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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

6 農地改革と農業団体の再編成

 農地改革

 農地改革は、財閥解体・労働三法の制定とともに、占領政策として極めて重要なものであった。昭和二〇年一二月、GHQは「農地改革に関する覚書」を発し、政府は、この指令に基づき農地調整法を改正して二一年二月から第一次農地改革を実施した。しかし、GHQはこれを不満として六月に第二次勧告を行ってきた。これを受けて、二一年一〇月「自作農創設特別措置法」と「農地調整法の改正法」が制定され、いわゆる「第二次農地改革」として実施されることとなった。
 この法律は、第一次改革に比較してかなり進歩的なものとなったが、その主な点は、(1)国が直接の事業主体となったこと、(2)不在地主の範囲の拡大、(3)在村地主の保有限度の引き下げ、(4)買収時期の遡及、(5)未墾地買収の強化、(6)小作料の制限、(7)農地委員の小作代表の強化などであった。
 昭和二一年一一月県に農地部が新設され、農地課が発足した。また強大な権限をもつ農地委員会制度が設けられ、二一年一二月二〇日その第一回選挙が県下の市町村二六二地区で一斉に行われた。この選挙は「階層代表、直接選挙制」により行われ、小作・自作・地主の各層からそれぞれ五・三・二人の委員が選ばれた。次いで翌二二年二月には県農地委員の選
挙が行われたが、これは、先に選ばれた市町村農地委員の互選による間接選挙で、県下を二選挙区に分け、それぞれ小作五人、自作二人、地主三人、の合計二〇人が選ばれた。そのほか知事は中立委員五人を選任した。
 農地改革は農地調整法に基づき、二二年三月末実施の第一回農地買収から始まった。このとき田一、三九九ヘクタール、畑四八七ヘクタール、計一、八四六ヘクタールが買収された。その後、二六年七月実施の第一六回農地買収までに総計二万四、二一八ヘクタールの農地を買収、これらは「自作農創設特別措置法」に基づいて農家に売り渡された。売渡しの基本方針は「買収当時の小作農で、自作農として農業に精進する見込みのある者」を第一順位としたが、実際には、特別な零細農家でない限り買入れ資格を認められ、県下では約一〇五戸に売渡しが行われた。表3-2は農地改革前後の自・小作の比率を表したものである。
 この画期的な事業は公選の農地委員会が事業遂行の第一線機関とされたが、その事務局と指導の両面に立った県職員の苦労は並大抵のものではなかった。特に先祖伝来の農地である上、社会状勢の激変の中での難しさは格別であった。また、買収については二六年九月までに訴願四六〇件、訴訟一〇一件の提起がなされているが、その六〇%余りは行政側の主張が認められている。
 なお、この事業には対価の支払いや、徴収及び登記事務を伴った。対価の支払いは「自作農創設特別措置特別会計法」、登記については、「自作農創設特別措置登記法」によりそれぞれ処理され、二五年度未までに徴収件数については九七%、登記については農地買収九四・七%、農地売渡八七・一%と順調に進んだ。この事業の実施に要した費用の総額は二六年度までに二億六、九〇五万円余(国費八三・五%、県費二・一%、市町村費一四・四%)であった。

 農業協同組合等の設立

 GHQの「農地改革についての覚書」は別に農民解放指令とも呼ばれたが、この中には「非農民的利害に支配せられず、……農業協同組合運動の醸成」という一項もあった。次いで昭和二二年一月GHQから発せられた「農業協同組合に関する覚書」を基調にした第七次案がようやく決定し、同年一一月一九日「農業協同組合法」が公布施行された。
 農業協同組合法の施行に伴い、二三年三月県に農業協同組合課が設置された。この後、農業会の解散準備総会が終了すると同時に、県下一斉に農業協同組合(以下農協と略称)の設立が進められた。四月末には大半の組合の創立総会が終了し、九月末には総合農協三三四組合、特殊農協一三八組合、合計四七二組合が設立された。しかし、新しい農業協同組合法では、一五人以上の農民が発起人となれば、自由に設立できることとなっていたため、開拓農協をはじめ園芸、畜産などの特殊農協が一一三組合も設立され、二四年度末にはその数合計五八五組合にもなっていた。
 この間、「農業団体整理法」によって、農業会の解散が日程に上ったが、二二年の正月前後に会長をはじめ常務理事など役員の大半が公職追放、あるいは辞任したためしばらく幹部役員の不在が続くことになった。しかし二二年五月臨時総会を開いて、新しい役員体制を確立、翌二三年八月一四日解散した。
 農業協同組合の連合会(以下農協連と略称)は、生産農協連、販売農協連、購買農協連、信用農協連が二三年七月に設立された。続いて一〇月から一一月にかけて、青果販売農協連、開拓農協連、養蚕農協連が設立され七連合会となった。その後、二五年ころから農業団体再編成問題が起こり、同年六月、生産・販売・購買の三連合会を合併して経済農協連が発足、また新しく指導農協連を設立した(二九年に農協中央会となる)。二八年には共済農協連、畜産農協連(三六年解散)、四〇年に酪農農協連が設立され現在の体制が固まった。
 また、昭和二三年「水産業協同組合法」が公布、翌二四年二月一五日の施行により、民主的な漁業協同組合一四六組合が結成された。さらに、漁業協同組合の連合組織として、県漁業協同組合連合会が同じく二四年に結成された。

表3-2 農地改革前後の自小作比率の比較

表3-2 農地改革前後の自小作比率の比較