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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

3 商業教育の高等教育機関

 県内における商業教育の高等教育機関としては、大正一〇年(一九二一)に松山高等学校が創立されて間もない、同一二年四月、郷土の先覚者である新田長次郎・加藤恒忠・加藤彰廉が郷土のための高等専門教育機関の設立を念願し、財団法人松山高等商業学校を創設した。当時、私立の高等商業学校は全国的にも、まだ数少ないものだった。その後、昭和一九年四月、松山経済専門学校と改称し、同二四年二月、松山商科大学に昇格した。
 なお、高等学校には定時制課程ができて、勤労しながら勉学する途が開けたこともあって、夜間の大学を設立してほしいという願いが生じ、同二五年ころから、松山市内定時制連合自治会がこれを共通の願いとして、その運動を盛り上げて、松山商科大学に夜間の短期大学を併置することが最も実現性が強いことに結論を得て、松山商科大学並びに県と市の当局へ、市民の支援のもとに熱心な陳情運動が展開された。その結果、その熱望と時代の要求が容れられて、同二七年四月、夜間短期大学が併設されることとなった。
 昭和三七年四月に経済と経営の二学部が設立され、同四七年四月に経済学部に、同四九年四月に経営学部に、それぞれ大学院が開設されて現在に至っている。
 他の私学に見られない組織と精神によって運営され、代々人格高潔な校長と学長を持ち、多くの人材を送り出している。地元はもちろん、全国の企業の首脳陣として、また、一橋大学・九州大学・大阪大学・神戸大学などの教授として活躍している人も多い。また、県内高等学校の商業科目担任教員数は、昭和五九年四月現在、一五六名であるが、その中で松山商科大学出身者が、九〇名の多きを占めており、本県の商業教育にも大きな役割を果たしている。