データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 社会経済5 社 会(昭和63年3月31日発行)

第二節 県民性をどうとらえるか

 県民性を上述のように多くの県民に共通で、他県民に比べて特色がある独自の特性であるとすると、それは時代を通じてある程度安定し、もし変化があるとすればその方向にも特徴が見られるような県民の特性であると一応定義する。特性とは人びとの意識、価値観等を含んだ情意的行動傾向であって、気質とか性格といわれるものである。よく町人気質、職人気質、学生気質等として用いられる「かたぎ」というのも共通性があると考えられる。
 一般には気質・性格は余り区別して用いられていないが、心理学では前者は比較的遺伝傾向の強い情意傾向を指し、先天的で体質や体格つまり生理的特質とも関係の深い特質を含んでおり、よく知られたクレッチマーの類型は気質類型といわれ、昭和四三年宮城音弥が行った日本人の性格調査は、この類型を基本として実施され、その結果を日本人の気質地図として報告されたものである。
 気質に対して性格はむしろ気質の上位概念で、遺伝形質を基盤として生活経験や、社会的働きかけによって後天的に形成されたものも含めた概念とされている。人びとの多くの行動傾向は性格によることが考えられ、有名なユンクの類型である内向性、外向性は性格類型の一つと見られている。
 人格またはパーソナリティはさらにそれらの上位概念で、内包的には性格の上に身体的特質や、知能等の能力的な傾向も加えて人間の統合的で統一された全傾向を現す概念である。人格という言葉は日本では価値観を加味して使用されることもあるが、心理学ではそれを考えない。文化価値への指向を示す程度を基準に類型化されたシュプランガーのそれは、人格類型とされている。「人柄」とか「人となり」というのもこれに当たる。
 心理学が行ってきたそれらへの追求の手法は二方向あり、一つは上に述べたような類型化で、共通の特質をある程度示す人びとのグループをいくつか仮想する方法である。個人の全体像をとらえ、これを他人にも理解させるにはこの方法は勝れていると考えられるが、現実の人びとは、それらの類型に必ずしもそのまま当てはまらない場合があり、多くは中間型もしくは混合型と判定されること、また人類のすべてを少数の類型にはめこむこともこの論の難点である。しかし多くの先覚者が色々の観点からこれまでに種々の類型論を展開している。
 第二の方法は特性論といわれ、上述のような各類型に含まれる気質や性格を表明する個々の特質をばらばらにして、それらの中重複した内容は廃棄し、間隙があれば新しい特質を探索して埋め、特質を示すに必要にして充分な指標を摘出する。これらを特性といいそれらの中から個人に特有の気質や性格を描き出す最適の組合わせを構成し、合わせてそれらの各特質を示す程度を定められた尺度によって付加して、個々人の人間像を表出理解しようとするものである。この場合尺度の多くは工夫された気質、性格検査を多数の見本に実施した結果の、集団内のそれぞれの個人の位置によって作られることが多い。
 今日多くの気質・性格の研究はこの特性論によっているが、気質・性格そのものもこのようなテストの結果の統計手法による高度の分析結果から、その本質が深められ、その要因が解析されている上、テスト自体もその結果精度が増し深化されるのが実情である。
 こうした気質・性格テストの多くは質問紙法が用いられているが、それには回答者の判断による屈折をさけることが困難で、その防止のために回答者の深層の投影を用いる方法が考案されている。未分化・非構造な図形の知覚内容から判定するロールシャッハ法や、絵を見せることから、その中にある内容について過去・現在・未来に亘る想像的物語りを構成させて、内的欲求や、人間関係の指向を推察しようとする主題統覚検査(TAT)はこれに類する。
 その他の把握法としては行動観察があり、日常生活場面の標準的な行動をチェックし、それらの集積によって判定するものであるが、これにも観察者の主観の介入があり、それによるひずみを修正する方策も提唱されている。
 しかし個々人の本当の理解は、長期間一緒に行動することによって肌で理解する以外完壁は期し難い。文化人類学で提唱されている「参加観察法」はこれに当たるが、これによっても、長年かかりながら見落される性格の片鱗はやはり存在する。
 人は常態では衣を着てホンネを現さないことが多いが、緊急事態に遭遇すると、とっさに隠しきれないものである。そのような臨界状況における観察もまた真相を見る機会の一つである。
 さて本稿の課題である明治期以後の県民性について、それは時代と共に変化しているが、それともある範囲内で安定しているか、変化していればそれが歴史を形成し、また変化なく一貫したものがあれば、それもまた歴史であろう。事実はある部分は余り変化なく、周辺部においてある程度の変化が見られるものと予想される。
 歴史としても、心理学としてもその典拠は客観的であるべきはいうまでもない。心理学で客観性を問う場合は一般に公共性を問題にするために、ある量的資料を求められることが多い。調査・テスト・観察結果の資料はそのような性質をもつものである。今日での多くの国民性・県民性の資料はそのような種類のものであって、その意味で妥当とされている。しかし太平洋戦争以前にはそのような性質の資料はほとんどない。当時は気質とか性格を測定すること自体禁止の対象でもあった。
 そこで本稿で明治期・大正期では庶民生活史・紀行文・文学作品・役人の視察報告・官庁の通達・新聞記事その他明らかに歴史上の事実と認められてきた出来事等を材料として、その内にひそむ心性を推測することとした。昭和期に入っては国家的思想指導が明確さを加えた中で、明治・大正期の流れをそう大きく変更できなかった部面もあるものの、すでに文明開化期より半世紀を経て、それぞれ地方独得の性格形成が芽を吹き、その中で比較的客観的に、広汎に県人を観察していたと思われる人びとの、残されたことばや、記述等によって推定する方法をとった。人によってはこれらの発言の偏見さを指摘すると思われるが、それ以外の資料を把握出来なかったのが実情である。
 戦後については各研究所・大学・新聞社・NHK・教育委員会等の幅広い調査がかなり存在し、それらの調査年次を追うことによってその変遷の、または安定の情況を、先の意味の客観性をもって写像できるのではないかと考えている。しかしここに現れてくる多くの数値が、どこまで質化されるかは問題である。