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愛媛県史 民俗 上(昭和58年3月31日発行)

四 祝儀の食事

 人の一生の折目、ことにも婚礼を祝う人生儀礼としての祝儀、家の新築・船の新造などを祝う儀式などは賑々しくとり行われる。親類・近隣・朋友の多くが参加する家ごとの祝いである。

 婚礼の食事

 夫婦固めの盃・親子盃・兄弟盃・親戚盃の作法がとどこおりなくすめば披露の宴がはじまる。南宇和郡一本松町における昭和三年の披露宴の略式膳(引き落し)はつぎのようであった(稲田文書)。
一、本膳…めし・汁・つぼ・皿さしみ・中猪口つけもの。  二の膳…猪口・平ら・茶碗。  向う詰め…焼物(たい)・お代引き(板付とヨーカン)。
 配膳方式=本膳…客の正面 二の膳…本膳の右(給仕人から見れば左側となる)
      向う詰…向う二つのお膳にまたがるように置く
材料=茶碗…八品目 (レンコン・カンピョウ・コーヤ豆腐・コンニャク・イカ・タケノ子・青味・タマゴ)
    平ら・六品目 (イモ・枝コブ・ニンジン・シイタケ・ツト・氷ゴンニャク)
 婚礼の食事にも手順がある。山深い宇摩郡別子山村大湯の場合はつぎのようであった。花嫁は本膳のときに食べることが出来ぬから、まず台所でハナツキメシを食べる。鼻付飯であろうか、木椀に山盛りにした飯で、強い飯の変型とも考えられる。門前で帰る人にはタチガワラケが振舞われる。立ちかわらけで、酒盃を立ったままうけることである。茶碗による椀酒であるので飲みきれずに逃げ帰る者もある。台所から入ってきた花嫁は四畳の間で着替えて茶づけ膳を受け、手引婆さんに導かれて座敷に案内され床の間に着席する。ありつけ婆さんは客に茶を出す。小娘・小若い衆による夫婦盃が終わると数の子・梅干・豆を出す。盃は舅・姑で納めて酒宴になる。雑煮の吸物膳、懐石膳、本膳が順次出される。宴たけなわになり、膳の料理が少なくなった頃を見はからって皿鉢料理が出る。「みしりざかな」という。毟り魚ということか。魚台(47cm×57cm)のうえに魚盆(径35cm)、丼(径28cm、深9cm)の三つ組みに蒸し鯛を載せる。酌人が小皿にとって客の膳に補充する。酌人は娘の役である。最後に二の膳が出る。向うづけといい、羊かん・果物・巻き寿司がつけてある。引きものは折詰め魚と風呂敷である。

 新築祝いの食事

 同じく別子山村大湯では新築祝いは亭主が普請組を招宴する。棟梁を正面に据える(屋根葺替のときは屋根屋が正面に座る)。吸い物・煮〆を入れた茶づけ膳が出て酒宴になる。煮〆・魚煮付・酢のものを大丼に入れて座敷の中央に置く。娘役のお酌人が小皿にとり分けて客の膳に据えていく。平鉢が出る。よいやな節・しょんがいな節・やっとせ節・相撲とり唄など目出たい唄が出る。本膳が出ておいはん(御夕飯)となる。一杯目の飯が終わるころ「おかけめしを致しましょう」と言って、杓子に盛った飯を飯碗の上に盛る。おかけめしは一杯目の飯が飯碗に残っている間につぎ足さればならない。たいさん(大箋=大盃)を二組にして正座に持って行く。亭主役との間で口上がある。亭「いっさんおしょくおさえを差上げます」正「ありがとうございます。それだったらご亭主さんの方からまずお始め願います」 亭 「そしたら失礼してお始め致しましょう」と言ったところで酌人が亭主のところへ大箋を運ぶ。亭主は「じゃ、ひとつお始め致しましょう」と飲みほし「食べよごしました」と挨拶して正座に持って行き「じゅうぶん、どうぞお持ち下さいませ」という。正座が飲みおえると、右の盃は左へ、左の盃は右へ、上で結んで盃を入れちがえる。客への盃が亭主のところへ戻ってくるとそこで入れ違えて再び正座の方へ上って行く。この盃をおのぼりさんといい、のぼりさかずきとも言う。「おさかなを差上げましょう」と言って祝儀唄がうたわれる。亭主が正座のところに行くと、正座は「じゅうぶん戴きました、もうおとり下さいませ」という。亭主が「まことにどうもお少うございましたがおとり致しましょう」という。酌人が大箋を運ぶと正座が「まずじゅうぶんにおもち下さいませ」といい、亭主は「それじゃ、もうおとり致しましょう」と亭主三杯、客一杯飲む。正座は「おとりのおさかな差上げましょう」と挨拶して唄を出す。宴が終わるとき亭主は「皆さんどうもありがとうございました。まことにどうもお少うございました」と終宴の挨拶をする。引きものは折箱であり、盆に盛って出された魚は、付けられている紙に包んで持ち帰られた。

図1-4 披露宴の略式膳(一本松町史)

図1-4 披露宴の略式膳(一本松町史)


図1-5 皿鉢料理(真鍋博 画)

図1-5 皿鉢料理(真鍋博 画)