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愛媛県史 民俗 下(昭和59年3月31日発行)

三 早口言葉・三字もじり・言葉遊び

 奇異な言語現象が、特殊な注意のもとに民族の口誦遊戯の内容にとり入れられていることは世界の諸民族に通有のことであるが、日本語独特の構成からくる言語遊戯の多様性は諸外国にその比を見ないだろうといわれる。早口言葉・尻取文句・地口・回文・重言などがそれである。

 早口言葉

 早口言葉は早口文句ともいう。むかしは早言・長言ともいった。一定のきまり文句を早口でしゃべる。文句が長ければ早くしゃべる必要がある。発言の組立てがむづかしくて正確に唱えにくいとか、似た音につられて言いはずしたり誤りやすいとかの要素が含まれる。速度のみを対象とする長文句・発言の正確を競う舌もじり・畳語押韻・長名口誦文句・詰め言・鳥獣鳴声擬声語・尾頭巡環型・尻取文句などがある。
 丹原町田滝の「黒滝さん」は、桓武天皇の御代(七八八年)に三河国からの落武者神介四郎左衛門が権現谷で発見したといわれる。黒滝さんは女神とされ、兄の石鎚さんと力競べをした。黒滝さんの投げた石は石鎚さんのお庭に飛び、石鎚さんの投げた石は黒滝さんの拝殿の奥の大夫地に来た。兄妹喧嘩のため黒滝さんの氏子は石鎚さんには参詣しない。黒滝さんの大祭りは旧暦七月二九日か、三〇日か、八月一日である。五日前に御注繩あげがある。この高注繩あげ神事は御廉踊りをともなう。夜を徹して踊り続けられる。中休みがある。音頭出しが「踊り場のほめ言葉口上」を述べると観衆・踊り手から「早口口上」の要求が出される。音頭出しが「早口口上」をやり、別の音頭出しが「お礼の口上」をやって、好きな「早口口上」をつづける。終れば再び御廉踊りがはじめられる。早口口上に「たん切り飴売り」「油売り」「外郎売り」「道具太半記がらくた合戦」がある。

 御 廉

 けわしき野山の黒滝に 祭る十二社大権現 人もおらぬに神神楽 月にサ三度は(み山の霧に) 笛や太鼓の音がする 笛や太鼓の音がする  天狗様かや何人ぞひびく太鼓にふりつけて 踊り捧げて祈るなら いかなる大望も(心から願や) 神もいさめば成就する 神もいさめば成就する  踊り捧げりゃ照る月も にわかに下るぞ黒雲が 神の利益か有難や 五穀思ゃこそ(雨乞いもする) 神の恵みの雨が降る 神の恵みの雨が降る

 ※ ( )内は心中にて唱え声に出さない。

 踊り場のほめ言葉口上

 まった東西しばらく間ご免なり、踊り子さんの手休めや、歌よみさんの喉休め、貴重な時間をお借りして、一言しゃべらせて頂きましょう、と申すは外でもない、さいぜんより私の後から、肩を叩いて「もうしもうしお若いの」と、言われてみればまんざら気持は悪くない、ひょいとふりむき見るなれば、八〇・九〇のお娘が、口をもぐもぐさせながら、「もうしもうしお若の、ただ今見せて頂いた、踊り子さんの、踊る姿の品のよさ、歌よみさんの声のよさ、太鼓打のばちさばき、お褒めしたいと思えども、思うことばも口に出す、年はとりたくないものじゃ、わたしにかわってお若いの、なにか一言お褒めの口上を」、述べてくれとのお頼みなれば、いやじゃと辞退も何とやら、不調法には候えども、おばあさんになりかわり、なにかたとえて、お褒め申し上げましょうなれば、踊り子さんのお姿は、立てば芍薬座れば牡丹、踊る姿が百合の花、富士のお山は春霞、三保の松原空高く、舞う天人とも褒めようか、歌よみさんのおん声と、叩く太鼓のその音を、ひとつにまとめて褒めような、琴や胡弓や三味の音、笙・篳の笛の声、鶯声とも褒めようかい、まだまだお褒め申し上げましょう、なれば□□の口上をもって申し上げましょう。

 御礼の口上

 待った東西しばらく間御免なり、かよう申す私を酢じゃの牛蒡じゃの人参じゃの、盆の牡丹餅に黄粉つけたように、取うり廻し引き廻し、お褒めの言葉下さるは、何処のいずくのどなたやら、お顔表は知らねども、お顔表を知ってなら、鎌をひごめにかいてでも、御樽肴で御礼を申さんならん儀には御座侯えども、今晩夜中のことなれば、御樽肴も間にあわず、私ちょっと一寸八分のこの口をもって、御礼申し上げましょうなれば、なににかたとえて御礼申し上げましょう。□□の口上をもって申し上げましょう。

 油売口上(図表「油売口上」参照)

 私事は江戸表におきまして、油屋助兵衛の悴助十郎と申す者、油売奴で候が、ご当所へは初めてなれば、油の口上を喋りましょうなれば、鬢付けせり合いめてのみや、人に語らぬ桜花、まだいとけなき稚児桜、まだも優しき糸桜、ここは吉野こう、各々方は美人公、無類艶よしかざしの梅、におい入りとは白梅の、梅花りょうのうちょうしこう、せん紅はあの様に、色に変わりはないわいなぁ、参らぬさきから来いという、すいな浮世の歴々方に、油の初売・初約束・初徳・初夜が初商、よいかあしいは各々方の、御両眼の雲らぬ鏡、まった此の油と申するは、和蘭秘伝の銘香や、よしやてるめるごみはきず、すがらがっぽうせんだん香、じん香・くわっ香と白檀、木の芽油とこしらえて、ぎゅうろうわろうは用いねば、神前仏前祈人の前にても、少しも穢れにあいたたぬ、まった此の油をつけたる人は、夜中山中にても狐狸が近寄らず、総じて頭のできものをいやし、黒髪をはいす事は第一奇妙、老年方が付けたなら、白髪がたちまち黒うなる、黒うなると若うなる、若うなると夜遊びするようになる、誠に奇妙なこの油、ちょっとおつけなされたら、髪が七重にわげられる、昔が今に備後わげ、いちょう豆栗ひかえわげ、うんしゅう丸まげふたもっとい、ちゃっきりつまえた茶筌わげ、お娘がたがつけたなら、嫁入りすること奇妙に早い、さあこそ奇妙な油じゃと、めったやたらにこてつけすりつけお使いなされたら、姑がたの御機嫌をそくり去られて戻るも奇妙に早い、二八余りの小娘は、人にもまけぬ勝山と、伊達をするのが府中わげ、男わらげがねんがけて、そこやかしこですばしわげ、はや若い衆がたくりわげ、嫁になったらこうがいわげ、後家さんがたは投げ島田、若い女中の結う髪は、のんこだてわげ割兵庫、振り分け髪のお子供衆がおつけなされても、首筋から衿の汚れんところへお気をつけ、御用のお方は手早うに、お粗末ながらこれにて破れ傘、ざんざんざらりと。

 薬の口上(外郎)

 私事はお江戸を発って二〇里、上方相州小田原の外郎唐珍こうと申し、東海道をなされたらお立ち寄りな下さりませ、お上りなれば右のかたに、お下りなれば左の方、町々と申して町人では候ませぬぞや、一色をすぎて青物町をお上りなされたら、正面にはらんかん橋、虎屋藤右衛門とござりまするが拙者が親方、ただ今では剃髪を致し、竹重円齋とござりましては、館は八つ棟八方住居、前は三つ棟ぎゃくとう作り、破風にはかたじけなくも京都はきんりゅうさまの御免をこうむり、五七のとうに十六の菊を頂戴いたし、表には金看板、誠にてきめいな外郎とあって、今日本ことのほかひろがり、小田原で候の灰俵で候のと、にせ看板をあげ、あまたご披露仕りますかはなれども、まことの本家は円齋ばかり、明ける元朝から暮れる晦日まで、あまたご披露つかまつりますには、毛氈を敷き夜は金行燈を明かし、若い者の四五十人も使い、金銀は秤で取り、小銭は貫びきでどっさどっさと売り拡げまするこの外郎、そのもとはどうした始りかとお尋ねがござんしょうなれば、これにていよいよ外郎のはじまり、昔もろこし珍の国、ふっき親王皇帝三千年、代をこうむり、いまだ世界に医者という者これなき時分、人間の命危しとあって、うい目つらい目を救わんがため、そのういの字をかたどり外郎と名付け、人間はじめ犬猫猪、猿にいたるまで助けてやろうとの御性願、その丸薬として四百余州に拡がり、今日本に渡りしは、ほうき十年未の三月、珍の国より唐人来り、大臣へ三代の折から仕え、冠のうちより一粒づつ取り出しましたがこの薬、帝さまより唐珍こうと名を賜わり、先祖竹重円樹がその唐人で伝授を受け、ただ今の円齋に至るまで四八代の間、あまたご披露仕りますかはなれども、値段は高い、一粒が一銭千粒が一貫文、諸国諸大名がたが莫大に金銀を下さっても多くは頂かぬ、そのかわりにおまけもない、千粒お買いなされても一粒のお添えもござりませぬかはなれども、求めたいとおっしゃるおかたは、明暮門前に押し合いへし合い待ちくにが如く、それほどよく効く薬なら、なんでも効くであろうかとお尋ねがござりましょうかなれば、全くそうではない、死病や難病やちょう病や、仮病や貧乏や借銭のことわりや、隣の夫婦喧嘩仲裁にはちっとも効かん、第一効くのが頭病に目舞に立ちくらみ、せんきにすんばく舟のえいざまし、酒の二日酔めんるいちょうるいの食い合わせには大妙薬、婦人にとっては長血に白血、難産を救い後産を下し、娘がのんだらはらみがおちる、子供にとってはごかんときょうかん、ほうそはしかのじょ熱をさまし、目をみつめ歯をくいしばり医者も祈祷も間に合わん時、やれそらそらやれ小田原の外郎を、さ湯にといて飲ますが否や、しゃくの虫がぐっと落ちつくが最後、ひや飯でも麦飯でも四・五膳ばかりはやらかせるようになる、あるいは鉄砲玉の茶づけでも、金火箸の焼物でも石橋の田楽でも食べられるようになる、まことに奇妙なこの薬、それ程よう効く薬なら無事な方がおあがりなら、どのくらい効くであろうかとお尋ねがござりましょうかなれば、無事なお方がおあがりたら第一効くのが口中がさばける、どのくらい言いにくい事も言えるようになるのが薬の奇妙、さあさいぜんより口上と口いうばかり申しても、知らぬお方は胡椒の丸呑み白河夜船、さあこれから一粒づつふれまいましょう、どなたもよく気をつけてごろうじませ、拙者もこう舌の上へのせて、口中の気味合をみますると、腹にぐわらぐわらと落ちつくが最後、やああれこそ廻りだした、そりゃこそ廻る、銭駒がはだしで走るが如く、いこう口中さわやかに、戸田屋の戸棚の鶯が、ひげ中ひき出すひげ牛蒡つん豆つん豆つみ山椒、ひいひいがらがらひいがらがら、起上り小坊師がよんべこぼしたまたこぼした、三つ三こぼし、夜四こぼし、煮ても焼いて食えんのが、まくま童子・荒熊童子・茨木童子、綱に金時これ食えまい、まだまだ喋りたき事は山で木の数・萱の数、千里が浜の真砂の数、五反畠の石の数、私の頭の白髪の数、お客さま方のひげの数ほどござりますが、われらでもいくら喋れど同じこと、時間も限りもこれあり候えば、無調法ながらちょっとここらで止めおきまして、破れ傘ざんざんざらりとお礼を申す

 道具太平記がらくた合戦

 さて東西、世の中に「道具太平記がらくた合戦」ということあり、そのもとくわしく尋ぬれば、頃は人皇四六代水晶天井の御時、年は焙烙元年杵柄臼の年の三月下旬のことなるに、大阪かたわら道具町に福徳屋与左衛門という人あり、ある夜、酒を四・五杯のんで、みな人の待ちしは春の花、花に酔うて嬉しきゆえにつきあかな長ういいもて心より眠る折から、台所におびただしき物音あり、夜具の下よりこれを見れば、ふきんの白旗押し立てさせ、あまたの道具が板間の原にそれぞれの備えを立てたり、中にも九郎兵衛釜の守は赤地錦のしたたれには火おどしの鎧を着、小鍋の兜を猪首に着なし灰毛の馬にまたがったり、次には鍋島九郎左衛門底墨は黒皮おどしの鎧を着し薄鍋の兜を猪首に着なし、火ばる駒にとまたがったり、次には茶釜の判官焚付公は霰模様の具足をして銅壷という馬にうち乗ったり、肥前の国唐津弥吉品数は南京という馬にうち乗ったり、備前の国瓶井十郎時内は水色の具足をして杓柄の槍をひっさげ片口取って半切という馬にまたがったり、続いて爼板出羽守はそばにあり、おう、刺身庖丁取るより早く、流しの上にとつっ立てたり、はるかに控えた赤山砥臼の守は万石の威勢をもって茶臼山に陣取って櫓の上から唐箕をして、さても雄々と控えたり、中にも九郎兵衛釜の守は馬を乗り出して「やあやあ、座敷がたの道具どもうけたまわれ、我々を勝手道具の下賤者と常々あなどり過言の雑言奇怪なり、昼夜を養う権現あり、高倉大納言俵藤太の下知を受け、このたびはうっぷん晴らさんため軍勢は揃うたり、覚悟ひろげ」と呼ばわったり、行燈たけわき聞くよりも、鈴木源五郎油継言を使者として座敷の方へと訴えたり、箪笥中納言長持卿、綾錦の装束にて勇者を下して控えたり、次に高島硯の守する墨という馬に乗り筆助引き連れ立ち出でたり、高機織部の守は管槍をひっさげ、ちぎりという馬に乗り、大命を仰せ出さるるには「さてもこざかしきがらくたども、かかれかかれ」の御声に、かしこまったと手向の手洗鉢、つづいて大福帳右衛門ならびに算盤数衛の守は向う者をば頭割、唐木碁盤の守は立ち出で給え、いで小首後の勝負を見せんと、しちょうにかけて四ッ目殺し、打って打って打ち越すと、延び行くは武者を押えて回る、続いて三味線歌の守はくわりんの胴丸を着るより、早くも水牛の駒に打ち乗り、本調子にと乗り出したり、床より生ずるは将棋の盤院、金銀作りの具足して香車ひっさげ桂馬に打ち乗り、組子はそれぞれ気を配り、手のない時は先の歩をつく棒さす棒てんでに持って、つめ手はここぞと秘術をつくし、飛車で角なわ十文字、王つめ王つめ追いまわる、後より出ずるは琴路の舞、年あけてようよう一三の糸もやさしきその夜さは、夢さましける次第なり、中にも胡弓の豊姫は弓を片手に持ち出で給い、いざ御加勢をつかまつろうと、赤穂大膳の大櫃あけて立ち出づれば、つづいて四ツ椀揃いの盃・熊谷三ツ成、丼鉢は小皿十右衛門を引き連れて立ち出でたり、縁の下には東の下駄郎・雪駄履く七兵衛・蛇の目の太紋傘六郎・番傘の安蔵・赤松友禅・切って出でたる秤の与市、われもわれもと立ち出で、互にときの声をあげ、火花を散らして戦うなれば、その物音に安右衛門目をさまして「早く和睦」とのたまえば、座敷と勝手に鎮まりしが、あら不思議なるかな夢なるかなと、筆をとってぞ今ここに太平記とぞ託しけり、道具合戦のお粗末

 三字もじり―尻取り文句―

 尻取りは文学上の修辞技法のひとつであった。詩章を荘重たらしめ理解を助けるために同じ言葉を重ねて表現する押韻法の変型であったことは大祓の祝詞に証することができる。この尻取り語法が遊戯化して文字ぐさりとなる。和歌における沓冠の連鎖が尻取遊戯のはじめとされる。各句の尻の三文字をとり、次の句の頭にその三文字をおいてつないでいくのが三文字もじりである。吉田藩の御小姓組の連中が殿中のつれづれに当時の家中の人びとの特徴や世評をおもしろおかしく唱えた三字もじりが伝えられている。この三字もじりの末尾はさらに冒頭にかえる尾頭巡還型になっている。

 武藤新左は①とてんかち んかちで(御従士)②脊低く藤田むこ たむこ(手向)③無尽は一乗寺 じょうぶじ(苗字)御免は④助十郎 じゅうろ(女郎)のよふな源太⑤兵衛娘 むすめ(煮〆)のこわめし氏祭 まつり(松浦)に良哲酒買に かひ(甲斐)に⑥彦左衛門は長病気 びよき(伊尾喜)源五右衛門は⑦熊を出す おだす(御立)⑧は三月三日頃 かごろ(神楽)の上手は⑨作弾淡路 あわぢ(草鞋)をはいていも作る つくる三字もじ御小姓間 ⑩しよふまでこの子は豆腐売る ふうる(閏)⑪田畑御損毛 うもふ(無能)⑫の悴利才坊 りぼう(痢病)煩ふ道和坊 わぼふ(阿房)のよふな広田勝 たかつこうめい横田孫 たまご(玉置)甚左衛門⑬はもまを切る おきる(沖の)⑭平治に河内の源治 げんじ(玄除)⑮の晩に御供触 もぶれ(毛利)⑯ 円一口で息 でいき(大工)頭は小島次郎 まじろ庄助⑰いぼの親 のおやま(遠山)忠次の背⑱のたき のたき(小竹)兄弟まだ⑲若い わかい(赤い)顔して⑳林助が歌ふ うたう新左はとてんかち (利根白泉氏蔵 写本)

〈注〉①武藤新左ヱ門、鍛冶ヲ内職トス ②御徒士ハ役名、士卜足軽ノ中位ナリ ③手向無尽、所謂掛捨無尽ニ等シ ④助十郎ハ立間村ノ庄屋ニテ持ニ西村ノ姓ヲ許サル ⑤近藤源太兵ヱノ娘ナルヘシ ⑥彦左ヱ門病気欠勤ノ長キヲ云フ ⑦熊ヲ献上ス ⑧例年江戸へ御発駕ハ三月中旬ニ決定 ⑨神官ハ多ク名ニ国名ヲ用フ、淡路ハ八幡ノ神主、飛弾ハ不詳 ⑩ショウフマデコノ子、故事不明 ⑪或ハ閏年飢餓ニテ上納米減免サル ⑫無能 利才 道和、皆御茶道方ニテ剃髪 資格ハ徒士二相当ス ⑬モマ鳥トテ夜中淋シキ声ヲ発シテ鳴ク、恰モ赤子ノ泣声二等、吉田校ノ上二平住卜云ヘル屋敷アリ、横丁ヲ隔テヽ藪ノ堤アリ、甚夕寂敷キ地、此処通行ノ際該鳥ヲ切リシト云フ ⑭沖ノ平次河内ノ源治何レモ其村ノ庄屋ナリ、両村相接ス ⑮玄除トハ十月亥ノ子ノ曰ヲ云フ、通常翌年国守ノ上京供廻リヲ此日ニ仰出サル ⑯口ニテ息鼻ノ呼吸ニ差支アリシ人ナラン ⑰イボノ親、大キナルイボアリシモノナランカ ⑱背ノタキハ特ニ高キカ又ハ低キモノナラン ⑲未若イ、老年ニシテハデヲ好ムナラン ⑳林助卜云ヘル人、酩酊セバ必ズ放歌ヲナス

 言葉遊び

 意味のうえから、あるいは音的な類縁関連によって連想的に複雑なイメージを構成する。掛詞のおもしろさが滑稽・頓知を生む。尻とり言葉なども含めて遊びは広範にわたる。

 浅草の仁王さん

浅草の観音様に行ってのっし、「あさくさ」と言いなったら、仁王様が言いなるに「におうか」と言いなはったと。

 忠臣蔵

むかしむかしはのう、猫さんと鼠さんとはがいに仲ようて、いっつも遊びよっての。あるとき、鼠さんが猫さんに「ええ芝居が来たいうが見にこや」というて誘そたがと。ほしたら、猫さんがの「にゃんの外題なら」ある。いうて言いよったら、鼠さんが「忠臣蔵よ」言うたいわい。

 目から鼻へ抜ける

奈良の大仏さんが目を落としなはって、腹の中に目が落ちたんと。小んまい子が「おっちゃん、わしが入れてあげよわい」いうて、腹んなかの目ん玉拾うて、梯子をかけて目の穴の中に入って外から目ん玉入れたんと。「かわいそうに目玉がふさがったけんもうよう出られんわい」いうて心配しとったら、ちょろりと鼻の穴から抜け出てきたんと。目から鼻へ抜けた利口な子じゃったわい。

油売口上

油売口上