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愛媛県史 文 学(昭和59年3月31日発行)

3 放送脚本

 ラジオ、ことにテレビの驚異的ともいえる普及が一般化した昭和三〇年代以降は劇は家庭の茶の間にあって観るものになった。映画も劇場映画からテレビのための放送映画制作が行われる。こうした映画的手法とは別にフィルムによらないVTRテレビドラマの需要が急激に増加した。ラジオもまた情報伝達としてのみならず、音による想像表現の奥深さのゆえにラジオドラマは愛好者の根強い支持にささえられている。放送脚本家で東京にあって活躍する人たち、地元愛媛のローカル局(NHK松山・南海放送・愛媛放送・FM愛媛)のために筆を振う人たち、それぞれに特徴ある作品を生み出して視聴者に強い印象と感激を与える。

 (1) 在京放送作家群像

 御荘金吾 (明41~ 御荘町出身)は喜劇脚本・映画脚本作家として出発し、テレビ映画・テレビドラマの脚本を書く。市川右太衛門プロダクション・千恵蔵プロダクション・日活・大映で映画シナリオを、東宝劇団部にあっては「エノケン劇団文芸部」を担当し喜劇台本を書いた。戦後はNHK専属作家としてラジオ台本を手がける。脚本集に『おっぺけぺい・壮士役者川上音太郎』がある。テレビ連続物で中村翫右衛門を起用し「徳川夢声交遊録」を企画したが夢声の死で具体化されなかったこともある。戯曲に『貧乏神物語』。ミショウプロダクションを設立しテレビ映画を制作する。
 早坂暁(昭4~ 北条市出身)本名富田祥資。数多くの芸術祭受賞作品の脚本を担当した代表的テレビシナリオライターである。社会のワクからはみ出した人間や、底辺で生きる女を描いたドラマが多いことから社会派と呼ばれている。「水と風」(ベルリン国際映画祭ドキュメント部門最優秀賞)のほか、NHK『ドラマ人間模様』シリーズで「事件」「続・事件」その他、『土曜ドラマ』シリーズで「暁は寒かった」など、「修羅の旅して」(NHK)、「小児病棟」(日テレ)、時代調パロディー「天下御免」(NHK)、七時間ドラマ「関ケ原」(TBS)、テレフィーチャー(テレビを対象とした映画)「時間よ、とまれ」(テレビ朝日「土曜ワイド劇場」)などの名脚本を書きつづけ、「夢千代日記」「新・夢千代日記」(NHK)を担当する。また南海放送創立二五周年特別記念番組・テレビエッセー「わが兄はホトトギス」では、病苦のなかに生きる正岡子規の男らしさを、妹・律を通して描いた(子規・岸田森 律・佐藤オリエ、昭53・6・18放映)。なお「父からの歌声」(南海放送・昭57 芸術祭大賞)がある。
 和田嘉訓 (昭10~ 松山市出身)東宝専属の映画監督からソニーの広報課長に転ずる。東宝撮影所では黒沢明の「用心棒」「椿三十郎」や稲垣浩などの助監督をつとめ、かたわら多くの脚本を書き、「自動車泥棒」を監督した。斬新な手法で当時の若者の閉塞した心情を訴えたが興行的には不振で、その後は「ドリフ」「コント55号」などのプログラム・ピクチャーづくりを担当した。映像的感覚の鋭い「銭ゲバ」「ゴルゴ13」、未放映の「脱出」を撮ったが、のち意を決して映画界を去り、ソニーでビデオ・ニュースを制作する。代表作に「ドリフターズですよ!前進前進また前進」(昭42)、「ザ・タイガース 世界はボクらを待っている」「ドリフターズですよ!冒険冒険また冒険」「コント55号・世紀の大弱点」(昭43)、「ドリフターズですよ!全員突撃」(昭44)などがある。
 砂田量爾 (大15~ 今治市出身)岩波映画で中学生向科学映画脚本を書く。名神高速のPR映画脚本なども手がける。スケールの大きい性格で反骨精神の強い砂田は、世の中の矛盾を創り出すものは人間であり、その人間が矛盾と闘わねばならないことを強調する。人間の歌シリーズ「風の色」(TBS 昭48)は身体障害者の精神の純粋さを追求した脚本で、当時身障者を車椅子で画面に出すのは抵抗感が強かったがあえて車椅子を前面に据え、身障者の社会復帰の契機をつくった。砂田は人間の赤裸々な姿を求めて人間のなかに裸足でいりこむ。「この愛なくば」(NTV 昭55)がそれである。社会派脚本作家として「山を走る女」(NTV 昭56) 「生命果てる日まで」(ANB 昭56)など、「東芝日曜劇場」ものを含め約五〇本の脚本を書く。「七人の刑事」(昭36)は砂田の処女脚本であった。
 伊達宗克 (昭3~ 松山市出身)筆名細木 砂。東京日日新聞(昭28~29)、NHK(昭28~)記者。著書に『警視庁』(共著 三一書房 昭31)、『裁判記録・三島由起夫』(講談社 昭47)、『天皇の外交』(現代企画室 昭50)、『日本の勲章』(りくえつ 昭54)、『放送記者』(りくえつ 昭55)のほか、「菊の園」(「インテルサット」第三政経研究会 昭53・1~)、「天皇家の四季」(「婦人画報」昭56~)を連載。脚本にNHK特集「密室の決断」(昭55・9・29)、「天平の秘密」(昭56・11・9)、ルポルタージュにっぽん「楯の会の歳月」(昭55・11・1)などがある。
 長尾広生 (大9~ 松山市出身)本名長野広生 戦後、愛媛新聞社に在籍したが上京。テレビドラマ脚本「進藤刑事」(KRTV・昭36)、「神坂四郎の犯罪」(TBS・昭36)、「ふり向けばひとり」、「ただいま十一人」、「銭形平次」、「愛ある日々」(TBS・昭48)などがある。
 青野 暉 (昭6~ 宇和島市出身)青島幸男参議院議員秘書。脚本「いじわるばあさん」を書く。

 (2) ローカル放送  NHK・RNB・EBC

 NHK松山放送局の開局(昭16・3・9)・南海放送(RNB)の開局(昭28・10・I)は、戦前・戦後のラジオ文化の地域化を象徴するものといえよう。その後、テレビが(NHK松山=昭32・6・1、RNB=昭33・12・1)映像による強烈な印象づけによって放送文化に画期的な変革をもたらした。さらに愛媛放送(EBC)の開局(昭44・12・1)によって多様多彩な映像がブラウン管に登場する。ローカル三局はそれぞれの路線を歩んで、しかも常に進路を変更しつつ自局番組を制作しつづける。ラジオドラマもNHK・RNBによって、あるいはテレビと並行し、あるいは凌駕し、あるいは退潮しながら交錯のうちにローカルものを継続する。ラジオはFMが加わり、NHK松山(昭37・12・14)、のちFM愛媛(昭57・2・1)が開局した。

 NHK松山放送局

 昭和一六年、松山放送局開局にともない「松山声の小劇場」(光田稔)などが放送されたが、さまざまなローカルものが多量に電波にのるのは戦後のことである。敗戦直後は天気予報だけがローカルな放送であったが、ニュース・農事メモがはじまり(昭21・5・1)、「郷土の手帳」(昭21・9・6)、「農村演劇教室」(昭22・3~)が開始された。民主主義の徹底を主眼とする連続キャンペーンドラマ「あなたならどうしますか」(昭22)はコミュニティ・ショウ「我々の町シリーズ」(高橋文雄・坂本忠士・川本三郎 毎週金曜日・30分番組)となり、青年向け教養ドラマ「若い歩み」(坂本忠士・川本三郎 昭28・15分番組)・「ふるさとの声」(15分ドラマ 光田稔・村田修子・菅野清)がはじまる。この間、正岡子規五〇年祭に「正岡子規」(坂本忠士・昭26・9 市庁ホール公開録音)、「信夫の笛」(洲之内徹・昭26・11 放送芸能祭参加番組全国放送)、「春の潮」(渥見五郎=坂本忠士・昭52・3 全国放送)がある。「月曜文庫」で(渥見五郎=坂本忠士脚色)、「曼珠沙華」(正岡子規)、「国士無双」(伊勢野重任・伊丹万作)、「南国抄」(丹羽文雄)、「梅雨霽れて」(岡田禎子)が、「愛媛偉人伝」(坂本忠士)で一遍上人・三瀬諸淵・井上正夫・盤珪禅師・児島惟謙が制作され、「樹氷」(洲之内徹)、「不肖の子ら」(坂本忠士)が放送された(以上、昭28)。「悪夢」(芥川竜之助「偸盗」、「南海剽盗伝」、「城のある町」、「花火」(以上、脚色坂本忠士 昭29 45分ドラマ)(以上、昭29)が、また文部省主催芸術祭ラジオ部門参加ラジオドラマ「わざびと」(坂本忠士 昭32)、「青春宿」(坂本忠士 昭33 団体奨励賞)、「繭町と津波町が喧嘩した話」(坂本忠士 昭34)、「海の鎖」(小田武雄 昭35)がつくられた。またドキュメンタリー「村の階段」(坂本忠士・14回連続)、「青春の谷間」(坂本忠士・13回)がある。開局二〇周年記念には懸賞ドラマ当選作品「三崎牛」(川中幸一 昭36)が放送された。「ラジオ小説」(毎週1回 25分 昭34~)は「郷土劇場」(昭36~ 30分)を経て、「四国芸能ホール」(昭38)・「ラジオ小説」(昭39)・「四国ラジオ小劇場」(昭39)・「四国百年」(昭43)など、ときどきの枠番組名を与えられつつ「四国ラジオ劇場」となりラジオドラマの主流として現在にいたっている。この四国ラジオ劇場と文芸劇場とを合わせたドラマ制作本数を年間ごとに集計すると、昭和34年(14)、35年(21)、36年(22)、37年(31)、38年(31)、39年(30)、40年(38)、41年(28)、42年(40)、43年(42)、44年(39)、45年(32)、46年(32)、47年(18)、48年(21)、49年(20)、50年(24)、51年(17)、52年(19)、53年(23)、54年(15)、55年(19)、56年(19)、57年(15)、58年(14)となり、六〇〇本を超えるドラマが放送されている。加えて「ネズミ島騒動」(名本栄一)「辺地にて」(三根生りつ子)、「佐田岬」(中沢昭二)、「大森彦七」(池波正太郎)、「霧山侍」(坂本忠士)、「犬神の女」(寺山修司)、「潮風の手紙」(小田武雄)、「島」(三浦哲郎)などの単発もの約三〇本、「えひめの女性」枠のうちの 「民謡ドラマ」を合わせると七〇〇本を超える。また「子供劇場」 「こどもホール」 「こどもの四季百科」 「金曜広場」などの児童向けドラマも制作されている。これらもろもろの番組枠での脚本・脚色に名をつらねるのは、池内昌之・嶋岡晨・南四郎・瀬川頼一・高橋丈雄・名本栄一・坂本忠士・菅野清・中沢昭二・粟谷章平・古田芳生・岡田みゆき・蛇留吉・ふじたあさや・阪本佐多生・片岡文雄・高田智之・天野祐吉・能勢紘也・山崎耕作・加藤直・江戸南平・海老原一味・菊池佐紀・中村勝・和田良誉・須川将・香取俊介などである。
 松山放送局制作の最初のテレビドラマは「海の碑」(菊池寛「海の勇者」坂本忠士脚色 昭37・3・28 後2・20~)であった。第二作は「山掟」(ノリメ「マテオ・ファコーネ」市原麟一郎脚色 昭37・6・17)、第三作「佐田岬」(中沢昭二 昭37・10・28)ははじめて全国中継された。特筆さるべきは、正岡子規の再評価のための番組があいついで制作されていることである。文化シリーズ「文学への招待」で「私の正岡子規」(大江健三郎 昭54)、「青年期の探求」で「生きるということー子規の青春」(昭55)、「愛媛教養講座」で「人間・正岡子規」(昭56)、「四国特集」で「子規・写生の世界」(昭56)、「子規をめぐる人々」などが放映された。

 RNB 南海放送

 南海放送はラジオ局として出発した。松山有楽座における前夜祭(昭28・9・30)から電波を送り出し、翌日から本放送をはじめた。当初「まぼろし水軍」(月~土曜日 15分 阿木良)、「こけしの夢」(30分 平山忠義)、「青春風物詩風薫る丘」(30分 本庄住男)をもって出発した自社制作ドラマは、翌年より「RNBホール」のドラマ番組枠を設定して意欲を示し「幻を撃つ」(長尾広生)、「軽便鉄道」(町野幸恒)、「冬子」(高橋光子)などを送り出し、局側担当者は池内央・栗田寛秋・平岡英とバトンがタッチされ、週一本(30分)ものが制作されたが、のち次第に衰退し月間一~二本になる。テレビ放映まで「RNBホール」と「子供劇場」が自社制作番組の中心であった。高橋光子・長尾広生・原敏男・近藤豊・吉田センタ・武智成彬・菅野清・菅不二男・杉美佐緒・藤堂治彦・町野幸恒・天野祐吉・安西徹・杉原澄子・名本栄一・村上栄子・木本京子・小田武雄・石崎晴央・三浦美智恵などが脚本を書いた。そして、RNBが自社制作のテレビ映像を松山城長者が平の仮設スタジオから放映したのが「クローズアップ」、「郷土の窓」、「今晩のお献立」、「週間南海テレビ・ニュース」(各15分 昭33・12・1)であるが、これも昼番組「おはようみなさん」(15分)に集約される。自社制作番組の再興をはかったのが「サンデー8(のち「サンデー9」60分で、番組のなかに「ふるさと散歩」(秋田忠俊)、「地域レポート」(横飛信昭)、「教育シリーズ」(影山昇)、「民俗シリーズ」(守屋毅)などのコーナーを設定して地域社会の紹介・問題点の摘発を行ってきた。時代の要求・世相の変遷にともない内容にはさまざまの変革があったもののついに八〇〇回を突破し(昭59・1・22)八〇九回(昭59・3・15)をもって終わった。また、これと並行して海外取材を行い(昭43)、論理キャンペーン「暴力団の論理」を提示して局の姿勢を示すとともに、「わが兄はホトトギス」(早坂暁)、「父の歌が聞える」(以上、テレビ)、ラジオドラマ「行乞の詩 どうしようもない私」などで芸術祭賞・民放賞を受賞するなど、高水準の番組を提供した。CMや報道などを除いた制作番組での主要受賞作品を挙げてみる。「内海連絡船」(R 民放会長賞 昭34)、ラジオポエム「雪ん子マータン」(R 児童番組 民放佳作 昭37)、録音風物詩「善根宿」(R 風物詩コンクール優秀賞 昭37)、マイクの目 「塀のない刑務所」(R 民放銅賞 昭44)、「ちゃっかりグループ繁昌記」(R 風物詩コンクール最優秀賞金賞 昭44)、親の目子の目「チェンバロンを弾く少年」(Ⅳ 民教協奨励賞 昭48)、「はりぼて物語」(R 民放優秀賞 昭49)、「裏街道-暴力団の論理」(R 民放優秀賞 昭53)、「行乞の詩 どうしようもない私」(R 民放優秀賞 昭53)、「美しいふれあいー大島の石切唄」(R 民放優秀賞 昭53)、テレビエッセー「わが兄はホトトギス」(TV 芸術祭優秀賞 昭53)、「へんろ道 みちしるべ」(TV 民放優秀賞 昭54)、「伊予なまりが響する」(TV 民放優秀賞 昭54)、「父から子への歌声」(TV 芸術祭大賞 昭56)、親の目子の目「ぼくらのまんど山」(民教協奨励賞 昭57)、「分岐点ー一九八二新居浜ー」(TV芸術祭優秀賞昭57)、「愛媛の女性史」(TV 民放優秀賞 昭58)、混声合唱組曲「異聞 坊っちゃん」(R 芸術祭優秀賞 昭58)芸術祭大賞・優秀賞(四)はローカル局としての自社制作番組の重視と、制作者の番組への真摯な努力の証左にほかならない。このほか、「剣を解くー反骨の軍人・水野広徳」(昭54・6・24)、「私の正岡子規」(昭56・4・5~6・28 30分 野坂昭如・山本健吉・天岸太郎・生方つたゑ・塚本邦雄・秦恒平・今井つる女・越智二良・久保田正文・古賀蔵人・和田茂樹・金子兜太)などがある。
 南海放送ラジオに開局当時からドラマ脚本を多く書きつづけたひとりに〔武智成彬〕(大2~ 重信町)がある。その手控えによって脚本題名を挙げる。「日曜子供劇場」(昭28~ 後5~ 30分)、人買い長者・きつねの森・夕やけ鶴・おれは仙人・愉快な竹庵さん・二代目浦島太郎・柿売り殿様・シュワルツワルト物語・木馬と花塚・貧乏ヨーハム・孤島の百若・山さんのトランペット・アイヌの森・旅僧と巡礼・笛の三郎治・インドの幽霊船・河野通直と狐・安過ぎた土地・浮かれ裁判・昔話雪女・帰って来た浦島・與作の嫁・嘘がまことになる話。「連続子供ミュージカルドラマ」(毎日放送7日分を吉田センタ・藤木幸子・武智成彬で分担執筆リレー脚本) 20病院の巻・21脱走の巻・22青い鳥発見の巻・23自由の国の巻・24黒い森の巻。「郷土の伝説」(隔週月曜日後5・15~ 15分・伝説武智 童話吉田センタ・藤木幸子 昭28~)衛門三郎・湧ヶ淵・兵庫山物語・きつねの約束・神の木・竜の畑・和気姫物語・仙波ヶ嶽・かぶらさき物語・小女郎狸・十六日桜・平家谷・久米部の小楯・鷺の湯 神の湯・海馬の島・枡洗い長者・鴨住みが池・役の行者と瓶ヶ森・肱川の河童・鬼王と曽我兄弟・化けくらべ・金のとり。「人間天女の一生」(RNBホール)、「盗賊と墓守」、「忘れられた人々」、「二つの花」、「すばらしきクリスマス」、「三平腹切り」(新春ダイアル)、「夜の客」、「駐在日記より」、「春の雪」(以上、県民の広場)、「身がわり殿様」(RNBホール)、「妖談湧ケ淵」(テレビホール郷土の窓 第100回放送記念番組 テレビドラマ 昭35・11・14 前9・45~)、「真相」(中四国リレー劇場 昭37)。他に「歌の星座」(ドレミファ風俗史1~6 昭29)、(花ごよみ・花の伝説 昭29)、「夜の随想」(56本)がある。なおNHKに子供むけドラマを書いていた(昭22~30)〔伊賀允美〕(筆名藤木幸子・藤木優佳・桃山知子)も「子供劇場」に、七草物語(鼻ケ岩の鼻なし婆さん・花びらの詩・わたしの母さん)、「RNBホール」に、(日日是好日・結ばれた良縁・菊日和)「中四国リレー劇場」に「花魂の舞」を書いている。

 EBC 愛媛放送

 民間放送、テレビ第二局として、テレビ愛媛が映像を放映した(昭44・12・1)。自社制作の番組枠として「日曜ローカル」(日曜日15分、のち30分 昭44・12・7~49・9・29)、「おはようユー」(日曜日 60分 昭49・10・6~54・3・25)、「奥さまあなたの時間です」(30分 昭47・4・1~50・9・27)、「ウィークエンドえひめ」(60分 昭50・10・4~58・9・24)などを持った。「日曜ローカル」のコーナーでは「愛媛の民謡」(秋田忠俊)が、「おはようユー」のコーナーでは「ふるさと歩けば」(秋田忠俊)で愛媛の地域文学がとりあげられた。これらの番組のほかにEBCは「えひめ 人 その風土」(日曜日 30分)を制作しつづけている。県内外で活躍している県人の業績を中心に、その道のりや生いたちを愛媛の風土とのつながりのなかに見出し、心情や人生観を浮き彫りにすることによって愛媛の人物像を求めようとするもので、構成台本は名本栄一・藤堂治彦・秋田忠俊・菅野清・小川忠夫らが担当している。三〇〇回を超えた(昭59・1・15)番組のなかで文学に関わりを持つ人物として制作されたものはつぎのとおりである。

2岡田禎子(戯曲 昭52・4・17・名本栄一) 7越智二良(松山子規会長 昭52・5・22・名本栄一) 8高橋新吉(詩人昭52・5・29・名本栄一) 13野間仁根(随筆 昭52・7・3・藤堂治彦) 15畔地梅太郎(随筆 昭52・7・17・名本栄一) 25末広恭雄(随筆 昭52・10・23・藤堂治彦) 37川本臥風(俳句 昭53・1・29・名本栄一) 44古谷綱武(文芸評論 昭53・3・26・秋田忠俊) 45久保喬(児童文学 昭53・4・2・秋田忠俊) 61今井つる女(俳句 昭53・7・23・名本栄一) 68佐伯秀雄(短歌 昭53・9・17・名本栄一) 73八木亀太郎(語学 昭53・10・29・秋田忠俊) 90大野盛直(俳句 昭54・3・11・名本栄一) 93久世竜(殺陣師 昭54・4・1・藤堂治彦) 95真鍋博(イラストレーター 昭54・4・15・藤堂治彦) 98和田茂樹(国文学 昭54・5・6・秋田忠俊) 109穂積文雄(評論 昭54・12・16・藤堂治彦) 111景浦勉(郷土史 昭54・12・30・名本栄一) 112宮中雲子(詩人昭55・1・6・藤堂治彦) 121徳永山冬子(俳句 昭55・3・30・名本栄一) 123大石慎三郎(日本史 昭554・13・藤堂治彦) 124沢田宏重(随筆 昭55・4・20・藤堂治彦) 143永井浩三(随筆昭55・9・7・小川忠夫) 156岡田慎吾(随筆 昭55・12・21・小川忠夫) 157村上節太郎(評論紀行 昭55・12・28・菅野清) 161大山澄太(俳句評論随筆 昭56・1・25・菅野清) 169香川紘子(詩人 昭56・3・29・菅野清) 173坂村真民(詩人 昭56・5・3・菅野清) 174石井南放(随筆 昭56・5・17・小川忠夫) 175松本零士(劇画 昭56・5・24・菅野清) 177白川渥(小説 昭56・6・7・菅野清) 178深川正一郎(俳句 昭56・6・14・菅野清) 187村上壷天子(俳句 昭56・8・16・小川忠夫) 196岩村昇(随筆 昭56・10・25・菅野清) 204森紫苑荘(川柳 昭56・12・20・秋田忠俊) 207村上杏史(俳句 昭57・2・7・菅野清) 208藤原与一(方言学 昭57・2・14・秋田忠俊) 209浜田辰雄(映画美術監督 昭57・2・21・藤堂治彦) 211古田足日(児童文学 昭57・3・7・秋田忠俊) 217黒河健一(郷土研究 昭57・4・18・秋田忠俊) 219佐伯清(映画脚本 昭57・5・2・藤堂治彦) 224砂田量爾(脚本 昭57・5・30・菅野清) 229合田正良(郷土史 昭57・7・11・秋田忠俊) 231上甲明石(俳句 昭57・7・25・藤堂治彦) 235西本忠治(戦記 昭57・8・22・菅野清) 237是沢恭三(書誌学 昭57・9・5・秋田忠俊) 240中平解(フランス語 昭57・10・10・秋田忠俊) 253伴野朗(推理作家 昭58・1・23・秋田忠俊) 256岩浪洋三(ジャズ評論 昭58・3・13・藤堂治彦) 262小山久次郎(出版自伝 昭58・4・24・小川忠夫) 265奥田晴義(詩人 昭58・5・15・菅野清) 269安西徹雄(翻訳演出 昭58・6・12・小川忠夫) 274谷岡ヤスジ(漫画 昭58・7・10・菅野清) 278白石大二(国語学 昭58・8・14・小川忠夫) 295石川喬司(SF作家 昭58・12・4・小川忠夫)

 ローカル放送作家

 NHK・RNB・EBCは、ほぼ十数年の間隔をおいてローカル放送を開始した。この間、それぞれの局のために脚本を書く作家は固定され、あるいは流動する。戯曲作家、小説家、新聞記者などが主たる放送作家である。「劇作2時会」創刊号(昭313)には、坂本忠士・菅野清・池見昌之・伊勢野重任・川本三郎・木村久志・洲之内徹・藤堂治彦・田中安子・名本栄一・八尋諒・長井二三一・戒田順・藤木幸子の名が見えている。
 猪野建介 (明44~ 菊間町)。「悲劇喜劇」戯曲研究会員。戯曲「虎魚」(「文芸主潮」昭17)、「柿」(「悲劇喜劇」昭27)「点線部落」(「社会教育」昭29)、「海の峠」(「悲劇喜劇」昭31)、「普通列車」(同上、昭33)、「急斜傾地帯」(劇団炎座上演台本、昭35)などを執筆する。炎座が東京一ツ橋講堂で上演し、同年八月、同劇団は県下七市町村で巡回公演した。また光田稔が脚色してRNBでラジオドラマとして放送され、中四国民放祭に入賞した。自立劇団「山羊の会」を主宰するとともに高校演劇の向上発展のため力をつくしている。
 緒方辰巳 (大11~ 北条市)福岡県出身。中村武羅夫に師事し、松竹映画大船撮影所脚本部(昭18)、西日本新聞社(昭21~52)退職後北条市に移住する。ラジオドラマ「山鳩の宿」(NHK熊本中央放送局、昭15)がある。
 川本三郎 (大2~ 松山市)「舞台」大阪劇作会員、「残されてゆく者」(「舞台」昭10)を書いた。「泣き濡れた女」「おぼろ月」は「新劇壇」(松竹発行、昭10)に発表した戯曲である。戦後、松山市の碧空楽劇団の文芸・演出を担当し、NHK松山の学校放送ドラマ(「理科」・「私たちの郷土」・「みんなのくらし」・「明るい学校」などの脚本約千三百本)のほか、文芸ドラマ脚本約八〇本を書いている。松山ドレメ・松山女学院のファッションショーのコメントを制作し演出(昭23~、約一二○本)している。NHK「ぼくは山の子」は全国学校放送最優秀賞(昭44)を受賞した。
 菅野清 (大13~ 松山市) 芸術学院漫画科卒(昭17)。NHKの放送劇(昭23~)を、のちRNBのドラマを、ついでEBCの「人・風土」の構成・台本を担当していた。『菅野清 ラジオドラマ 選集』(昭38)には数多い脚本のうちから、いもばたけ・勘介毬つき唄・貝殻夫婦・銃声・蛙になったお殿様・髭物語・ごろびつとお殿様・螢の宿は・夕方に牝鶏が鳴く・喜左衛門狸・さつまいも渡来記・停年・砂の映像・切支丹格子・雪のある市営球場・が収録されている。
 才神時雄 (大6~ 青森県生 松山市在住)NHKラジオドラマに、神秘な鳥・みんな追い出せ・ラッパ手じゅんやん・火鉢の下・椀舟物語・松山収容所・漱石二十九才の足跡・ロシヤ人捕虜の記録など多数の脚本がある。
 坂本忠士 (大7~ 松山市)NHKにラジオドラマ脚本 新篇坊っちゃん(昭28)・花火・城のある町(以上昭29)、王朝海賊伝・わざびと(以上昭32)、青春宿(昭33)、跡なきものの記録・わが胸の廃墟(以上昭36)、落城余聞(昭37)、他人の血(昭40)、流れの砂(昭49)、白い血・みかえりの宿(以上昭53)など。テレビドラマ脚本に「海の碑」が、こじか座公演台本に「霧山侍」などがある。ラジオドラマ「青春宿」は芸術祭奨励賞を受賞した(昭33)。その脚本の冒頭。
 効果 驀進する急行列車の音……語り手 江戸からここまで三百里、往きし戻しで六百里-といったのは昔のこと。もっとも今でも一昼夜はたっぷりとかかる四国の松山ー 語り手 それから更に四時間ばかりゆられると宇和島市。ここは日本の終着駅の一つ。 効果 連絡船の音に変って…… 語り手 更にそれから海を下ること五時間半…… 効果 波の音 語り手 細長く突き出た岬の先端にポッカリと浮ぶ島。それがわが貝殼島。これをして絶海の孤島とお被露目しても、まずはお咎めもうけますまい…… 音楽 テーマ(南国を現す、のどかで明るくユートピア的なもの) (紹介アナウンス) 音楽F,C 効果 早朝の海。夜釣りの漁船が数隻、かすかに機関の音をひびかせながら、沖の方から戻って来る……嗄れた船頭が朝靄の中にただよっている……そのうち、一隻の音が次第に近づいてきてー 勇助(船上。遠くへ向って、尾をひくように叫ぶ)第五栄丸ウ……オーイ、第五栄丸ウ……漁はあったかあ……。 栄丸の声(OFF)エビじゃあ……エビー……。 金作(吐きすてるように)チョッ、エビは分っとらい。 勇助 今晩、忘れるなよォ……。 栄丸の声 今晩、何やあ……。 勇助 お春の裁判じゃあ……。 栄丸の声 何やあ……。 勇助 お寺へ集れよォ。お春の裁判じゃあ……。 栄丸の声 何がどがいしたやぁ……。金作 勇作、やめとけ、やめとけ。 勇作 トッポサクゥ、明日来オイ……。 栄丸の声 OK……。 (金作、勇作、それに泰三、吹き出す) 勇作 たかでトッポサクかいの。たんまの青年裁判も忘れくさって……。金作 夜釣りで頭ィ来やがったナ。泰三 ハハハ……網子が夜釣りで頭ィ来とった日にゃあ、これこそ食い上げだぞ。勇助 じゃが、ほんまに久しぶりじゃなあ、若衆宿の裁判は……。金作 うん、お春の奴、今までギッシリええことしよったんじゃけん、今晩はこらえらせんのじゃ。 勇助 頼むぜ、泰さん。 泰三 何や? 勇助 何やって、泰さんは今晩の裁判長やないか。 金作 そうじゃぜ、泰さん。お春は次々と貝殼島の若衆を手玉にとったんじゃけんな。 勇助 そのあげくが、向いのニノ浦の若衆とできやがってからに……。 金作(憎々しげに)首切りじゃ、あんな奴ア。 勇助 目ざわりでいけん、追い出してしまえ。金作 バカ助、島払いじゃお春の思う壷よ。それより、いつまでも島ぃ置いといて、若衆が付合わんこっちや、ナ、泰さん、それがっちええ裁判じゃぜ。 泰三(笑いながら)金作、お前もなにか、怨み骨髄組か。 金作(あわてて)ち、違わい、泰さん。オラ、別に……。(泰三と勇助、大笑いになる……)

 坂本忠士は、このドラマが放送されて二〇年後の昭和五三年、この時の取材を回顧してつぎのように書いている。

 …この時の取材は一週間ほどで、南郡の御荘町と宇和島市を根拠に、その周辺を探しまわった。山間部では一本松町や正木部落、浦方では節崎、長崎、久良、石応、九島などへ行ったのをおぼえている。御荘町では、昨年亡くなられたお医者さんの五島守久さんが、毎日診療が終ると自分の車を運転して、一升瓶を何本かつみこみ、若衆宿の残っていそうな部落を案内してくれた。農・山村には、昔のかたちの「宿」はほとんどなかった。「青年団」ができ、それに第二次大戦で若者が戦場へかり出されていった時代の変化にともない、若衆宿は実質的になくなっていたようであった。が、浦方ではまだその名残りはあった。網元の親方が、青年達の力を必要としていた。急にイワシの大群が来たとか、嵐がやって来たとかいう時、青年たちを一箇所に集めておけば、何かと都合がよい。青年たちにとっても、家や地域社会のタテの束縛から解放され、彼らだけのヨコのつながりの場をもっていることは、毎日の生活にやすらぎがあったようである。戦後、公民館活動なるものがうまれ、ますます「宿」を崩壊させてしまったが、公民館もいわばタテの管理下に組みこまれていて、「宿」にかわるべきものではないと思えた。恥しながら、若衆宿の取材に出る時の私は、若衆宿とは夜這い集団の巣ぐらいの認識しかなかった。が、実際に農漁村の青年達に接してみると、彼らの素直なものの考え方、行動、しかしそれをおさえる大人社会の醜さーひしひしとそのギャップを考えさせられた。そのあたりの思いから「青春宿」のドラマが発酵してきた。若衆宿には、長年の封建制下にあって、生まれるべくして生れた、日本の民主主義があったと思えた。若者集団の自主管理のもとで、彼らなりの人生修業をしていた。宿では猥談をしても、酒はのまなかった。娘のいる家へおしかけていっても、一人では行かない。数人が同時に行く。そして話し合う。その中の一人がもし相手の娘と感じあうと、他の者はこぞって応援する。フェアーである。彼らは集団で恋愛を達成させた。昔はそうだったと聞かされた時、私のドラマはだんだんふくらんで来た。「娘宿」のことを知ったのも、この時の収穫であった。娘宿には、若衆宿に若衆頭がいたように、娘頭がいた。一種、禁男の園である。娘頭は年に十俵ぐらいもらい、彼女の機嫌をそこねると、宿を追放される。男の場合、追放されるとムラを出ていくか、他の宿を転々とする。いうところの渡り鳥である。渡り鳥は信用がなかった。ハミダシ者である。しかし宿の若衆は、彼にも自分の未来を感じないでもなかった。そんな感じを受けたので「青春宿」には五郎という男を登場させた。… (「伊予の民俗」28号 昭53)

 高橋丈雄 (明39~ 東京生 松山市在住)戯曲「死なす」(「改造」懸賞入選 昭4)・「ぽんち絵」・「晩鐘」・「祈りと怒り」などを発表した。松山市に疎開(昭18~)、戦後小説「雛歌」を愛媛新聞に書く(昭21)。劇団「かもめ座」を主宰し、職場・農漁村の自主劇団を指導する。上京し(昭27)、史劇「明治零年」(歌舞伎座 幸四郎・勘三郎出演昭28)で文部大臣賞を受賞する。再び松山に帰りローカル局のために筆を執る。「テレビは大衆化してしまい、純粋な芸術性を追求する手段ではなくなった。逆にラジオドラマの方が演劇的なもの、考えさせるものを表現出来、よい仕事が出来る方向にある」と語る。
 名本栄一 (明42~ 松山市)NHK・RNBにラジオドラマを、EBC「えひめ 人 その風土」に構成台本を多数書いた。NHK「四国ラジオ劇場」…闘牛(昭31)・ナンバーを消せ・ネズミ島騒動記・ネズミの小作島・黄色い太陽(以上昭36)、道の果て(昭37)、鐘をたたく女・首を賭けた男(以上昭40)、杉の子たち・カッコウ夫人・ネズミの尻尾(以上昭41) 新説伊予のタヌキばやし(社長の腹鼓の巻・山はモミジだの巻)(以上昭42) オールの歌(昭43)、矢立て記者誕生・森岡天涯・雨傘殿医・お医者さまが危篤だ・波の帯・水平線は円かった・「正一位」をもらった狸の話・冠りものを取れ・ひと泣き千両(以上昭44)、お爺さんの勲章・母の肖像・入らずの山の衛門さん・出羽島開拓・宝石・石鎚の見える家・八十島斬っての相談(以上昭45)、二人になった奥方さま・早春・青嵐・子育て米・さんや大尽・かいさく節・えびうにもみじ・流刑の島(以上昭46)、山女(昭47)、陸にあがったカッパたち・螢の光・風に吹かれて(以上昭48)、ガラスの舞う島(昭49)、さらし首異聞・一階ロビーの椅子・逃散村(以上昭50)、飢えたヘラブナたち・息子の嫁さん・白髪の亡霊(以上昭51) 春の嵐(昭52)。NHKの脚色台本に投影 (松本清張原作 昭34)・闘牛(井上靖原作 昭37)。南海放送「RNBホール」にムササビ(昭30)・夜明け・黒い河・録音機の中のおじさま・一本の木から(以上昭40) 柿の木部落のみなさん などがある。
 光田稔 (明41~ 松山市)。『劇作十四人集』(白水社 昭16)のほか、『劇作』に戯曲「杉江一家の人々」(昭13・12)・「門」(昭15・1)・「金婚式」(昭15)を、『演劇』に「田舎の家」(昭16)を発表した。満映(昭18)、南海タイムス・愛媛新聞(昭21~28)を経て、南海放送編成局長・常務取締役(昭28~47)、南海放送音響代表取締役・相談役(昭43~51)。

 追記 愛媛の演劇、ことに「かもめ座」(高橋丈雄)・「松山実験劇場」(山本省一)・「あおい座」(光田稔)・児童劇団「ブランコ」(菅不二男)・「こじか座」、それに「青い島」(新居浜市・山路浩一郎)・「山羊の会」(菊間町・猪野建介)・「麦の芽」(大洲市・櫛部佐敬)・「村の小劇場」(久万町・日野泰)・「桑の実」(今治市・木山隆行)・「つぼみ」(保内町・中岡一茂)などの地域劇団や職域劇団が公演した脚本、あるいは地方歌舞伎・芝居の上演脚本、商業劇団「碧空劇団」(川本三郎)巡演脚本の足跡を明らかにしなければならない。浪曲台本(秩父重剛「士魂の故郷」・都九吉・長岡通夫など)や紙芝居・人形劇・幻灯劇の創作・脚色台本も忘れてはならない。ことに高校演劇は低調でその活動の広がりと向上発展が望まれる。