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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

11 県土の保全

 治山・治水事業

 林野面積が七二%を占める愛媛県は、昭和三九年三月時に河川法適用河川八、準用河川六九二、県費支弁河川九六四、計一、六六四、流路延長三、四二五キロメートル、砂防指定地六二六か所、地すべり防止地域九五か所という現況で、しかも河川の大部分は短流かつ急流のため鉄砲水の現象を呈する荒廃河川であった。さらに地質構造は、中央構造線、御荷鉾線、佛像構造線等諸断層が東西に縦断し、花崗岩など風化帯の地質も多く、河床浸蝕、地すべり、山崩れが頻発して、治山・治水事業の緊急性は極めて高い状況にあった。
 戦後打ち続く風水害は県下全域に及び、施設被災度は治山・治水関係が五〇%を占めていたが、連年災害復旧に追われ、抜本的な治山・治水事業の施行は容易ではなかった。そうした中で、昭和二九年ころには復旧効果も漸次現れ、年次を追って施設災害は減少していった。一方、高度経済成長が進展する中で、国土の保全と開発基盤の整備を目的として三五年三月、治山・治水緊急措置法が公布され、森林保安施設、治山施設、河川法、砂防法による諸施設及び特定多目的ダム並びに水資源開発事業団等の事業がその対象とされ、計画的事業展開が図られることとなった。
 国の方針に基づいて、県は治山・治水一〇か年計画(三五~四四年)を策定、昭和三五年度から三九年度までを前期治水五か年計画とし、河川では中小河川、小規模河川、河川局部改良事業など、砂防では堰堤、流路工などの通常荒廃砂防、地すべり対策事業を中心に主要河川並びに緊急箇所の整備促進を図ることとした。また、肱川・重信川などは建設省直轄改修事業として治水を進める外、改修効果促進のためダムによる洪水調節を併せて行うこととした。一方、小規模な治山・治水は県単独事業として補完し、計画的な治山・治水事業の推進に努めた。
 治山・治水事業費枠も順次拡大されていったものの、施設工事の進捗完成には年月を要し、早急には改修効果も上らない状況の中で、一〇か年計画の終期には産業集積の急速な進展、都市への人口集中と都市化の急激な展開など、社会情勢の著しい変動に伴い、新治山、治水事業五か年計画(第三次)が策定された。事業内容も、新たに国庫補助事業として都市河川整備事業、河川修繕事業、急傾斜地崩壊対策事業などが加えられ、治山・治水事業も都市的、開発対応的傾向が強まっていった。
 この間、鹿森ダムを始めとして玉川ダム・黒瀬ダム・石手川ダムなどの多目的ダムの建設が逐次進んだ。高度経済成長による河川流域内の産業開発の進展、特に都市及び周辺地域における人口・産業の集中は、河川を取り巻く環境に著しい変化をもたらし、河川事業などの立ち遅れ、開発に伴う災害発生の危険度の増大、生活水準の向上による都市用水不足、河水の汚染など、都市河川環境悪化への対応に迫られることとなった。このような状況で、四七年には治山・治水緊急整備法が改定され、四七年度を初年度とする五か年計画が立てられた。県では、都市部への対応、用水確保などを加え、第四次五か年計画を策定したが、都市関連の一種も都市小河川改修、河川環境整備事業となり、都市対策砂防が加わり離島河川改修事業が新設された。県単独事業においても都市環境整備事業を実施、多目的建設促進と合わせ、社会情勢の変転に応じながら計画的な治山・治水事業を進めていった。

 自然保護・土地利用計画

 昭和四〇年代から自然に手を加える土木・農林工事をはじめ、ゴルフ場・スキー場などレジャー施設造成をめぐって、開発か保全かの論議が浮上し、石鎚スカイライン建設は問題を集約的にあらわにした。自然保護行政は、当初県生活環境部環境整備課から県商工労働部総務観光課へ移管された。三三年以降、自然公園法及びこれに基づく県条例、さらに自然保護強化を打ち出した自然環境保全法とこれによる県条例が四八年に制定された。県では環境保全方針の策定のため、学識経験者を含めた県自然環境保全審議会(会長森川国康)を設置し、自然・生活・鳥獣保護の三部会は環境保全に関する諮問機関として活動した。
 また条例による県自然環境保全地域として、赤石山系(別子山村など)小屋山(野村町・小田町)を五一年から指定、国指定の笹ケ峰(新居浜市・西条市)と併せて天然林、高山植物などの保全が図られた。国管理分には環境庁委嘱の自然公園指導員三一人、県管理分には知事委嘱の自然保護指導員三〇人が四七年からボランティアとして活躍、地元市町村のパトロール強化と相まって指定植物の無許可採取など違法行為の取り締まりに当たっている。
 自然公園には瀬戸内海及び足摺・宇和海の二国立公園、石鎚国定公園、並びに四国カルスト、篠山、佐田岬=宇和海など七県立自然公園があるが、監視規制を強めて風致景観を維持している。自然環境保全対策は、次の白石県政の時代に強化され、県下一二二団体から成る県自然環境保全協議会は五二年以降主要地域のボランティア清掃の実施・クリーン愛媛運動に貢献してきた。貴重資源といわれる宇和海海中公園のサンゴ礁景観を食害するオニヒトデ駆除対策は、四八年から民間ダイバーの協力を得て西海町及び国、県の助成で行い、最盛期の五一年には年間五、〇〇〇匹以上のオニヒトデが補獲された。五七年からは県立自然公園ごとに指定高山植物の保護を実施し、鳥獣保護のために約七万ヘクタールの林野が保護地域として規制された。
 昭和五一~五四年の本県自然渚調査では自然海岸四九%、人工海岸二一%、残りの三〇%余が護岸に接する半自然海岸であり、東予特に今治周辺の織田ヶ浜など数少ない自然海岸の保存が問題となっている。昭和五五年には、瀬戸内海環境保全特別措置法に基づく県自然海浜保全条例が制定され、自然渚の保全による海洋性レクリエーションの場の確保が図られた。この条例により砂浜岩礁に恵まれ公衆の海浜リゾート(保養地行楽地)に適した地域として五六年から八幡浜市ねずみ島、大三島町宗方など二三か所が指定され、これらの地域は開発や建築上の規制を受けることになった。
 政府は四九年国土利用計画法(国土庁所管)を制定し、土地利用改策の斉合性・一体性を重視した。県でもこれを受けて有限の県土の計画的・合理的利用を図る国土利用計画(県計画)及び土地利用計画を五二年に策定、県企画部(のち土木部)が所管した。利用の基本構想づくり、都市・農業・森林・自然公園・自然保護など利用目的別の六〇年の目標を設定し、市町村でも九市三四町七村(六一年時)が計画を策定している。土地利用計画は都市計画法など個別法諸計画の上位計画として行政的調整機能を持ち、同時に土地の取引には直接的に、開発行為には個別法を通じ間接統制の基準の役割を果たした。端的な例では「大規模開発行為の規制」のため四八年県では指導要綱を定めて、乱開発防止と上地の適正利用を図ることとし、五ヘクタール以上の開発行為、特にゴルフ場造成には計画性や防災措置を厳しく規制指導した。六一年にはゴルフ場建設一三件(完成)、一、二七六ヘクタール(工事中を含む)、その他宅地、鉱物採掘合わせ一、三二〇ヘクタールに対し規制が行われた。

 防災行政

 災害対策行政は戦後、水防法、消防法、警察法、災害救助法にそれぞれ分れて措置が講じられてきたが、三四年の伊勢湾台風の大被害を契機に、昭和三六年、災害対策基本法が制定され総合的・計画的な防災体制への歩みが始まった。
 昭和四三年、県総務部消防防災課が新発足し、消防、防災、交通安全及び火薬・銃砲・高圧ガス・石油など危険物の指導取締りを所管し、四六年に交通消防課と改称、生活環境部を経て五六年以後地方振興部所属となった。防災行政は災害対策基本法に基づき、三七年県防災会議(会長県知事)が発足して、三八年以降地域防災計画に基づき第一次的責任を負う市町村の第一線防災の事務事業を統括し、広域的総合的に指導助成する総合調整を行ってきた。災害時には中枢組織として災害対策本部を設置し、水防本部(土木部)や災害救助隊本部(福祉部)など実施機関を包括し、毎年総合防災訓練を実施している。五一年九月の一七号台風では県政史上最大といわれる六七四億円余の物的被害、死者一一人などの人的被害を被り、これを教訓に事態に即応できるよう体制を強化し、有事の際の危険物対策や一般復旧対策などを練り直した。
 石油コンビナート災害対策は、昭和四七年以後までは企業や市町村とともに、泡消火剤、油吸着剤、油処理剤、オイルフェンスなどの備蓄に努め、五〇年法制化に基づいて指定地区(松山・新居浜・菊間・上浦のち波方を追加)を対象に五一年には防災計画を立て、防災本部条例を制定して対策が組織化された。原子力防災計画は、伊方町など周辺町村を領域に五一年に立てられていたが、五四年米国スリーマイル島原発事故にかんがみ計画を応急修正、さらに、五五年国の防災指針に基づき再修正、五六年には関係市町村計画も改められた。原子力防災の専門的な特
殊講習への参加及び開催、また、科学技術庁・通産省と直結する電話専用回線の借り上げ、ファクシミリの設置など緊急通信網の整備も進められ、六〇年には放射線測定機器及び防護服、水洗除去施設の保守など緊急有事の備えも固めている。
 防災無線通信網は昭和三四年水防無線所(土木部)の運営開始に始まるが、この旧水防無線施設を引き継ぎ四五年から増強が図られた。五二年から五か年計画で県の出先機関及び市町村との無線通信網の外、移動局四四を設置し、五四か町村内の災害現地との通信整備が大きく進められた。最終的には五五年から三か年で、防災行政無線施設整備事業(約四〇億円)が進められ、昭和五七年九月業務が開始された。県の統制局の下に県出先、市町村、自衛隊、放送局など端末局一一〇、移動局八五の各局を動かせる体制が完備し、平常時には一般行政用に電話・ファクシミリを活用し、事務能率の向上に役立っている、なお、東京の消防庁とは高速ファクシミリで結ばれて万全の通信網が整備されている。