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愛媛県史 社会経済5 社 会(昭和63年3月31日発行)

一 東京工大の調査から

 東京工業大学教授宮城音弥は、昭和三七年頃から地方民気質―県民性―古くは藩民性―に観点をおき、国民性をむしろそうした地方民性の集積と考えて、その分析を東京工業大学心理学研究室を中心に広汎に行った。
 ここでは従来いいならされた、例えば甲州人はがめつく、信州人はりくつや、土佐人は骨っぽく、浪速人は金もうけがうまい、肥後人は粘っこい等は、果たして真実であろうか、それとも根拠のないものであろうか。一体そうした県民性というものが本当にあるのかないのか。多くの県民が同じような性格をもつとき、それを県民性といえば、それはモーダル・パースナリティ(最頻性格)といわれるものであろうが、それは生まれつきか、環境のなせる業か、そういった疑問にメスを入れるため、遺伝と環境と時代を変数として、それらの要因とその交錯についての分析を試みたものである。
 調査では先ず遺伝を課題として、生物学的条件にもとづく気質の分類を、クレッチマーの気質三類型、つまり分裂型気質、躁うつ型気質、てんかん型気質の三つと、気質を土台として生まれて間もなく形成されてくる狭義の性格、これを強気、勝気、弱気の三つに分け、この二つの側面からそれぞれの土地の性格を考察しようとしている。

 気質性格の類型

 ここで宮城にしたがってこれら気質と性格の大よその映像を示しておこう。
 分裂質の特徴は周囲との聞の接触を断ち切る点にあり、したがって冷たい感じがその根幹である。一般的には非社交的で内気で変わりもの、キマジメであるが、敏感と鈍感が同在して、敏感の時は神経質で気が小さく、恥ずかしがりで興奮し易いが、鈍感の時は従順であるが、はきはきしない傾向をもつ。
 この敏感と鈍感の混合の状態で次の六種の具体像が浮かぶという(1) 超然型(貴族型)―よそよそしくて冷たい。(2) 夢想型―空想に生きる。(3) 理想家型―きまじめでがんこ。(4) 独善型―他人の感情を考えない。(5) 不満型―周囲に不平をぶちまける。(6) 鈍重型―お人よし。
 この分裂質の気質は、宮城の調査の結果では日本列島の沿岸および東北地方に分布しているという。下図のように暖流及び寒流の洗う沿岸地方である。
 次に躁うつ質の特徴は人と人との間にヘダテをおかない性格で、一般には、社交的、親切、善良、温和であるが、同じ人間で気分が波を画いて変化し、陽気で活発、ユーモアに富み、おしゃべりになる高揚期と、反対に陰気で、もの静かで、気弱になる低落期とが交代する。そして次の四つの型が区別されるという。(1) 陽気型―朗らかで頭の回転がよく、生き生きしている。(2) 活動家型―よく働き仕事を楽しむ。(3) 温和型―もの静かで気嫌よいタイプと、ユーモアに富むタイプとがある。(4) 陰気型―内向的で不安で憂うつに傾く。
 躁うつ型は前図3-3のように畿内から瀬戸内海沿岸、九州南端、そして北は能登半島に達しているという。ところが同じ躁うつ気質が中部・関東の内陸部・北海道にも見られると報告している。
 つづいて、てんかん質の特徴は、かたい、几帳面、ていねい、いんぎん、怒りっぽいで、前二つは全般に通ずるもの、中二つは自己抑制時、後の一つは抑制結果の爆発時に見られる。
 この気質は前二者のような一定の分布を示さず、局地的であるという。その状況は図3-4の通りである。
 次は狭義の性格について、
 強気の人間は我が強く、自信満々で他罰傾向である。これには闘争型と、理想追及型がある。前者は妥協を考えない負けず嫌い、後者は他人との闘争を考えず、目的追求に熱情を示す型である。
 勝気の人間は自己本位で虚栄心が強く、自分を実際以上に見せようとして背伸びする。
 弱気の人間は常に不完全感情をもって、不安におびやかされ、劣等感を抱きやすい。そして事が起こると自罰傾向に走るという。
 宮城はこれら三性格類型の原因を、分裂質と躁うつ質に結びつけて考察しているが、細かい点は省略する。大よその見当として勝気はユンクの外向性、弱気は同じく内向性とみなしてこれによって測定した外向、内向と、分裂質、躁うつ質の組み合わせを日本の各地域で調べた結果は次の表3-9のごとくである。これによると愛媛県は内向躁うつ型の地域となっている。

 気質の固定と調査法

 さてわが国で地域的に性格が固定しやすい原因の一つは、血族結婚が異常に多いからであると宮城は指摘している。欧米では、いとこ、いとこ半、またいとこ(四等親、五等親、六等親)の間の結婚は一〇〇組中一組以下であるが、日本では大都市でも五~七組、農漁村では一二~一八組もあり、さらに小さい村や漁村では二二、ずっと辺地にゆくと、ときには三〇~四〇以上の近親結婚がある。
 その原因は家族意識の強さからくるもので、財産を他人に渡したくない、親族をふやしたくない、お互いに気心が知れてトラブルが少なくてすむ、お互いに欠点も承知の上で結婚がしたい、冠婚葬祭に見えをはらないですむ等が指摘されているが、こうした血族結婚が生物学的にある傾向をある地域に強めていると考えられる。そこでこの調査では先ず生まれつきの気質をとらえ、ついで性格判定をする訳であるが、ともにその土地生えぬきの人―長期間他府県に出たことのない人を選んで、気質ではその人に兄弟姉妹の一人の気質を判定させ、性格ではその人を各地の国立大学心理学研究の学生に判定させている。(全体の人数は各県一〇〇名前後である)
 気質判定のテストは前述の気質、性格六類型の調査票により、性格判定は三五対の形容詞による五段階評定(SD法と同じ型式であるが、多次元評定法と呼んでいる。)を用い、社会的態度等が考慮され、しかもことばの上から、いわゆる県人についてのイメージや、ステレオタイプが表出されるように工夫されている。
 中・四国の調査は、昭和三八年四月二〇日から二七日の間に行われているが、気質・性格類型の基本資料は表3-10の通りで、数値が多い程その傾向が強いことを示す。

 気質調査の結果

 これを見ると愛媛は躁うつ型がかなり強いことがわかる。しかしてんかん質もある程度現れ、性格では強気が顕著である。
 前出の各気質の分布地図は、それぞれの気質の傾向をその県の生えぬきの人びとが示していることを物語るものではあるが、必ずしもその県にそれぞれの気質の人が多い訳ではないと宮城は指摘している。愛媛県・香川県は躁うつ質地帯でもあり、また躁うつ質の人びとの多い県でもあるというが、これに対し高知県・徳島県は、分裂質地帯ではあるが、分裂質の多い県ではないという。
 分裂質や、躁うつ質の多い県を次に示して見る。前出の分布図と多少違っていることがわかろう。

 性格特性調査の結果

 つぎに多次元評定の票と、この調査の結果の四国四県の数値及び愛媛県と比較のために東京都のプロフィルを示して見る。
 この評定結果から四国四県の相互相関を求めてみると、〇・九四~〇・九七の間でほぼ一致していることがわかる。
 愛媛県では、勤勉、忍耐強い、親切、正直、礼儀正しい、粘り強い、規律正しい、等に高く出ているが、東京都との間にも、地味―派手、素朴な―すれた、情に厚い―薄情な、等かなりの差を見せてはいるが、柔弱―豪放、無骨な―繊細な、堅実な―たよりない等については殆ど差がない。一般的に愛媛は保守的で、比較的旧道徳的価値への指向がつよいが、案に相違して島国的でもなく、こせこせすることもなく、無骨でもないと出ている。
 宮城はこうした調査の結果から、愛媛県の県民は「躁うつ質で強気、特性として正直、素朴、情に厚い、しっと深い、情熱的でない、くじけやすい、従順、話下手」をあげ、さらに躁うつ質のほとんどすべてのタイプの見本を提供するという。すなわち愛媛県の東予地区(新居浜・今治市などを中心とする地域)には「活動家型」の躁うつ質が多く、松山市を中心とする中予には「温和型」ときに「陰気型」が分布し、南予(旧大洲藩以南の宇和島・八幡浜などを中心とする地域)には「陽気型」が見られる、として前出の朝日新聞「新人国記」を引用し、これは象徴的に愛媛の県民性を表したものであるとしている。
 愛媛南部の陽気型の躁うつ質は獅子文六の「てんやわんや」の人物にあらわれているような性格である。しかし黒潮沿岸分裂質帯に近接しているため、まれには、その混入によって土佐に似た強気の性格が生まれ、我の強い執念の人間が生まれる、として大津事件時身をもって憲法を護った宇和島出身の児島惟謙を例示している。
 この妥協を排した強気は、躁うつ質の人間にないわけではないとしても、まれなことであって、分裂質の要素をもっていたと認めるのが自然であろうと述べている。
 東予は活動家型で畿内の商人等と同じ型とし、中予の温和型は俳句の温床となるが、温和型といっても活動的なところもあり、積極的な側面をもつこともあるとして、高浜虚子の温和型と、正岡子規の活動型に近い温和型をその典型としてあげている。
 子規は松山中学時代に自由民権思想に共鳴したが、高知の幸徳秋水や山口の河上肇のような熱情的な実践家にはならなかった。また哲学を志しても、イギリス経験論に傾き、分裂質の人間の好むドイツ観念論ではなかった。
 彼は躁うつ質特有の社交家であり、旅行好きであり、病身にもかかわらず事業家としても活躍した。政治家的で野心家であったといわれるのは、その気質が躁うつ質であり、活動型の素質をもっていたためであろう。しかし病気の進行した晩年には悲観的になっているところを見ると、うつ状態も示したといえようと述べている。
 子規に対して高浜虚子は、はるかに温和型であったが、俳諧の世界に生きながら世俗を超越しなかったのは、やはり躁うつ質的で、豊かな人間関係を醸成するのに長けていたという。しかし時には躁状態を示すこともあり、「自分は芭蕉でもなければ蕪村でもなく虚子である。」というような自信のある発言もあったという。
 一般に俳人には躁うつ質への傾向があって、人間関係がうまくゆくものが多い。温和な躁うつ質が俳人たるの資格の一つであるならば、愛媛のこの地域に俳人が圧倒的に多いのは、たんなる歴史的偶然だけではないであろうと結論づけている。

図3-3 分裂質と躁うつ質各地帯分布

図3-3 分裂質と躁うつ質各地帯分布


図3-4 てんかん質の分布地域

図3-4 てんかん質の分布地域


表3-9 気質の組合せと地域

表3-9 気質の組合せと地域


表3-10 四国地方、性格類型(昭和38年4月)

表3-10 四国地方、性格類型(昭和38年4月)


図3-5 分裂質者数の多い県

図3-5 分裂質者数の多い県


図3-6 躁うつ質者数の多い県

図3-6 躁うつ質者数の多い県


表3-11 四国地方、多次元評定の中央値

表3-11 四国地方、多次元評定の中央値


図3-7 多次元評定

図3-7 多次元評定