」の一部改正、同三八年一〇月二八日に「幼稚園と保育所の関係について」の通達、同三九年三月二三日に『幼稚園教育要領』の改訂告示、同四〇年二月八日に幼稚園幼児指導要録の改訂について」の通達と引き続き改正が行われた。
 同三九年三月二三日に告示された『幼稚園教育要領』(文部省告示第六九号)の第一章総則の二教育課程の編成には「幼児の心身の発達の実情ならびに幼稚園や地域の実態に即応して、適切な教育課程を編成するものとする。この場合においては、第二章の健康・社会・自然・言語・音楽リズムおよび絵画製作の各領域に示す事項を組織し、幼稚園における望ましい幼児の経験や活動を選択し配列して、適切な指導ができるように配慮しなげればならない」と示し、幼稚園教育の目標達成を六領域にわたって指導しなければならないとしている。また、同三九年九月七日に「幼稚園教育の振興について」の通達を文部省が出し、幼稚園教育計画を公式にした。これは第一次計画で、続いて第二次計画が同五七年で完了した。なお、愛媛県では幼稚教育の振興のために義務教育課の幼児教育担当が独立し、同五二年四月一日に、幼児教育室が全国に先がけて設けられ、大野憲が初代室長に就任した。しかし国、地方自治体の行政改革の波に抗しきれず、同五七年三月三一日幼児教育室は、義務教育課・社会教育課に吸収された。昭和五九年度の学校基本調査に基づく愛媛県の幼稚園の現状は前頁の図2-14や次頁の図2-15によって、全国的な推移を知ることができる。

 幼稚園教育研究活動の振興

 文部省及び県当局も戦後次第に、研究活動を推進する方向にむかってきた。昭和三三年には県独自で愛媛県幼稚園教育課程作成委員会を組織してその作成にあたらぜ、同三四年九月には、愛媛県幼稚園教育課程「教育計画の基準」(一年保育)を刊行した。この作成委員会活動の背景となったものは、本県幼稚園教育界の民間研究団体である愛媛県幼稚園連合会(国公私立の幼稚園長・教諭等で組織)の積極的な研究
活動であった。
 同連合会の活動を省みると、四国四県の幼稚園教育への協力がよくうかがえる。同二七年に徳島市で第一回四国幼稚園連合大会が開催され、同二九年には高松市で第二回が、同三一年五月には松山市で第三回が開かれた。第三回大会では「わが四国四県における幼稚園教育の現状は、その数並びに実質において前進しつつあるといいながら、行政面、経済面におけるあい路によってはばまれているところが少なくない。よって私たちは、本大会において決意を新たにし、更に相たずさえてこれが打開にまい進することを期する」と宣言決議している。当時の四国四県の幼稚園の現状は、他の地区に比して決しておとらないのみか、むしろモデル地区であると認められていた。ことに、徳島・香川両県の公立幼稚園設置は注目に価するものがあり、一方愛媛県は古くから私立幼稚園が多く、その貢献するところは大きく、高知県もその数は少なかったが関心と熱意は強かった。
 このような状態の中で、愛媛県国公立幼稚園協会と愛媛県私立幼稚園協会の連合体である愛媛県幼稚園連合会の組織化はますます確立した。昭和二九年四月に創立した愛媛県私立幼稚園協会は、同四〇年一二月には財団法人私立幼稚園協会として認可された。愛媛県幼稚園連合会の研究活動の推進によって同三四年九月には、松山市を会場として第一回愛媛県幼稚園教育研究大会が、実践的保育を中心として開催された。この会は後に愛媛県幼稚園連合研究大会として、東・中・南予を順に移動して開催する県下最大規模の幼稚園関係の実践的な研究大会となった。昭和六〇年四月二七日には、第三六回大会を砥部町・松山市の公私立幼稚園八園を分科会場とし、砥部町中央公民館を全体会場として盛大に開催している。
 国公立幼稚園協会(愛媛県国公立幼稚園長・主任会)は同四五年一二月一三日に、愛媛県国公立幼稚園教育研究協議会(愛幼研)を結成した。同会は、昭和五〇年第二六回全国国公立幼稚園長会総会・研究大会(愛媛犬会)を永井道雄文部大臣を迎えて開催した。また、同五三年七月二一・二二日の両日にわたり、第二五回全国国公立幼稚園教育研究大会(愛媛大会)を、砥部・からたち・重信・愛大附属・荏原・麻生・久万の七幼稚園を分科会場とし、松山市民会館を全体会場とし、会員二、〇〇〇人の幼稚園教育関係者を迎えて開催した。

図2-14 幼稚園就園率(全国)

図2-14 幼稚園就園率(全国)


図2-15 幼稚園就園率の変遷

図2-15 幼稚園就園率の変遷