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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

五 県土の保全と災害予防

 治山治水緊急措置法の制定

 戦争直後の公共事業の重点は、失業対策、食糧増産対策及び戦災復興、それに連続的に発生した水害による災害復旧対策に向けられた。このため、治山治水事業には積極的な推進は見られず、悪循環を繰り返した。昭和二四年ごろから、経済の安定、食糧事情の好転により治山治水事業に重点が移ってきた。ところが昭和二八年に全国的な大水害の発生を契機に、治山治水の推進が強く求められたため、政府は内閣に「治山治水対策協議会」を設置した。その結果、治山治水事業の長期計画及び実施方策、今後政府のとるべき施策の基本をまとめた「治山治水基本対策要綱」が決定された。この要綱は総合計画として画期的なものであったが、投資規模が当時の多端な財政力にくらべて大きく、とくに災害復旧の累積する現状もあって閣議決定をみるに至らなかったが、その後の長期計画の基本を示し、施策を方向付けるものとして大きな意義を有するものであった。その後、水害発生の小康状態や地方財政の悪化とその再建対策もあって、治山治水事業の進展はみられなかった。この間、昭和二八年の東海地方の災害を契機とした「海岸法」(昭和三一年)、三二年の諌早水害での地すべり、がけくずれによる甚大な被害を教訓とした「地すべり等防止法」(昭和三三年)などが整備された。
 しかるに、昭和三三年の狩野川台風、また翌三四年の伊勢湾台風と激甚な災害が発生し、これらの災害対策とともに治山治水対策が再び大きくとり上げられることとなった。昭和三四年度の予算閣議に際し、内閣に「治山治水対策関係閣僚懇談会」を設置し、財政の裏付けある長期計画立案の閣議決定がなされた。この結果、翌三五年三月に「治山治水緊急措置法」を制定し、これに基づき昭和三五年度を起点とする「治山治水事業一〇か年計画」が閣議決定された。ここに、戦後はじめて治山治水事業が制度的に確立されることになったのである。また、同時に財政措置として、従来の「特定多目的ダム工事特別会計」を吸収して「治水特別会計」が設置されたのである。

 国土保全の推進

治山治水緊急措置法の制定以来、各種の国土保全関係法令の整備、長期計画に基づく国土保全事業が推進されてきている。主なものをあげると、国は、治山・治水事業五箇年計画、海岸事業五箇年計画、急傾斜地崩壊対策事業五箇年計画等に基づき、山地の崩壊及び土砂の流出を防止するための治山事業、重要な河川の改修、都市河川の改修、洪水調節機能を有するダムの建設等の治水事業、重要な水系に係る河川等における土砂の流出及び土砂流の防止のための砂防事業、がけ地等急傾斜地崩壊対策事業、高潮や風浪による浸水や海岸侵食を防止するための海岸事業、農地、農業用施設の防災事業、地盤沈下対策等の各種事業を計画的に推進しているのである(国土庁編防災白書)。
 長期計画に基づく国土保全事業の実施状況は、表3-4のようである。
 〈治山事業五か年計画〉 昭和三五年から開始された長期計画に基づく治山事業は、現在第六次計画が進行中であるが、以下その概要を紹介しておこう。まず、最初の「治山事業一〇か年計画」については、前期五か年、後期五か年に分けて計画された。愛媛県の場合、前期五か年終了の段階での計画と実績をあげると表3-5のようである。これによると、工事額では達成率は一一四%だが、数量では計画の五九%の進捗にすぎない。これは、当該計画年次である昭和三五~三九年は、戦後日本経済の発展が最も著しかった時代であり、後期五か年計画の実施は見直しを必定とした。このため、昭和四〇年度を初年度とする新治山事業五か年計画が立てられた。これが第二次計画である。しかし、この計画も
昭和四二年の異常な災害の発生と著しい経済発展のため、計画の実行が困難となった。愛媛県の計画と実績をあげると、表3-6のようである。
 こうしたことから、政府は新たに山地および道路崩壊危険地を含めた予防治山を重点的に、昭和四三年度を初年度とする第三次治山事業五か年計画をたて、実施することとした。愛媛県における実施状況は表3-7のようである。この計画も昭和四六年度まで計画的に実施されたが、物価変動を中心とする経済情勢や大規模な国土開発の進行、これに伴う災害の大規模化や複合化、水需要の増大、環境保全の新たな社会的課題に対応するため、新たな視点で計画の見直しが要請されることとなった。こうして昭和四七年度を初年度とする第四次治山事業五か年計画が樹立されたのである。この計画では、新たに生活環境保全林整備事業、保安林指定目的の早期達成を計るための保育事業、小規模山地災害対策事業などが取り入れられている。愛媛県における計画と実績をみると表3-8のようである。
 昭和五二年度からは、第五次治山事業五か年計画が開始された。国民経済の発展により、国土の高密度な利用は、さまざまな分野で森林の公益機能の充実が求められ、特に国土開発の飛躍的な進展、生活水準の向上等を反映して、水需要の増大はもとより保健休養機能を備えた保安林の造成等、自然保護への関心が高まってきたことに配慮をしている。愛媛県における当計画と実績は表3-9のようである。
 つづいて、昭和五七年度からの第六次治山事業五か年計画は、山地災害の多発に対処するため山地の保全を拡充強化し、災害の未然防止と森林の水源かん養機能の維持向上に重点をおき、第五次計画に対して一・三九倍の規模である一九一億円余で事業が進められている。
 〈治水事業五か年計画〉 治山治水緊急措置法の制定により、当初、三五年度を初年度とする治水事業に関する一〇か年計画の前期分として治水事業五か年計画が策定され、三九年度をもって終了した。総投資規模は四、〇〇〇億円であったが、この間には全国各地で災害の発生が多かったこと、計画期間中にわが国の高度経済成長がめざましく、国及び地方公共団体の財政を通じての積極的な投資が行われたことなどにより、その投資実績は計画額を約一八%上回る結果となった。この結果、一〇か年にわたる計画期間は、社会経済情勢の変遷、技術革新などテンポの早い現代における施設計画としては長きに失するので、新河川法の施行を契機として、法を改正し、五か年計画制度が確立されたのである。
 第二次治水事業五か年計画は、昭和四〇年度を初年度として、投資規模一兆一、〇〇〇億円をもって策定されたが、社会経済の急激な発展と変化によって、期間終了をまたず改定の必要が生じ、五六%の進捗率をもって四二年度をもって打ち切られ、第三次五か年計画に移行することとなった。
 第三次治水事業五か年計画の前提となったのは、治水事業に関する長期構想であった。この構想は、将来における我が国の経済及び国民生活の水準に相応するものとして調和のとれた国土保全施設の整備、水資源の開発を行う全体構想のもとに、昭和六〇年までにその根幹となる施設の設営を図ろうとするものであって、その総投資規模は二三兆円と見込まれた。第三次五か年計画は、このような長期構想の第一期計画として、昭和四三年度を初年度とする五か年度に、そのうち緊急に対策を要するものにつき重点的な促進を図ることとし、投資規模は二兆五〇〇億円であった。第三次五か年計画は、昭和四六年度までに七一%の進捗率をみたが、一方その間の我が国の社会経済は著しく進展を遂げ、河川行政をめぐる環境も変化し、また四四年には新全国総合開発計画、翌四五年には新経済社会発展計画の策定も行われたので、このような事態に対処するため、計画期間の終了を待つことなく、新たに四七年度を初年度とする第四次五か年計画が策定された。
 第四次五か年計画は、昭和六〇年を目標とする治水事業の長期構想(総投資額約三六兆円)に基づいて策定されたものであり、その規模は四兆五〇〇億円であった。計画は、計画期間の最終年度である昭和五一年度までに、九五%を達成して終了したが、四〇年代の後半から五〇年代にかけては、異常気象により激甚な災害が発生し、また高度成長期を通じて都市化の進展により、河川はん濫区域に人口・資産が集積したことにより被害規模が増大するなどの傾向がみられた。このような状況を踏まえて、第四次五か年計画に引き続き、昭和五二年度を初年度とする第五次計画が策定された。
第五次五か年計画は、特に中小河川・都市河川対策の強化、土石流対策等土砂害対策の強化、重要河川の整備、水資源の開発と高度利用に重点をおき、総投資規模は七兆六、三〇〇億円とされた。
 現在、治水事業五か年計画は、法の規定により、建設大臣は河川審議会の意見をきいて計画を作成し、閣議の決定を求めなければならないものとされている。計画の対象となる事業は、①河川法の適用河川及び準用河川に関する事業、②砂防設備に関する事業、③地すべり等防止法による地すべり防止工事又はぼた山崩壊工事に関する事業、④特定多目的ダムの建設工事に関する事業、⑤水資源開発公団が行うダムの建設等の事業とされ、これらの事業について国の直轄施行によるもの、都道府県知事施行で国の負担又は補助を伴うもの及び水資源開発公団施行でその費用を国から交付されるものとされている。
 愛媛県関係では河川改修事業関係について県が計画あるいは要求した額をあげると、表3-10のようである。

 新河川法の成立と県下の河川の状況

 昭和三九年に新河川法が制定され、翌年四月一日から施行された。旧河川法(明治二九年法律第七一号)は、七〇余年にわたって河川に関する統一法制として治水及び利水に大きな役割を果たしてきたが、その後の社会経済の進展及び戦後の法律制度の変革に伴い改正の必要に迫られた。特に、戦後の地方制度の改革、法律制度の近代化、利水関係規定の整備、治水事業の推進などがその大きな事由であった。法の対象とする河川は、旧法においては、同一水系においても河川の重要度に応じて、適用河川及び準用河川に区分して管理する区間主義河川管理体制がとられていたが、新法では、河川は水系ごとに有機的な相互関連があり、上流から下流まで一貫して総合的管理を図ることとして水系主義河川管理体制を採用し、水系ごとに一級河川、二級河川及び準用河川に区分されている。
 一級河川とは、国土保全上または国民経済上特に重要な水系で政令に指定したものに係る河川で、政令で指定したものである。二級河川とは、一級河川の存する水系以外の水系で、公共の利害に重要な関係があるものに係る河川で、都道府県知事が区間を明らかにして指定したものをいい、準用河川とは、一級または二級河川の存する水系以外の水系に係る河川で市町村長が指定したものをいう。なお、このほかに法律上の言葉ではないが、河川法に基づく管理が行われないもので一、二級河川及び準用河川を除き、それらの上流の渓流並びに単独普通河川を「普通河川」と称している。河川の管理者については、旧法では、適用・準用河川ともに国の機関としての都道府県知事に管理権を一括して委任していたが、新法では、一級河川を建設大臣が、二級河川を(国の機関としての)都道府県知事が、準用河川は市町村長が政令で定める事項を除く二級河川に関する事項を準用して管理することとされている。
 愛媛県における河川の現況は、表3-11のようである。一級河川は、五水系七四五河川であり、このうち建設省直轄管理河川は四水系一五河川九〇・七八km、県が管理している一級河川は五水系七四五河川一、八五〇km余、二級河川は一八一水系四〇五河川一、二一一km余である。なお、政令で指定されている関係五水系とは、吉野川水系、重信川水系、仁淀川水系、肱川水系、渡川水系である。

 河川の改修事業

 従来、国が直轄施行する河川の直轄工事区域以外の区域及びその他の適用河川、準用河川の改修事業は、都道府県知事が施行する制度であった。新法では、河川管理制度が一元化され、責任体制が明確化された。その結果、一級河川については、国の直轄管理と、区間を指定し(指定区間)その管理の一部を都道府県知事に委託して行わせることになった。
 河川改修補助事業については、戦前の昭和七年度に都道府県が施行する「中小河川改良事業」について補助制度が設けられたほか、昭和一二年度には、「河川局部改良事業」に対する国庫補助制度が創設された。
 戦後は、昭和三四年度から「小規模河川改修事業」が創設されたほか、離島河川関係、都市河川関係、河川環境整備関係など補助制度が整備拡充されてきた。愛媛県ではこうした公共事業のほか県単独事業を実施して、河川の改修に努めている。なお、このほか激甚災害をもたらした河川については、「激甚災害対策特別事業」があり、昭和五一年九月の台風一七号災害によって「新川」が、同五四年六月の梅雨前線豪雨によって「宮前川」がそれぞれ指定を受け、改修が行われている。

 河川総合開発事業

 河川総合開発は、河川における治水と各種利水の計画を総合的に実施することである。戦前の昭和一二年、河水統制事業としてスタートしたが戦時中は財政、資材その他の面で困難が続出し、充分な成果をみることができなかった。戦後、あいつぐ大水害による食糧不足、電力飢饉等の社会的・経済的な実情とアメリカのTVAの輝く成功は、河川統制とりわけ多目的ダムの必要性と優位性を広く認識させた。昭和二三年、国土計画の基本的事項を行う経済安定本部に河川総合開発調査協議会が設けられて調査が始められ、翌年、治水調査会は主要水系改修計画を決定、その計画中に多目的貯水池による洪水調節の大幅編入が入り、多目的ダムが脚光を浴びることとなった。
 昭和二五年、アメリカ対日援助見返資金の放出によって事業は本格化し、翌二六年、従来の河川統制事業は河川総合開発事業と呼ばれるようになった。つづいて、二九年には「河川法第四条第二項の規定に基づく共同施設に関する省令」を制定して、多目的ダムの河川法上における地位を明確化し、さらに多目的ダムを側面から推進する法律として土地改良法(昭和二四年)、電源開発促進法(昭和二七年)が制定された。昭和三二年、多目的ダムの建設及び管理の合理化を図るため、「特定多目的ダム法」と「特定ダム建設工事特別会計法」が制定された。なお、この特別会計法は、昭和三五年の治水特別会計の設置によって、同会計中
のダム勘定に吸収された。昭和三六年、経済の高度成長に伴い重要産業地帯における水需要が逼迫し、用水問題の解決が急がれる状態になり、この結果、水資源開発促進法と水資源開発公団法が制定され、翌三七年に水資源開発公団が設立された。
 愛媛県における河川総合開発に係るダムの現況をみると、表3-12のようである。東予地域では、県下最初の多目的ダムである柳瀬ダムが、河水統制事業として銅山川の治水及び県東部の用水を確保するため昭和二三年に着手され、六年の歳月を経て昭和二九年に完成した。その後、国領川総合開発事業として昭和三八年に鹿森ダムが完成し、また、東予新産業都市建設の動脈となる蒼社川及び加茂川開発については、河川総合開発事業として玉川ダム・黒瀬ダムがそれぞれ完成している。銅山川水系では吉野川総合開発事業の一環として、水資源開発公団により新宮ダムが完成、現在は洪水調節と伊予三島市・川之江市の工業用水及び生活用水確保のため、富郷ダムの建設が進められている。さらに、大三島町台本川の治水及び越智郡島しょ部の慢性的な水不足解消を図るため、台ダムの建設が進められている。
 中予地域では、中央都市圏建設の一環として松山市の生活用水の確保と治水、特定灌漑のため、重信川水系石手川に石手川ダムが完成している。しかし当地域は、人口の都市集中と経済発展等に伴い都市用水の重要が著しく増加しており、水資源の確保が急務となっていることから、治水を含めた多目的ダムの建設が検討されている。
 南予地域では、肱川水系の鹿野川ダムが昭和三四年、野村ダムが昭和五七年にそれぞれ完成し、大洲市を中心とした沿川地帯を洪水から防御しているほか、須賀川に須賀川ダム、岩松川水系御代の川に山財ダムが完成し、下流の宇和島市及び津島町への治水対策とともに生活・灌漑用水の供給を行っている。
 なお、以上のほか、農林省直轄の「道前道後水利総合開発事業」として、仁淀川水系面河川に昭和四〇年、面河ダムが完成し、農業水利、及び工業用水の供給と発電の用に供されている。

 砂防法と砂防事業

 山地・急流が多く、土地の高度利用の進んだ我が国では、国土保全、災害防止のため、砂防事業が古くから重視されてきた。総括的な法制である砂防法は、明治三〇年法律第二九号で制定公布、同年四月一日から施行されて今日に及んでいる。現行法令のうち最も古いものの一つである。その後数次にわたって改正されたが、いずれも最小限度の改正にとまっている。その特色は、砂防事業は国の事業として規定し、国の機関としての都道府県知事に執行させ、都道府県にはその費用を支弁させるものとしたもので、いわゆる公費官営事業である点にある。
 国では、砂防事業を第一次以後の治水計画に織り込んだほか、昭和七~九年のいわゆる時局匡救事業に取り上げて大いに施工してきた。戦後も治山事業五か年計画に織り込んで実施されている。
 砂防法の対象となるのは、法に規定された「砂防指定地」で、その土地において行われる行為については法の制約を受けるほか、必要な場合には砂防工事が行われることとなっている。この制約の内容、手続き等については、各都道府県の規則をもって制約されている。愛媛県の場合、砂防法の施行以来、逐次指定地が拡大され、その整備保全が図られてきた。昭和六〇年四月現在の砂防指定地は、渓流数一、〇五七、箇所数一、三八三、指定面積は河川敷・山地その他を合わせて一万三、〇六七ha余となっている(「えひめの土木事業」)。また、管理については、「愛媛県砂防指定地管理規則」によって規制、管理が行われている。
 本県の砂防事業をみると、記録に明記されているものでは、明治三九年に越智郡玉川村地内、蒼社川へ谷止工並びに山腹工事を施行したのが始まりである。明治三九年から大正一五年までには、蒼社川、頓田川、中山川、重信川の水系で行われた。その後、事業規模については当時の社会・経済情勢に左右されるが、戦中・戦後から今日にいたるまで絶え間なく続けられているのである。

 地すべり対策事業

 地すべりの防止については、従来砂防法による砂防事業、森林法による保安林施設事業、農地保全事業等の一環としてそれぞれ行われてきた。しかし、地すべりという現象に対する防止対策について有機的統一を図る制度はなかった。昭和三三年三月、「地すべり等防止法」が公布、同年四月一日から施行されることとなった。この法律によって、地すべり防止上有害な行為を取り締まるとともに、被害を未然に防止または軽減するため、地すべり地域内の住宅の移転、農業用施設の整備等に対する有効適切な対策を講ずる等、地すべり防止の抜本的な法制が整備された。法の対象となる「地すべり防止区域」の指定は、主務大臣(建設大臣または農林大臣)が行うもので、その管理は、国の機関としての都道府県知事が行うこととされている。
 愛媛県における地すべり対策事業は、昭和二七年度に地方財政法に基づく国庫補助事業として認められて施行したのが最初である。当初は、八四か所、面積一、〇三八haを地すべり地域として対象にしていた。地すべり等防止法が制定されるにおよんで、その適用範囲も増加し、昭和五五年四月現在、二八七か所となっている。本県は中央構造線が横断するところから、全国有数の地すべり地帯であり、危険箇所は昭和六〇年四月現在、建設省所管が二九〇、林野庁所管五六、農林水産省農地局所管四九二、計八三八箇所となっており、地域別にみると越智郡、南宇和郡を除き全域に分布している。

 急傾斜地崩壊対策事業

 急傾斜地崩壊防止事業は、昭和四二年度から国庫補助が制度化された。つづいて、従来、砂防法、地すべり等防止法、宅地造成等規制法など各法が目的の範囲内で対策を講じてきたが、がけ崩れに対する統一的な対策として、昭和四四年七月、「急傾斜地の崩壊による災害防止に関する法律」が制定された。これによって、「急傾斜地の崩壊を防止し、被害の軽減を図りつつ、警戒避難体制を整備する等の措置を行うため、崩壊するおそれのある急傾斜地で、その崩壊により相当数の居住者、その他のものに危害が生ずるおそれのあるもの、および隣接する土地のうち、崩壊が助長誘発のおそれがないよう有害行為の制限を要する」区域を、都道府県知事が急傾斜崩壊危険区域に指定し、諸施策を実施することとなった。
 県下の急傾斜地崩壊危険箇所は二、八八〇箇所を数え、全国第五位にランクされている。そのうち、自然がけで対策を要する箇所は二、三一六と極めて多い。分布の状況は、南予地方が全体の五四%と多く、地区的には海岸線、南予山岳部の盆地、都市周辺部など、土地利用度の高い地区に多く分布している。愛媛県では、昭和六〇年四月現在、三八〇箇所、五二八ha余、一万〇、〇一〇戸の対象戸数の地区を、急傾斜地崩壊危険区域に指定している。事業としては、急傾斜地崩壊対策五か年計画など国の公共事業の導入と併せて県単独事業「がけ崩れ防災対策補助事業」の補完により、危険度の高い箇所から順次対策事業を推進している。なお、指定地については、「愛媛県急傾斜地崩壊危険区域管理規則」に基づき管理が行われ、地域ぐるみのパトロールによる危険箇所の点検及び防災知識の普及、避難体制の確立、がけ地保全運動などが推進されている。

 海岸の保全

 海岸の保全については、我が国の自然的、地理的条件からみて、極めて重要な事業であるにかかわらず、昭和二五年以前においては、災害復旧を除いた事業はほとんど行われていなかった。戦後相次いで高潮による激甚な被害を受け、これまでの災害復旧事業による部分的な原形復旧のみでは災害防止が期待できない状況のため、昭和二五年度から、災害復旧に改良を加えた一定計画のもとに高潮防御事業が開始され、また海岸堤防修築事業が国の補助事業として発足した。ついで、昭和二七年度からは、国の補助事業として浸食対策及び局部改良事業も実施されるようになった。こうしたなかで、災害対策や海岸関係の各省の事業に対する計画性・一貫性をもたした海岸の保全のために基本的な法制が求められ、さらに海岸利用の活発化に伴い海岸管理の法制が強く要請された。建設省では、昭和二五年ごろから海岸保全法の立案に着手していたが、各省との調整に期間を要し、ようやく昭和三一年に「海岸法」が制定された。これにより、海岸行政の統一化が行われ、その事業も予算補助の事業から法律に基づく事業として整備されることとなった。
 愛媛県下には、燧灘から宇和海に至る間に一、六二六km、全国第五位の長い海岸線がある。これらの海岸は、運輸省(港湾区域、港湾隣接地域に係る海岸)、農林省(漁港、農地及び土地改良区域に係る海岸)、建設省(その他の海岸)がそれぞれ所管している。このうち、建設海岸延長は五六万二、九九七mで、天然護岸二七万三、三六二mを除くほかは堤防護岸の施設のある人工護岸である(「えひめの土木事業」)。昭
和二一年一二月二一日未明の南海道地震のため、本県の海岸線は急激な地盤変動現象を起こし、以来海岸線一帯は随所で浸潮、破堤、越浪を生じ大被害を受けることとなった。地盤の沈下は、東予において八〇~一〇〇cm、中予において六〇~八〇cm、南予において五〇~七〇cmと推定されている。さらに、昭和二四年のデラ、二五年のキジヤ、二六年のルース、二九年の第一五号等相次ぐ台風の襲来により各地工作物の損害は甚だしかった。
 このため、海岸の保全事業は昭和二五年度から被害の大きい東、中予海岸を重点として実施された。まず、背後地の広大な海岸線は「海岸堤防修築事業」「海岸高潮対策事業」として昭和二五年度から、また局部的改良で効果の発揮できるものは「海岸局部改良事業」として昭和二七年度から、土砂の流下により堤防の高さを補足する必要のある箇所は「地盤変動対策事業」として昭和二七年度から、抜本的な工事は「海岸災害復旧助成事業」で昭和二七年度から、それぞれ一連の計画に基づき実施された。海岸工事としては、本県でかつてない大規模なものであった。
 昭和三一年に海岸法が施行され、海岸に関する行政はこの法律に基づき実施されるようになった。しかし、長期計画に基づいた海岸事業が実施されたのは、昭和四五年度を初年度とする第一次海岸事業五か年計画以後のことである。以後、第二次~第四次と現在におよんでいる。愛媛県では、高潮、津波予防事業として、運輸省所管海岸については海岸管理者(知事または市町村長)が高潮対策事業及び海岸局部改良事業を、農林省所管海岸については市町村が漁港海岸浸食事業を、農地及び土地改良に係る高潮浸食対策事業を県または市町村がそれぞれ国庫補助事業及び単独事業として実施している。また、建設省所管海岸についても、県が高潮対策事業及び海岸局部改良事業を実施している(県地域防災計画)。

表3-4 国土保全に係る各種5箇年計画の実施状況

表3-4 国土保全に係る各種5箇年計画の実施状況


表3-5 治山事業10か年計画並びに実績 (愛媛県)

表3-5 治山事業10か年計画並びに実績 (愛媛県)


表3-6 第2次治山事業5カ年計画と実績 (愛媛県)

表3-6 第2次治山事業5カ年計画と実績 (愛媛県)


表3-7 第3次治山事業5か年計画と実績 (愛媛県)

表3-7 第3次治山事業5か年計画と実績 (愛媛県)


表3-8 第4次治山事業5か年計画と実績 (愛媛県)

表3-8 第4次治山事業5か年計画と実績 (愛媛県)


表3-9 第5次治山事業5カ年計画と実績 (愛媛県)

表3-9 第5次治山事業5カ年計画と実績 (愛媛県)


図3-6 愛媛県の主な河川図

図3-6 愛媛県の主な河川図


表3-10 治水事業5か年計画要求額 (愛媛県) -河川改修事業関係-

表3-10 治水事業5か年計画要求額 (愛媛県) -河川改修事業関係-


表3-11 愛媛県内の河川の現況

表3-11 愛媛県内の河川の現況


表3-12 愛媛県における総合開発事業とダムの現況

表3-12 愛媛県における総合開発事業とダムの現況