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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

四 防疫と環境衛生の改善

 細菌検査と隔離の徹底

 愛媛県は、伝染病患者の隔離の徹底を図るため大正六年一一月一六日「伝染病予防法及同施行規則取扱細則」を一部改正、主治医看護婦専従など自宅療養の条件を厳しくして伝染病院隔離病舎に入院しなければならないようにした。ついで、同七年三月二六日「菌保有者取扱規程」を定めて、伝染病患者が発生したとき市町村長は患家の家族及び予防区域内居住者全部から糞便を採取して細菌検査室に送付、検査の結果は検査室から市町村長に通知する、患者全治者は二回以上陰性の通知を受けなければ隔離から解放されない、菌保有を認められたものは隔日に検便を受け、旅行禁止、他の家族と便所・寝具・食器などの区別、他人との接触禁止などの処置を命ずることができるなどを明記、細菌検査を強制して伝播を防ごうとした(資近代3 六七一)。県当局は、この細菌検査の励行にあたり、既設の県衛生課細菌検査室のほかに今治・宇和島警察署内に検査室を設け、同一二年には角野・八幡浜警察署内にも増設した。五か所の細菌検査室の大正一二年中の成績は、腸チフス四、四七一人に対し発見菌保有者一〇三人、赤痢二、六九三人に対し発見菌一四人であり、ほとんどが強制採便検査によるものであった。なお、この年依頼による一八人の喀痰中結核菌検査を行い八人から菌を発見している。
 こうして細菌検査と患者の隔離を強行する態勢が整ったものの、隠蔽は依然跡を絶たなかった。県会で、医師でもある松本経愛・林實正議員らは、民間に隠蔽が多いのは県当局の千篇一律な規則の執行と隔離病舎の位置・設備の悪さに原因があると指摘し、県衛生課も「各市町村ノ伝染病隔離病舎ハ従来不完全ノモノ多ク延テハ患者隠蔽ノ原因ヲ為スノ実況」を認めていた。当時の隔離病舎の大半は、山の中腹か河川の堤防・原野の中など人家と隔絶した位置に設けられ、医務室や看護人の食堂・寝室もなく、粗末な病室で患者と同居するといった不完全なものであった。患家が隔離されることを恐れて病気を隠蔽し、医者も嫌がる患者をあえて隔離病舎に送り込むことをためらう原因がここにあった。県は新築改築は四分の一、修繕は六分の一の補助を与えて病舎の新築改修を奨励したが、隔離病舎の不備と隠蔽の悪循環はその後も続いた。昭和三年時の県内隔離病舎の数及び収容人員を郡市別に挙げると表3―4のようである。

伝染病予防法規の改正

 大正一一年四月一〇日政府は伝染病予防法の一部改正を行った。改正の要点は伝染病にパラチフスと流行性脳脊髄膜炎を加えたこと、病原菌保有者を患者とみなし就業を制限したこと、昆虫などの駆除に関する規定を設けたこと、府県に対する国庫補助の率を六分の一から三分の一に引き上げたことなどであった。
 予防法改正に伴い、愛媛県当局は大正一二年一月一九日「市町村伝染病予防費補助規則」を定めて、防疫費五〇円以上を支出した市町村には、コレラ・ペスト予防の場合は支出額の三分の一、その他の伝染病予防の場合は六分の一を、隔離病舎を新築増築する市町村には費用の四分の一を補助することにして、四月一三日その取り扱い手続を示した(資近代3 八九三~八九四)。同年一月二三日には、明治二九年の「医師伝染病届出規程」、同三〇年の「伝染病予防法及同法施行規則取扱細則」、大正七年の「菌保有者取扱規程」などを廃して、これらを集大成した「伝染病予防法施行細則」を発布した。同細則は、伝染病が発生したとき町村長は郡長・警察署長を通じて県に報告すること、市町村はできるかぎり市町村医を置くことなどをはじめ、自宅療養条件と心得、患者の隔離心得、交通遮断の標示方法、死体の納棺注意、検便実施範囲、隔離病舎の食費、薬価の徴収方、貧困患者の生活費支給、市町村に準備する器具と消毒薬の内容、保菌者の検査と処理など二七か条にわたって規定した(資社会経済下七〇六~七一〇)。同日、「伝染病予防法並施行細則取扱心得」を郡市町村・警察署に通達、伝染病通報の様式、伝染病患者台帳の書式、検便の送付方法、菌保有者の監視などを指令した。
 その後、防疫体制において、郡市町村長と警察署長との間で命令系統に混乱が生ずる、流行地住民の健康診断、遊泳漁撈の禁止は知事の権限事項であったので防疫のための迅速な処置が取れない、患者全治を判定する細菌検査の結果が遅れて付添人・看護人を含めて一〇日以上隔離病舎に足止めさせるなどの悪例がたびたび起こった。県当局は、郡制廃止を機にこれらを是正するため、大正一五年六月二九日に「伝染病予防法施行細則」を改正、従来郡役所で取り扱っていた事務を警察署に移管すると共に、知事の命令処分事項を警察署長にゆだね、患者全治後の細菌調査は七日以内に処理するよう規定して迅速化を図った。

 消毒清潔法の励行

 大正・昭和初期の伝染病予防で推進されたものに消毒清潔法の励行があった。大正元年九月二五日、県知事伊澤多喜男は、水害後において伝染病及び地方病が蔓延を来たし、その他一般病が増加するのは既往事実の証明する所であってその害毒甚だ恐るべきものがある、この原因は主として浸水により土地家屋飲料水などが不潔になることと各人の不摂生などに基因するものであるから、浸水被害地では消毒的清潔法及び乾燥方法の施行並摂生などに注意して、病害の防禦に努めることと告諭した。床下及び宅地の汚泥塵芥の除去、井戸の消毒、畳・柱・戸障子などの洗浄、衣類・夜具の日光消毒、便所に石灰乳の撒布などの清潔法を示した(資近代3六六九~六七〇)。水害地に対する消毒的清潔法は大正三年九月八日にも出され、水害後の衛生が徹底するようになった。この年の一月二〇日には、「消毒施行手続」を発布、伝染病患家の台所・居間・便所などの屋内消毒、下水溝・汚水溜・塵芥溜など屋外消毒の場所指定と伝染病の種類による消毒の程度が郡市役所・警察署・町村役場に具体的に示された(資近代3 六七二~六七五)。
 清潔法は定期清潔法と臨時清潔法に分かれ、いずれも県知事がその施行を命じた。大正五年に例をとれば、二月八日付で赤痢・腸チフス菌は病毒発育増殖に不適当な寒冷の時期に掃蕩しなければならないとして二月中の定期清潔法の励行を訓令、一〇月二一日には三重県四日市の東洋紡績工場にペストが発生したとしてのペスト予防のための除鼠を目的とする臨時清潔法実施を指示した(資近代3 六七五~六八一)。なお清潔法については大正一五年九月一四日に新しい「清潔方法施行規定」を定めて、臨時清潔法の実施は従来どおり知事が命ずるが、定期清潔方法は市町村長に委ね、毎年一回四月~一〇月の間に施行すべしとした(資近代3 八九七)。
 このような消毒法・清潔法の励行には、時に徹底した無差別消毒の強行などで住民の非難を浴びることもあったが、病害が蔓延してから消毒・隔離などに追われた明治時代に比べ、伝染病流行の前に病毒を阻止しようとする真実の予防法実施が可能になったことは、防疫面で数段の進歩といわなければならない。しかし上下水道の整備など環境衛生施設が十分でなかったこの時期の防疫は完全なものとはいえなかった。
 松山市では大正五年下水道布設工事に着工、同一一年に第一期工事を竣工、専用水路を通った市内の下水は中の川・大法寺川の合流点に放流されたが、その下流堀川は病原菌の格好の培養地となり、その汚水が三津浜地区の井戸に浸入して腸チフス・赤痢発生の要因をなし、ために有数の伝染病汚染地区に挙げられるに至ったとして、三津の住民はしばしば下水放流の付け替えを松山市に要求した。県の斡旋で松山市は水質検査をして適当の処置を講ずることを約束したがそれを実行しなかったので、昭和六年五月激怒した三津町民が市役所に押しかけた。昭和四年八月八幡浜町営住宅に赤痢が流行した原因は排水設備が不完全で共同井戸に汚水が流れ込んだことにあったが、町当局は工費がないとして住民の要請する下水道整備に応じなかった。このような例は県下各地に見られ、地区民をはじめ各方面から下水道の整備が望まれた。しかし市町村当局にとって多額の工事費を要するだけに容易に対応できなかった。
 上水道は、大正一五年に布設した喜多郡長浜町・宇和島市を最初に、昭和一二年末までに施設市町村三市四町一七か村に及んだ。しかしこの時期県下九五%の市町村には上水道の設備はなかった。

 衛生講話の普及

 伝染病予防には衛生思想を普及して県民の自覚を促すことが必要であった。県衛生課ではこれの啓発方法として、日本赤十字社愛媛支部の協力を得て各地で衛生講習・衛生講話などを行い、巡回衛生展覧会を開いたりした。また衛生官吏技師らは新聞紙上で伝染病予防法や衛生談を論じて啓蒙に努めた。こうした当事者の努力にもかかわらず、衛生講話の成果はあまりあがらなかった。「海南新聞」大正五年七月二二日付社説は、「昨今は県下何れの都市村落と言はず盛んに衛生講話が始まり、郡市役所の衛生係、各警察署長或は小学校長町長村長の輩が熱心に人を呼び集めて、大は悪疫予防の一般的注意から小は台所辺りの茶碗洗いに至るまで事も細かに説明し演説する、其骨折は蓋し一遍では無いにも拘らず肝心の聴手は左程に有難いとも思はず寧ろ折角の親切を迷惑がって兎角不参者が多い、そして常々出て来る者は殆んど老人連中計りで、談話者が襦袢も着物も汗に浮いて蛋や蠅の最も恐るべきバクテリアの蕃殖が如何に迅速なるかを力説している場合などには聴衆の大半は好い心得に居眠りをして居ると云った調子で其時の話が何であったかを知ってゐる者の稀れであると云う位だがら、何時まで経っても統計の上に伝染病患者の減少する気配は無く折角の企てがほとんど無意味に帰する所が多い」と述べて衛生講話会に関心が示されない状況を伝え、衛生講話の題材が例年千篇一律の型にはまったもので面白くないから聴衆が少ないのであると指摘した。
 また同新聞大正一〇年一〇月二八日付は論説「県下の衛生」で、「医師が新聞雑誌を利用し及び通俗的講話を各地に開催して民衆の衛生思想を発達増進せしめることの最も緊要なるを思ふ」と、衛生官吏と医師がとかく反目する商売敵的感情を解いて医師の衛生思想普及活動面への参加を期待した。
 こうした批判を受けて、県当局は県医師会に衛生活動への協力を求めるようになった。すなわち、大正一二年には公衆保健運動奨励、花柳病思想の啓発、結核予防思想普及の方法について諮問、翌一三年には農村保健改善方法如何と尋ねている。県医師会では、衛生思想の開発を図る具体策として、小学校児童に衛生思想を注入する巡回衛生展覧会をしばしば開催する、衛生講話会を音楽的娯楽を伴う興味あるものにするなどを拳げ、農村保健改善については避病舎の完備、飲料水の検査、住宅の構造改善、糞壺の改良、寄生虫駆除の徹底、蚊蠅の発生防禦などを答申した。「昭和四年県政事務引継書」は、県民の一般衛生思想は近時各種の宣伝によりやや向上の曙光を認めることができると衛生思想の啓蒙運動が次第に効果をあげてきたことを評価しながらも、なお知識啓発の方法として市町村長及び警察署長に訓達してその実績をあげるのに努めさせ、県郡市医師会と協調を保ち開業医と連絡をとって防疫・保健衛生に協力させると同時に春夏の候毎年各市町村に巡回衛生活動写真同展覧会を開催し随時各地で衛生講話を行わせる、市町村吏員警察官吏その他知識階級に対する短期衛生講習を行い、ポスターを配布し、新聞を利用宣伝するなど衛生思想の普及徹底を期しつつありと、一層の衛生思想の普及徹底を図ろうとしている。

 汚物掃除と環境衛生諸営業規制法規の改正

 愛媛県は、明治三三年三月の「汚物掃除法」「汚物掃除法施行規則」にしたがって同月「汚物掃除法施行細則」「汚物掃除法施行規則及同細則取扱手続」「掃除巡視服務規律」「掃除監視吏員の服制」などを定めた。また大正三年一月三〇日には「公共便所取締規則」「屎尿汲取運搬取締規則」を布達して、公共便所の場所・構造や屎尿運搬の用具容器規制を行って衛生上の配慮をした(資社会経済下七三四~七三六)。その後、汚物掃除法施行細則は、大正四年一月一九日、同九年四月一三日にそれぞれ改められた。大正四年の改正は、邸宅内の便所の便池は釉薬を施した甕または不参透質の容器を用い地面より高くすることなど家屋内の便所を規制、同九年の改正は、汚物掃除法準用地域を松山市・今治市の外に三津浜町・大洲町・八幡浜町・宇和島町にも広め、この四町には掃除監視吏員を置くことにして掃除監督長・掃除監督・掃除巡視の定員・俸給標準を示した(資社会経済下七三六~七三七)。汚物掃除法は、昭和五年に一部改正されて市は汚物処理について義務者から手数料または使用料を徴収することができるようになった。また屎尿を公共の用に供する水面に放流することを禁止し、さらに屎尿は一般の汚物と同様に市が処分することを原則とするが、当分の内掃除義務者に運搬処分させることも認めた。
 食品衛生については、愛媛県は大正三年一月二〇日に「氷雪営業取締細則」を改正して、営業申請手続や採取場製造場貯蔵場の位置構造の規制を整備して衛生管理を強めた。昭和八年一〇月三一日には「牛乳営業取締規則」の改正が行われて、低温高温両法による牛乳殺菌の方法、冷却保存の基準をはじめ容器包装や乳製品などの標示を定め、牛乳搾取業者は許可営業から外して届け出制とした。愛媛県は、昭和九年五月一日に「牛乳営業取締規則施行細則」を定め、五三か条にわたり牛乳営業を詳細に規制した。
 昭和一二年一〇月八日には愛媛県独自の「飲食物営業取締規則」を制定した。同規則は「飲食物営業者ト称スルハ飲食物ヲ販売又ハ販売ノ目的ヲ以テ製造、加工、調理若クハ貯蔵スル者ヲ謂フ」(第一条)と定義づけ、製造場・調理場・加工場・貯蔵場は便所・下水溝・塵挨溜など不潔な場所に接近しないこと、一定の区画を設けて築造し汚水排除の設備を完全にすること、採光換気を十分にして防鼠防蠅その他昆虫類の侵入を防止する設備をすることなど、位置構造設備の条件、清潔の保持、器具の熱湯または浄水洗浄、手指の爪の手入れ、清潔な白衣の着用をはじめ飲食物の取扱い包装などの遵守事項、アイスクリーム・アイスケーキなど氷菓製造の届け出・遵守事項などを示した(資社会経済下七四三~七四五)
 環境衛生上配慮を要する理髪営業については、明治三四年一二月にその取締規則が制定されたが、昭和二年一月八日にこれが廃されて新しい取締規則を定めた。同規則では、「理髪営業卜称スルハ毛髪鬢髯ヲ剃剪シ又ハ頭髪ヲ結束シ若ハ染毛・癖モ直シ、襟抜・其ノ他美容施術ヲ業トスルヲ謂フ」(第一条)とし、理髪営業者は理髪試験に合格した者か、知事の指定した学校・講習所を卒業した者と資格要件を付し、解剖及び生理・衛生及び伝染病・消毒方法・理髪営業に関する法令の大意と理髪実地の試験科目を示し、営業許可申請手続・営業者遵守事項・消毒方法、組合規約記載事頃などを規制した(資社会経済下七三七~七四二)。昭和一三年一月二八日には理髪業だけでなく美容業も含めた「利用術営業取締規則」に改定された。同規則は、通則・営業・試験及び資格証明、組合及び連合会、指定学校及び同講習所、団体理容所、監督、罰則の章に分けて、五五か条にわたる詳細な規定であった。

表3-4 昭和三年愛媛県内隔離病舎数・収容人員

表3-4 昭和三年愛媛県内隔離病舎数・収容人員