データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 民俗 上(昭和58年3月31日発行)

一 御 霊 信 仰

 タタリのさまざま

 日本人の霊魂観として、現世に恨みを遺して非業の死をとげた人間の死霊は怨霊とよばれ、きまってタタリ(崇り)をなすものとされてきた。タタリとは、本来、神霊が神威を「出て示す」(発揮)という意味をもつ言葉であったが、平安時代に意味転化がおこり、特定の霊が何者かに憑着し、懲罰的な影響とみられる制裁・災禍をはたらく意味となったのである。具体的にいえば、発熱・気がふれる・家運の衰退・死をまねくといったことをさすようになった。
 このタタリが、個人に対してだけでなく天変地異や大量の死をもたらす疫病の流行といった社会的現象としてあらわれた場合、その怨霊は御霊とよばれるのである。御霊となりやすいのは、平安時代の菅原道真のような、政治上の失脚者の怨霊である。しかし日本人は、御霊のタタリをなす、いわばその荒ぶる「力」をかえって、禍厄災害一般の原因を祓除するために利用しようとしてきた。そうすることによって、霊の崇る霊力に期待する虫送り、雨乞いの習俗が成立したのである。たとえば、強い霊威を示す崇り神としての斎藤別当実盛の藁人形を持ち出す実盛送り(虫送り)は、この御霊信仰の特色をよく表わすものである。
 またタタリをしずめるためにその怨霊・御霊を祭祀し、祭礼をくりかえす結果、怨霊・御霊は荒ぶる霊からやがて平和な恵みをもたらす守護神すなわちニギミタマ(和霊・和魂)に変化し、かえって霊験のあらたかな神となる。この御霊から和霊への変質も、御霊信仰のいま一つの特色である。
 なお、タタリ神の祭祀形態としては個人のほか近隣同士で祭ることがある。南宇和郡一帯で、近隣同士で祭るのは、そのタタリが自分の家にもこないように共同して祭るという気分が強いからとみられている。ここでは、御霊信仰の重要な特色のひとつである「タタリ現象」を中心にみていくが、人の御霊ばかりでなく、動植物、土地(崇り山など)や石などのタタリについても併せてみていくことにする。