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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

三 公娼廃止

 世界大恐慌による不況は続き、失業者増大の昭和七年、県下の公娼は一四四人(道後松ヶ枝町三三人、三津稲荷新地一〇六人、安居島五人)であったが、私娼は数知れず、一二歳から一五歳ぐらいの少女たちが芸者・女給・酌婦となって働いているという県の調査結果がある。昭和七年の県会ではようやく公娼廃止が論議に取り上げられた。ここに至る過程には婦人矯風会の廃娼運動や、同年一〇月発足した県廃娼期成同盟会の影響大なるところがあった。そして、ついに昭和一一年一二月の県会で公娼廃止に関する意見書が可決され、昭和一五年一一月から公娼制度が廃止された。しかし、それは形の上だけであり、実質的な廃止は終戦後のことである。