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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

2 「六・三・三制」下の理科教育

 終戦後の混乱を乗り越え、急速に進展した我が国は、今や高度に発達した情報化社会、高学歴社会を具現し、世界の先進国・教育国として国際的地位を確立した。この急激な時代の進展に即応して教育も大きな影響を受けることになった。ここでは数次にわたる理科教育関係の学習指導要領改訂の過程と、それらに対応する教育行政・研究団体及び研修・研究機関等の動向について述べる。

 学習指導要領の変遷と教育行政

 小・中・高等学校の教育課程や教育内容の基準を示した学習指導要領は幾度か改訂されるが、理科教育に関する授業時数や教科目の変化は表2-39のとおりである。
 学習指導要領改訂に示された理科の目標及び内容、指導上の留意事項の大きな流れは、昭和二〇年代においては、単元学習、特に生活単元を重視したが、同三〇年代の改訂では、それらの反省に立って、内容の精選と系統性に重点を置いた。また、昭和三〇年代から四〇年代にかけては、科学技術の急速な進展の影響を受けて、理科教育を重視。授業時数字必修単位数を増加し、科学的探究心の育成と科学的処理能力の養成に力点を置いている。しかし、同四〇年代後半からの高等学校進学率の急上昇による生徒の多様化に対応して高等学校に「基礎理科」を設置するなど、基礎的な知識・能力の育成にも努めることとなり、科学的知識量の増大する中で、指導内容の精選・集約は常に大きな課題となって続いた。同五〇年代になると、児童・生徒の多様化はますます激しく、青少年非行の増大・低年齢化、経済の低成長など多様な社会情勢の変化の影響を受け、豊かな人間性の育成・ゆとりある学校生活をめざす学校教育が叫ばれ、内容は極度に精選集約され、授業時数も削減されることになった。特に、大学入試の影響を受ける局等学校では「理科I」必修による学力低下を懸念する傾向もあり、今後の大きな課題となるであろう。
 愛媛県教育委員会は、これら一連の学習指導要領改訂に対応して、理科担当指導主事を中心に大学関係者、小・中・高等学校教員の協力を得て教育課程講習会、説明会などを実施して趣旨の徹底を図るとともに、愛媛県独自の方針や企画を樹立した。昭和二〇年代には、自作実験器具の製作、実験・観察方法の考案など、理科教育の大前提である「実験・観察」に重点をおいた方針を明示し、同三〇年代には「実験・観察指導内容の基準」を作成して施設・設備の改善を図り、「理科実験講座」を毎年開催して教員の資質の向上に努めた。また、理科の基礎的・基本的事項と内容の系統性を重視した指導内容の精選を行い、『理科指導上の留意点』『指導内容の系統性と構造性』などを発行した。昭和三八年県立理科教育センターを設立。「理科教育講座」「理科実験講座」「長期研修講座(一か月及び一か年)」その他各種の講座などを施設・設備の整った理科教育センターで行うことになり、研修成果は急速に向上、県下の理科教育は充実進展することになった。同四〇年代に入ると、科学技術のめざましい進歩は、理科教育現代化論を生み、「理科教育講座」は「理科教育現代化講座」と改称して継承するとともに、教育委員会は、児童・生徒の創造性の開発をめざして『自主創造の教育』を出版した。また、全国に先がけて小・中・高等学校の一貫性に立った理科教育の推進に力を注ぎ、同四三年の理化学、同四七年の生物教育と続く全国理科教育研究大会では、小・中・高等学校が協力して研究、公開授業を実施するなど、その成果を発表して全国の話題を呼んだ。同五〇年代は、「探究の過程」を重視する理科教育を目標に掲げて実践指導に取り組み、昭和五七年には総合教育センターを設立して更に内容を充実。現在豊かな人間性を育てる教育を重点目標に、児童・生徒の自然認識を深め、「豊かな自然観を育てる理科教育」をめざして、各教育機関が一体となって努力を続けている。

 研究・研修機関

 戦後の理科教育に関する研究或は研修については、前述の県教育委員会が主催する各種の研究会や研修講座などのほか、昭和二二年設立された愛媛県立教育研究所においても各種の研究がなされていた。その主なものを挙げると、理科能力表試案の作成(昭和二四年)、理科基準表(昭和二六年)、理科環境設備調査(昭和二六年)、理科標準学力調査(昭和二六~三〇年)、理科の指導系列(昭和三〇年)、理科における主体的学習(昭和三一年~三九年)などがある。これらの研究は、昭和三八年、県立理科教育センターの設立を契機としてさらに深められ、飛躍的な発展を遂げることになる。
 〈愛媛県立理科教育センター〉 愛媛県教育委員会は、小・中学校及び高等学校において理科教育に従事する教職員の資質の向上、とくに実験・観察の指導力の強化を図ることを目的として、昭和三七年度文部省の助成を受けて理科教育センターを建設することを決定した。このセンターは、全国では第八番目の理科教育センターとして建設され、巨額の県費を投じて施設・設備・内容等全国屈指のもので、理科教育の殿堂にふさわしい立派な施設であった。
 物理・化学・生物・地学の四分野のうえに、教材・教具の自作・修理の技術を研修するための理工教室を加えたもので、全国的にも特色あるものであった。上記の五分野ごとに実験室・研究室・研修室を完備し、講堂・会議室・天体観測室(ドーム)その他諸種の教室や休養室を総合的に活用できるよう設計され、ガスクロマトグラフ、分光光度計、天体望遠鏡、岩石切断研磨機など当時としては最先端の実験機器類が導入された。また、指導体制も所長を中核として各分野二名の研究主事、各分野一名の研究員が配置されるなど、理科教育の振興充実にかける県当局の意欲は並々ならぬものがあった。このことは、理科教育センター所報第一号に当時の所長尾崎弘が「……落成式の一か月も前から建物に入れるようになると同時に研修行事を始め、それがなんとかやって行けたということは、全国の理科教育センターの中でも類を見ないのではないかと思います。これは関係当局が建築の進行と平行して実験用機械器具類を発注し、建築完成と同時に内部設備も完備するという理想的な形をとっていただいたことにあります」と述べていることからも伺い知ることができる。
 開設当初の理科教育センター運営の基本方針及び行事計画は次のとおりである。
  一 基本方針
   (一) 県下の小・中・高等学校の理科担当教員の指導力と資質の向上を図る
   (二) 科学技術の時代において期待される人間像の実現につとめ、児童生徒の学力の向上と人間形成に励む
   (三) 研修行事の充実と調査研究の促進および施設・設備の活用を図る
  二 行事計画
   (一) 研修に関すること。
    (1) 短期研修ー理科教育講座、理科実験講座、へき地小学校理科教育講座、基礎実験講座、自作・修理技術講習
            会、採集標本製作講習会、理科指導者研修会、BSCS講習会
    (2) 長期研修ー長期研修講座(高等学校教員対象、一か月間)指導者養成長期研修講座(小学校教員三か月間、
            中学校教員六か月間、高等学校教員一か年間)
   (二) 研究・調査に関すること
    (1) 施設・設備の整備活用、実験・観察指導法の研究、研修テキストの作成、共同調査研究、教職員の研究奨励
    (2) 理科教育資料の収集、文献資料の調査と収集、理科教育センター所報の刊行
   (三) 児童生徒の研究奨励
      愛媛県児童生徒の理科研究作品の募集と表彰、日本学生科学賞への応募奨励と愛媛県審査の実施
 昭和四〇年代に入ると、科学技術の急速な進展とともに、PSSC、HPP、ESS、BSCS、CHEMS、BSCPなど欧米を中心とする画期的な理科教育体系の流入が始まったが、実験・観察を第一義として自然を正しく理解し、合理的な態度で自然の事象を見つめようとする理科教育の根底はゆるぎがなく、この基本方針と行事計画は、講座の名称に現代化講座あるいば特別講座などといった語が現れる程度で、基本的な精神はその後も変わることなく承け継がれていくことになる。
 このように、理科教育センターは、県教育委員会高校教育課及び義務教育課と緊密な連携のもとに、理科教育の殿堂として、本県理科教育の充実発展に大きな足跡を残しつつ、時代の要請に従い、次に述べる総合教育センターへと移行することになる。
 〈愛媛県総合教育センター〉 昭和四一年、県立理科教育センターの隣接地に新庁舎を増築し、教員の現職教育をより一層総合的・有機的に行う目的をもって、愛媛県教育センターを設立した。ここに、従来の県立教育研究所及び県立理科教育センターの業務を発展的に解消し、愛媛県教育センターに統合されることになった。理科教育に関する研究・研修は第二研修部理科教育室の所管となったが、業務は従来通り運営された。やがて、同五七年、時代の要請と教育界の期待に応えて、松山市上野町に広大な敷地を有する愛媛県総合教育センターが建設され、県立中央青年の家を隣接し、近代的な施設・設備を誇る総合研修センターが誕生することとなった。理科教育室もさらに充実され、「豊かな自然観を育てる理科教育」の実現を目指して、活発な活動を展開している。
 〈愛媛県立博物館〉 昭和三四年愛媛県立図書館付属博物館として開館、同三六年独立して愛媛県立博物館となる。開設当時は松山市二番町にあったが、同五〇年松山市堀之内に新設された愛媛県教育文化会館内に移転した。自然史専門の博物館で館蔵資料約一四万点、貴重な資料も多く日本有数の博物館である。七四〇㎡の常設展示場には、主として愛媛県の自然に関する資料約一万二、〇〇〇点を展示している。常設展のほか特別展(年四回)、ロビー展(毎月)、移動博物館(年一回、県下五地域)、親と子の博物館教室(年一六回)などを開催し、また毎年研究報告的な資料を出版、県民全般に対し科学教育の普及に努めている。主な出版物は、『愛媛県のカミキリムシ』『愛媛県のトンボ』『宇和島地方の化石』『愛媛県のオサムシ』(以上学術研究資料)、『地学的な見学と採集案内(松山市とその周辺)』『やさしい樹木の見分け方』『親と子が自然に親しむための小動物の採集と飼育』『野村町付近の地質』(以上自然科学普及シリーズ)などである。なお、関連事業として愛媛自然科学教室を開講、会誌『愛媛の自然』を発行している。

 理科教育研究団体

愛媛の理科教育の進展は、研究団体の活躍によるところが極めて大きい。その主な研究団体と活動の様子を挙げておく。
 〈愛媛県科学教育研究会〉 愛媛県科学教育研究会(愛科研)は、昭和二七年度に第一回研究大会を愛大附属小学校で開いて発足した。以来、同三八年愛媛県教育研究協議会(愛教研)理科部として統合解消するまでの一二年間、各種の事業(研究会および研究発表会・講習会や講座・会誌の発行・展覧会・四国理科研究会等)を通して、本県の科学教育の振興と文化の向上に貢献してきた。この愛科研一〇年の歩みを、会長八木繁一は次のように述べている(愛科研資料10・13集)「昭和二〇~二三年ころから松山地方の理科同好の者が集まって、研究会を軌道にのせてはと、話し合いがもち上がり、ようやく同二七年になって第一回の大会が開かれた。爾来、年々範囲も拡大し会員も増加した。研究大会は東・中・南予と年々場所を巡って開会した。この研究会には特別に目標とか趣旨の如きものは設定していない。ただ一〇年間に自然に培われたものが、あたかもそれらしく年々盛りあかって生長した。その主なものを拾ってみると、①人の和ーー理科同好者は互いに胸襟を開いて何でも話し合いができたこと、各郡市の同好会行事に他郡市からの参加者が多数あったこと、四国四県の大会が生まれたこと。②自由研究――教育の方法論も必要だが、内容の充実が本会ではより大切だと、各自の得意とする分野の研究に専念し、その結果を犬会あるいは会誌に発表して、互いに掘りさげてそれを教育の場に生かしていった。③盛りあがりの会――教師ばかりでなく、子供もともに、研究発表をする会示生まれた。更に発展して四国児童・生徒科学体験発表会となった。④自然科学教室の誕生――先生と児童・生徒が一緒になっての研究発表会が年々充実してきた。しかも楽しい催しとなるにつれて、青空の下でともに自然に親しむ会へと発展していった。⑤一〇年の歳月――科研一〇年の努力は、県下理科教育の上に、偉大なる業績を残してきた。」会誌『愛科研資料』は一三集で終わりとなったが、自然科学教室、児童生徒理科研究作品や四国理科研究会並びに体験発表会は、県総合教育センター理科教育室や県立博物館、愛教研理科部の事業として引継がれ実施されている。
  〈愛媛理科教育学会〉 愛媛理科教育学会は、昭和二九年五月愛媛大学教育学部記念講堂で、創立大会を開いて誕生した。本会の使命について会長永井浩三は、次のように『愛媛理科教育』(第三巻第一号)で述べている。「本会は新制大学設立によって教員養成学部に理科教育法の科目が設けられたのを機会に、県下でこの方面に関心をもたれる方々が互いに手をとりあって、この学問を研究し発展させる事を念願して発足したものである。また、同じ様な趣旨で、すでに組織されていた全国的な日本理科教育学会と有機的な連携をとる事も本会の性質上当然であると考えていた。したがって本会の使命は理科教育方法学の研究・発展を計るのであるから、単に理科の各部門の研究だけでとどまるのではなく、きわめて多くの重大な責務をもっているのである」と。この会の事業は、①研究発表会・講習会・展覧会等の開催、②会報の発行 ③その他総会評議員会理事会の決議によって適当と決められたこと、となっている。本会の総会並びに研究発表は毎年五月の初めに、愛犬附属小・中学校と記念講堂を会場として持たれ、理科の公開授業・研究発表並びに研究討議、そして特別講演等が企画された。なお同三一年度の研究大会からは、次のような主題が設定された。()中は年度)
  ○問題解決学習と系統学習との統合の実際(31) ○小・中・高校の系統的実験観察指導の実際(32)
  ○科学的思考力を善う理科指導の実践(33)(34)(35) ○新学習指導要領による理科学習指導上の諸問題(36)
  O題材の選択とその指導目標の研究(37)    O理科学習指導の現代化(系統性・順次性・本質・効率化)(38)
 会誌の発行は、県下各地の学校現場の教師、大学の先生の協力はもちろんのこと、県外の有識者からの賛同をえて、同二七年一二月の十周年記念特集『理科学習指導の現代化』まで続いた。この理科教育学会も、同三八年四月二七日、第一〇周年記念大会を最後に愛教研理科部へと発展的に解消した。
 〈愛媛県教育研究協議会理科部〉 愛媛県教育研究協議会(愛教研)は、昭和三五年九月 愛媛の教育を憂い、愛媛の子供の幸福を願う先輩の英知と勇気によって誕生した。結成後一年三か月ぶりに第一回愛媛県教育研究大会理科分科会が、松山市立東雲小学校と小野中学校で開かれた。小・中学校別に各分科会場にわかれて、実演授業と研究発表・研究討議が実施された。このような教科等を中心とした方式で、同四八年の第一三回まで開かれた。同四九年度からは、統。大会(研究テーマの討議と研究)と分散大会(各管内ごとに全会員が参加しての実践研究)に改められた。県下には各郡市ごとに支部が結成され、活発に研究活動が展開された。愛教研の組織の中に、同年三九年四月、新しく理科部(当初は部門)が設置された。これは、二つの研究会(愛媛県科学教育研究会と愛媛理科教育学会)の理解と協力による統合であり発展であった。これらの二つの研究会の事業のうち、児童生徒の研究作品に関する県下小・中学校理科研究発表は、県立理科教育センターに移り、他の研究会や講座・会誌の発行・教育資料の作成などは、理科部が引継いで実施している。会誌は、年度の研究主題・研究大会の要項・研究内容や発表・各支部の活動の様子など、同三九年の第一号から現在まで第二一号を発行している。
 愛教研理科部主催の第一回愛媛理科教育研究大会が、同四四年八月松山市立新玉小学校と余土中学校を会場として開催された。研究主題は「児童生徒の思考活動をすすめる理科指導」であり、講師の文部省調査官武村重知を迎えて盛大な会であった。この大会は、愛教研研究部の事業計画に基づいた〝理科学習改善のための〟研修会の開催であった。現場で理科指導を実践してきた会員が、全く自発的に自由に参加して互いに問題を提供しあい、究明していこうとする自主的研修の場であった。当時の理科部委員長深井辰男は、次のように松山市科学研究集録(第一九集)で述べている。「最近研修的行事が多過ぎろとの、そしりがあることを耳にするが、この研究会は県教研大会とは自らその性格を異にし、理科部自体の研修の機会であり、多数の意志により、あえて企画開催したものである」と。以来、この愛媛理科教育研究大会は、毎年度開催しており、教材研究や教案の立てかた、学習指導など現職教育の場であり、愛媛の理科教育推進の中核となっている。なお愛教研理科部は、四国理科教育研究会・全国小学校理科研究協議会・中四国中学校理科教育研究会・全国中学校理科教育研究会に加盟しており、次のような研究大会を開催してきた。()中は年度)

  ○四国理科教育研究会(37)・(41)・(46)・(57)   ○四国児童・生徒科学体験発表会(37)・(41)・(46)・(49)・(54)・(57)
  O中・四国中学校理科教育研究会(46)・(57)  ○全国中学校理科教育研究会愛媛大会(57)
  ○全国理化教育大会愛媛大会(43)      ○日本生物教育会第二七回全国大会松山大会(47)

 また、教育資料として次のような刊行物がある。①テスト類(診断・単元・実力の各種類)・学習帳(小・中学校生用)を理科部が編集し、教育会で発行している。 ②理科研究紀要は同三九年理科部の発足以来現在まで二一号となる。 ③その他、小・中学校用理科指導資料、及び愛教研教科等研究シリーズ「よくわかる理科学習」も教育会で発行した。
  〈高等学校理科教育研究会の推移〉
 高等学校については、昭和二三年発足した新制高等学校の教育課程に「物理」「化学」「生物」「地学」の四科目が登場することになったため、これら新しく誕生した各科目の内容や指導方法についての研究の必要性が日増しに高まり、各科目ごとに研究会組織結成の胎動が続いていた。
 同二七年、生物担当教員有志二五名によって、愛媛高等学校生物教育会(代表山木四郎、以下生物教育会という)が結成され、翌二八年会誌『愛媛生物』を創刊した。同二九年生物教育会は、県下生物担当教員全員が加入する研究団体(初代会長宮本康彦)に発展し、東・中・南予にそれぞれ支部を設けた。同年東予支部は会誌『東予生物』を創刊している。やがて同会は日本生物教育会に加入し、愛媛支部となった。一方、「理科教育振興法」制定を求める動きに対応して、物理・化学・地学担当教員有志によって推進委員会が組織されていたが、昭和二八年、それを発展させて愛媛県理化学会(初代委員長仙波光三、以下理化学会という)を結成した。同三〇年日本理化学協会に加入、愛媛支部となり、『会誌』を創刊した。ここに県下高等学校理科担当のすべての教員は、いずれかの研究会に所属して、教育研究や研修活動を行うことになった。その後、両会はそれぞれ毎年研究会や研修会を開催して資質の向上に努め、会誌を発行して高等学校理科の推進を図った。
 科学技術の急速な進展と高度経済成長の中で、昭和三五年「新学習指導要領」が告示され、同三七年県立理科教育センター設置決定などを契機として、理科教育研究会統合の気運が高まり、同三七年一二月、従来の理化学会・生物教育会を統合し、愛媛県高等学校理科教育研究会が結成されたのである。さらに、翌三八年高等学校関係の研究諸団体を糾合して愛媛県高等学校教育研究会が発足することとなり、愛媛県高等学校教育研究会理科部会(初代会長福井薫、会員数三六二名、以下高教研理科部会という)と改称した。高教研理科部会は、物理・化学・生物・地学の四部門を設置し、『愛媛生物』及び『愛媛県理化学協会会誌』を総合して、新しく『愛媛高校理科』を創刊した。初代会長福井薫は『愛媛高校理科』の創刊に当たって「この会誌に収録されたものは、物理・化学・生物・地学など理科の全領域にわたっての研究成果であり、会員相互の視野を広め、今後の専門分野の研究を進める上でも、また日頃の授業を進める上でも大いに役立つことであろう」と述べている。
 高教研理科部会の各部門は、部門ごとに毎年研究発表会や現地研修会を開催するとともに、理科部会総会を開き、相互の理解を深め、理科教育全般の発展に努めてきた。また、昭和四二年度から物理・化学・生物の各実験ノート、ワークブック、問題集、地学学習帳などを、県内高等学校生徒の実情に沿って自主編集するなど高等学校教育に大きな役割を果たしている。なお、各部門が一体となって、同四三年度全国理科教育大会、同四七年度日本生物教育会全国大会、同五九年度全国理科教育大会を開催して成功させ、あるいは全国に先がけて「理I」特別委員会を組織して研究に当たり、『理科I実験実習指導の手引き』を刊行するなど、本県科学教育進展の要として活動している。同五八年、創刊二〇周年を記念して、理科各部門の活動を回顧し、各種の研究を網羅した『愛
媛高校理科特集号』を発刊した。なお、生物部門では、昭和四七年『愛媛の生物』を発刊、同五一年度から会員全員による県内各地の総合調査を企画、同五三年には『伯方島の生物』、同五九年には『佐田岬の生物』を完成して刊行し、郷土自然史の発展に寄与するとともに、全国的な評価を受け、日本生物教育会
全国大会において、表彰の栄に輝いた。

 全国及び中・四国大会

愛媛県小・中・高等学校の理科教育に関する各種の研究会には、それぞれ組織の総力を挙げて取り組んできたが、特にそれらの中から全国的に注目をあびた研究大会について挙げておく。
  〈第六回四国理科教育研究大会〉 ○会場「松山市立東雲小学校・城東中学校(昭和四一年一〇月)」 ○研究主題「創造的な学習態度を助成し、思考力を深化する学習指導法」  分科会
は「子どものわかりかた」を中軸にした授業研究を展開、理科教育の研究は、個人の名人芸であった時代を過ぎたことを認識し、会場校を中心とした研究体制を組み、共同で研究した成果を交流する場へと方向づけた。
  〈第三九回日本理化学協会 全国理科教育大会愛媛大会〉 ○会場「松山市立東雲小学校・勝山中学校・御幸中学校・県立松山東・南・北各高等学校(昭和四三年八月)」 O大会主題「新しい理科教育の内容と指導法について」  大会主題にふさわしく小・中・高校が協力して、小・中・高一貫性の立場から小・中・高の各学校で参観授業を展開して、愛媛の理科教育の姿を提供した。さらに、現地研修を組み込み、それぞれの専門的立場で随時随所で説明して成果を挙げた。
 〈第八回中国四国地区中学校理科教育研究会 第一〇回四国理科教育研究大会〉 O会場「松山市立八坂小学校・道後中学校(昭和四六年一〇月)」 O研究主題「理科教育の近代化ー科学的能力の育成をめざす効率的な学習指導ー」今回から研究視点(小学校ー事象の共通点・差異点、分析と因果関係、定量的な処理と推察、中学校―探究の過程とエネルギー概念、生活・生物現象、時間と空間の概念)を設定して授業公開をしたり、研究発表や協議を行った。
 〈日本生物教育会(JABE)第二七回全国大会 松山大会〉 理科教育振興法制定二〇周年記念 O会場「松山市立桑原小学校・拓南中学校・県立松山南高等学校(昭和四七年八月)」 O大会主題「新学習指導要領における生物教育のありかた―物質交代とエネルギー交代―」小・中・高校一貫教育のもとで、学習指導の研究や児童・生徒の発達に応じた生物現象の見方・考え方を研究し、公開授業(高校)の実施、実践授業のVTR(小・中学校)、平素からの指導研究・生物に関する真摯な研究発表等大きな感銘を与えた。また、生物の生態調査報告と共に自然保護に関する発表は、大きな注目をあびた。
 〈第二九回全国中学校理科教育研究会 第一八回中四国中学校理科教育研究会 第一五回四国理科教育研究会愛媛大会〉 理科教育振興法制定三〇周年記念○会場「松山市立湯築小学校・道後中学校(昭和五七年一〇月)」 O大会主題「豊かな人間性を育てる理科教育」 O研究主題・中学校 「身近な自然に問いかけ、自ら解決していく活動を大切にする理科学習」・小学校「身近な自然に親しみ、豊かな発想を生み出す学習活動」、小・中学校の公開授業では、基礎的・基本的事項をおさえ、ゆとりある充実したものへと、児童・生徒の情動を尊重し、教える教育から学びとらせる教育への質的転換を図り「授業の主役は児童・生徒にある学習指導」を展開した。全国中学校理科教育研究大会でこのような授業公開ははじめてで、極めて高い評価を受けた。
 〈第五五回日本理化学協会総会、昭和五九年度全国理科教育大会〉 O会場「市民会館・県立松山東・南・北各高等学校(昭和五九年八月)」 O大会主題「生徒の実態に即した理科教育」、主題に即して、会場各高等学校において研究授業を公開、また「理科I」及び理科全般について一六分科会を設けて、心豊かでたくましい人間を育てるために、生徒の実態をどのように把握し、認識するか、科学的自然観を育てるにはどのように指導するか。など活発な討議が交わされた。特に、新しく設けられた「理科I」の指導法については、多くの研究発表がなされた。なお、ノーベル賞受賞の福井謙一の「創造性と教育」と題する講演は多大の感銘を与えた。

 児童・生徒の研究奨励

愛媛県科学教育研究会(愛科研)の一つの事業として、県下小・中学校理科研究発表会は昭和三八年まで九年間開催された。この理科研究発表会は小学校低学年・高学年、中学校の三部門からなり、その入選作品(特選)の中から愛科研主催の県内教育研究大会と四国児童・生徒科学体験発表会で発表してきた。これらの発表を通し、また、他県との交流もあり、自由研究への意欲が大いに盛りあがった。
 愛媛県児童・生徒理科研究作品の募集及び優秀作品の表彰は、同三八年に愛媛県立理科教育センターが開設されたのを契機として始まった。この催しは、従来から行われていた「日本学生科学賞」と「県下小・中学校理科研究発表会」のそれぞれの趣旨や業績を継承して、より強力に、愛媛県下の小・中・高等学校児童生徒の自然科学に対する関心を高め、科学的な研究を奨励し、もって本県理科教育の振興に役立てようとするものである。そのため、教育センターの理科研究室では、毎年入選作品の中から優れたものを選んで集録し、研究の仕方やまとめかたを加えて、『科学研究のてびき』として県下に配布している。同六〇年で二三回を重ね、応募作品は量・質ともにすばらしく向上している。なお、それらの研究作品は、県立博物館に展示し啓蒙に努めている。
 日本学生科学賞は、全日本科学教育振興委員会加主催し、読売新聞社の後援のもとに、昭和三二年度に創設されたものである。全日本科学振興委員会は科学立国の大スローガンのもとに、わが国の科学者・科学教育指導者・有識者に行政面代表も加えて一九五六年末発足、その事業の第一歩として、明日の日本を背負う科学青少年の育成運動にのりだし、全国の中・高校生を対象に設けたのがこの日本学生科学賞である。県の審査(最優秀・優秀・優良・佳作)で最優秀賞に選ばれると、県代表として中・高校生部門ごとに三点ずつ中央審査に送られる。本県からも文部大臣賞や学校賞など、数多くの作品が入賞しており、県科学教育のレベルの高さが全国的に認められている。ここに、日本学生科学賞の歩みとして、中央審査で入賞・入選した作品を紹介しておく。
 愛媛自然科学教室は、昭和三四年四月県立博物館の開設と同時に、館外活動として発足した。この教室の目的は、県民の科学する芽を養い育て、また同好者の親睦を計り、文化の向上に貢献することである。その活動は、松山市に本部が開設されて以降、同三五年宇和島市に、同三六年には今治市・新居浜市にも支部が設立されて、全県的な教育運動となった。現在では松山・宇和島・今治に支部を持ち会員は一五〇〇余名に達している。事業は、①野外活動 ②室内学習会 ③会誌の発刊である。会誌『愛媛の自然』はB5判の月刊誌で、内容は愛媛県内の自然物について各研究者や会員から投稿されたものを掲載している。第一巻同三四年(一九五六)五月第一号〝新緑の岩屋寺〟特集から現在第二七巻、第一二号、通巻三二一号(昭和六〇年一二月)に及んでいる。県立博物館では、この報文をさらに活用できるようにと、「愛媛の自然総合目録1巻~10巻」(同五六年三月)と「愛媛の自然総合目録 11巻~20巻」(同五七年三月)を発行するとともに、それらの報文を地域別にまとめた「高縄半島の自然」(同五八年三月)、「宇和島地方の自然」(同五九年三月)、「石鎚山とその周辺の自然」(同六〇年三月)を発行している。
 また、愛媛県立博物館では、親と子の博物館教室(年間一六日)を開催し、小学校五・六年生及びその父兄を対象として、植物や昆虫の標本、プラスチック標本、化石標本模型などの作り方今理科自由研究のすすめ方などを指導している。

 県下小・中学校理科教育の推移

 愛媛大学附属小・中学校は創設以来常に愛媛県教育の主軸としての教育活動を展開してきたが、理科教
育においても幾多の指導者が輩出し、それぞれの時期の県下理科教育の先達となっている。明治時代では未だ国家基準の教育課程の不備のところから、教育課程の研究と見られるもの、また事物教授としての郷土教育史を課することの可否などが研究されているが、総じて一斉授業そのものに対しては疑いをもたず、その効果的指導の在り方を、ペスタロッチの開発主義、ヘルバルト派の教授法に求めているが、大正時代以後については、愛媛教育研究大会の研究主題や附属小・中学校の研究紀要から県理科教育の推移を推測することができるので次に掲げる。
 附属小学校 (注) (主)は研究主題 ○は発表題 数字は年度
  (主) 理科教授に於ける自由観察 大一〇
  (主) 科学教育の在り方 昭二二
  (主) 国民学校における科学教育 昭一六(主) 練成の真義に徹する科学教育の実際 昭一八  〇 理科における観察と思考の指導系列 昭二八
(主) 新しい教育課程の在り方 昭二二       〇 創造性を高める理科指導 昭三四
○ 理科学習に於ける能力別指導 昭二五     〇 理科新教材指導の実際  昭三六
〇 児童の間題構成は如何に指導するか 昭二六
 ○ 観察実験における観察目標のもたせ方 昭三七
 〇 個人の定着をはかる理科指導 昭四一
 〇 創造性を伸ばす思考過程 昭四三
 〇 科学的思考力を伸ばす学習過程 昭四四
 〇 理科教育の現代化と教材化 昭四五
 〇 累積効果を高める理科学習のシステム化 昭四七
 〇 統一的な見方や考え方を育てる指導 昭四八 
 〇 自然を探究しようとする子どもの育成 昭五一
 〇 豊かな経験をし確かな考えをもつ理科学習ー新しい教育課程の理論とその検討― 昭和五二
〇 充実感の持てる理科学習ー意欲的な活動をうみ出す学習― 昭五五
〇 自ら自然にはたらきかけ考える子どもを育てる理科学習
   ―自然とのふれ合いを求めて― 昭五八

附属中学校
 ○ 実験器具操作表 昭二七           〇 プログラム学習の実践とその検討 昭三八
 〇 実験指針(各単元毎生徒用) 昭三〇     〇 学習形態(個別・分団学習)の在り方 昭四〇
 〇 実験学習に於ける指導過程 昭三二
○ 創造的思考力を育てる学習指導  昭四三
〇 仮説設定の過程における創造性のは握 昭四四
〇 探究の過程を重視した学習指導  昭四五
〇 学習指導における科学の方法  昭四六
〇 近代原子論の起源と現代教育における粒子概念の導入                      昭四七
〇 意欲的に学習した過程とその考察 昭四九
〇 実践とその評価的観点からの考察 昭五〇
〇 お互いの考えを高めあう理科の学習指導 昭五三
〇 自己をみつめ高める理科の学習指導 昭五四
〇 学びあう中で自然への関心を高め豊かな認識力を育てる理科の学習指導 昭五六
〇 追求的活動を促す学習指導と評価の工夫 昭五八
〇 個を生かす理科学習指導のあり方 昭六〇

表2-39 学習指導要領改訂に伴う週当たり授業時数(高等学校は単位数)の変遷1

表2-39 学習指導要領改訂に伴う週当たり授業時数(高等学校は単位数)の変遷1


表2-39 学習指導要領改訂に伴う週当たり授業時数(高等学校は単位数)の変遷2

表2-39 学習指導要領改訂に伴う週当たり授業時数(高等学校は単位数)の変遷2


表2-40 日本学生科学賞全国審査入賞・入選一覧1

表2-40 日本学生科学賞全国審査入賞・入選一覧1


表2-40 日本学生科学賞全国審査入賞・入選一覧2

表2-40 日本学生科学賞全国審査入賞・入選一覧2


表2-40 日本学生科学賞全国審査入賞・入選一覧3

表2-40 日本学生科学賞全国審査入賞・入選一覧3