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愛媛県史 民俗 上(昭和58年3月31日発行)

はじめに

 「愛媛県史」四〇巻が企画され、その中に部門史として、「民俗」二巻が加えられたことは、つねづね民俗学を研究している私たちにとってうれしい事であった。
 私たちはこれまでにも、愛媛県内の民俗事象にかかわる若干の事がらについて幾つか世に問うた経験を持っているが、けっして充分なものではなかった。したがって、県下の民俗を短期間に、上下二巻にまとめることは非常に困難なことであった。部会長野口光敏を中心に、どのような項目を取り上げるかについて数回の会合を持ち、けっきょく偏らない書物にするために文化庁が定めた一一部門の分類法に従って記述していくのが、最も妥当であろうということに意見の一致を見た。すなわち
  1衣食住  2生産生業  3交通  4交易  5社会生活  6信仰  7民俗知識  8民俗芸能
  9人生儀礼  10年中行事  11口頭伝承
の一一部門であるが、本県の実態に即してこれに若干の手入れをして目次を作成した。そして上巻には、6信仰までを収め、序章として「総論」を加えた。明年度刊行の下巻には、7民俗知識以下と愛媛県民俗学関係文献目録・愛媛県民俗地図を付録として収録することにした。
 さて、編さん作業に当たっては、時間的な制約から新たな民俗調査を実施することが不可能であったため、それぞれの分野に出来るだけ得意とする執筆者を配して既刊の資料の活用をはかり、お互いに協力した。また可能なかぎり現地を踏査して伝承を質したり、資料を収集するに努めたが、日時の関係で不充分に終わった箇所も多いことを諒とされたい。読者はこれを足がかりとして研究を発展させて下さることを願っている。
 私事にわたって恐縮だが、もう四〇年も前、私は國學院大學で折口信夫先生から「民俗学」の講義を受けた。「日本の古い姿は歴史学が専門とする文書・記録だけではわからない。民間に伝承された古い民俗文化を研究して、途中で変化したものを一つ一つ取り除けていくと、最後に残ったものが日本の最も古い固有の文化ということになる。」、わが国古えの姿はこうして理解してゆくべきものと私は私なりに感じ取ったのである。
 ところで、愛媛県の民俗学研究の歴史は非常に新しく「愛媛民俗学会」が呱々の声をあげたのは昭和二七年一月一三日のことで、当時東京文理科大学教授の和歌森太郎氏が来県されたのを機に、その発起人会が開かれたが長くは続かなかった。その後、昭和三二年に森正史を中心として「愛媛民俗学会」が再開され、研究誌『伊予路』の発刊や民俗学の普及に寄与した。また、四八年には野口光敏・秋田忠俊らによって「伊予民俗の会」が結成され、機関誌『伊予の民俗』の発刊を通して幅広い層へ働きかけたのである。なおこれらに先んじて杉山正世氏による「周桑郡郷土研究会」の活動があったことを忘れてはならない。
 このような民間の研究活動が行われる一方、愛媛県では昭和三八年に県下三〇地区の緊急民俗資料調査を行った。その後、野口を調査主任として昭和四八年までほぼ毎年にわたって県下の地域民俗調査が実施され報告書が刊行されるとともに、五五、六年度には『愛媛県民俗地図』が作成された。こうして、県下の民俗研究はようやくその緒についたところである。