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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

五 精神衛生

 精神衛生法の制定と改正

 近代日本の精神病対策は欧米先進国に比べて著しく遅れており、明治三三年三月九日制定の「精神病者監護法」、大正八年三月二五日の公布の「精神病院法」が存在するに過ぎなかった。本県でも、昭和五年五月今治脳病院、同九年松山精神病院が県の代用病院に指定されるにとどまり、多くの精神病者が私宅監置か野放しの状態に置かれていた。
 戦後、欧米諸国の発達した精神衛生の知識を導入して、精神衛生が単に精神病者の治療予防にとどまることなく精神的健康の保持及び向上を図るべきものであるとの考え方の下に、昭和二五年五月一日「精神衛生法」の制定をみるに至った。この法律では、精神障害者を中毒性精神病者を含めた精神病者・精神薄弱者及び精神病質者と定義、都道府県は精神病院を設置するかそれに代わる施設の指定を義務づけ、保健所に精神衛生相談所を設置し精神衛生鑑定医の制度を設けた。
 愛媛県は松山精神病院を指定病院にしたが、昭和二六年七月二五日付「愛媛新聞」は、「県予防課の調査で県内の精神障害者で入院を要するものは約三千人あり、現在までの各種統計の示すところによると、軽症を含めて精神障害者数は約六万一千人となる。則も群衆百人の中四人の精神障害者が歩いている勘定になる。この数は全国平均を上廻っているのに、県下の収容施設は財団法人松山脳病院(県指定病床三二を含めて三百床)だけで、監定医も同病院々長および副院長の二名だけという有様。増床計画が来年度二百床あるというものの、県予防課でも結核病舎の拡充が先決で脳病院建設の予算はとれない」と、精神衛生対策の立遅れを報じている。その後、宇和島・大洲・新居浜・今治各都市の名を冠した精神病院が昭和二八~三〇年に相次いで設置されたので、県はこれを指定病院に加えた。昭和三二年には久米精神病院が国庫補助金を得て鉄筋コンクリート二階建一〇〇床の病棟を完成させた。
 この年の四月には県衛生部予防課に精神衛生係を新設、ついで七月五日「愛媛県精神衛生相談所設置規則」を公布して、精神衛生相談所を松山保健所に併置するとともに、相談所の位置を松山市出淵町一丁目の県立中央病院内に置き、精神衛生に関する相談・指導と知識の普及に乗り出した。昭和三五年九月二七日付の「愛媛新聞」は、精神衛生相談所は従来毎週月・水・金の午前中鶴井雅医師が相談を担当、一日平均二〇人が相談に訪れ、相談内容も精神病予防、退院者の指導、精薄者性格異常者の保護・ノイローゼ相談からひきつけ、てんかん、結婚相手の性格分析の相談まであり、多忙なため相談所を常設するとともに心理学専任担当者を一人増員したと報じた。精神衛生相談所は、昭和三八年愛媛県松山総合庁舎新築で独立した機関に発展した。三二年には愛媛県精神衛生協会も設立され、精神衛生が飛躍する契機となった年であった。
 現代における社会環境の複雑化と激動の中での日常生活には精神の健康をおびやかす多くの要因を含んでおり、全国的に精神障害者は増加する傾向が見られた。厚生省は各都道府県に指示して昭和二九年七月と同三八年七月に精神衛生実態調査を実施した。調査による県内の精神病者は昭和三八年で八、六八一人と推定され、同二九年の人口千対五・二人に対し五・九人に増えた。この調査結果にかんがみ、精神衛生審議会に諮間答申を得て昭和四〇年六月三〇日「精神衛生法」を改正した。改正の要点は、精神衛生の向上を期するため都道府県が精神衛生センターを設置すること、適正な医療を普及するため通院医療費の公費負担制度を創設したこと、精神衛生に関する相談指導を行うことを保健所長に義務づけ、保健所に精神衛生に関する相談・指導を行う職員を置くこと、都道府県に地方精神衛生審議会を置くことなどであった。
 愛媛県では精神衛生相談所のほかに各保健所で精神衛生相談業務を始め、在宅精神障害者の訪問指導を積極的に進めることにした。また同四〇年一〇月一日から通院治療している精神障害者の治療費を国・県で半額ずつ補助することになった。精神病院の設置費・運営費の一部を国庫が補助することもあって、この時期精神病院が表5―2に見られるように増設され、保護と治療機関の整備充実が図られた。

 精神薄弱者対策

 精神薄弱は文部省の判定基準によると「種々の原因により、精神発達が恒久的に遅滞し、そのため知的能力が劣り、自己の身辺のことがらの処理及び社会生活への適応が著しく困難なもの」と定義し、その精神欠陥の程度に応じて保護、職業訓練が行わなければならないとしている。昭和二二年三月に公布された「学校教育法」によって教育保護施設としての特殊学級の設置、同年一二月「児童福祉法」の公布で児童相談所が設けられ、児童の精神衛生的指導が行われるとともに精神薄弱児に対する福祉施設が規定された。さらに同三五年三月「精神薄弱者福祉法」によって一八歳以上の精神薄弱者の収容所設置が促された。
 愛媛県では、昭和二九年に県立八幡浜学園が開設したのを最初に表5―3のような八擁護収容施設が誕生した。学齢児童の特殊教育施設としては、昭和四七年愛媛大学付属養護学校、同四八年第三養護学校、同五四年宇和・今治養護学校が開校、それぞれの収容施設に分校を設けて教育に当たっている。
 県は、昭和三九年度から重度精神薄弱児扶養手当の支給を開始、また在宅精神薄弱者の「手をつなぐ親の会」の育成や就職自立を援助するための「ちえ遅れの子どもたちの職親を求める運動」を展開して、それぞれの成果をあげている。昭和六〇年四月には同五六年の国際障害者年を契機に着手した県総合福祉センター整備事業の一つとして道後今市に県精神薄弱者更生訓練校・通勤寮〝わかば寮″が完成、雇用が困難な薄弱者を対象に水引加工・印刷・縫製・花栽培などの授産事業を近代施設の中で開始した。

表5-2 愛媛県精神病院(病室)一覧

表5-2 愛媛県精神病院(病室)一覧


表5-3 精神薄弱者の養護施設

表5-3 精神薄弱者の養護施設