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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

第七節 その他の地域の工業用水道事業

 本県の主な工業地帯を形成する東・中予地域の工業用水及び工業用水道事業については、前述のとおりであるが、その他に経済成長期には県内各地に工場の新・増設がみられ、それらに対する工業用水の安定した供給を図るため、菊間町・長浜町・大洲市で公共による工業用水道が相次いで建設されている。

 菊間町工業用水道事業

 昭和一三年(一九三八)から菊間町で操業を続けている太陽石油㈱菊間製油所は、昭和三〇年代後半より規模拡大が進み、企業独自での工業用水確保が限界となった。また地場産業の、いぶし瓦・スレート瓦・コンクリートブロック製造業も企業集約化の方向にある。昭和四一年(一九六六)三月これらの企業を需要先とし、菊関川下流に取水能力二、四二〇立方メートル/日、給水能力二、二〇〇立方メートル/日の工業用水道が建設された。
 施設の概要は、菊間川の表流水を水源として、同河川敷内に取水桝を設置し、一二四メートル下流の沈澱池を経て、受水槽より二系統の送水管で給水している(表用2―11・図用2―9)。

 長浜町工業用水道事業

 長浜町は、県都松山市より西へ約四〇キロメートル、県下最大の流量を有する肱川の河口扇状地に市街地が開けた町である。昭和四七年(一九七二)、第一次臨海工業開発事業により晴海工業団地に三二社が立地し、外資系(仏)の昭和サボア㈱のほか木材木製品・食品加工・土石製品などの地元企業がある。その工業用水使用状況は、同四九年日量約二、〇〇〇立方メートルであるが、水源は上水道・伏流水・井戸水に依存している。
 しかしこれら各企業の新増設計画に対応し、新規工業用水の開発を必要とし、当町では肱川支流大和川の伏流水を水源とした深井戸方式による、日量七、〇〇〇立方メートルの工業用水道施設を昭和四八年に完成、翌四九年より供給を開始した。しかし一部企業の進出計画の中止などにより約四、〇〇〇立方メートルの供給過剰となっている。
 施設は、大和川を水源とし右岸に取水井三か所を設置し、各工場受水槽へ径二〇〇~三〇〇ミリメートルの配水管で送水、取水から受水までを町役場の制御盤によって給水している(表用2―12・図用2―10)。

 大洲市工業用水道事業

 工業立地の少ない大洲市は、農業基盤の整備と相まって、農業近代化によって生じる農家の余剰労働力を吸収するため、昭和三五年(一九六〇)三月、大洲市工場誘致条例を制定し、その第一号として松下寿電子工業㈱を誘致した。この企業は日量一、三五〇立方メートルの工業用水を必要とし、このため先に農業基盤整備に伴う農業用水のための肱川本流の伏流水を水源とした集水井による取水施設(既設)と併設した施設を整備し、同五〇年四月より給水を開始した。
 この工業用水道は、日量二、〇〇〇立方メートルの能力を有し、その施設は、一級河川肱川本流の伏流水を水源とし、集水井二か所より導水管に導き、取水井から水中ポンプにて延長一、二六〇メートルの配水管で各企業の受水槽へ送水している(表用2―13・図用2―11)。

表用2-11 菊間町工業用水道藷元

表用2-11 菊間町工業用水道藷元


図用2-9 菊間町工業用水道事業概要図

図用2-9 菊間町工業用水道事業概要図


表用2-12 長浜町工業用水道藷元

表用2-12 長浜町工業用水道藷元


図用2-10 図用2-10 長浜町工業用水道事業概要図

図用2-10 図用2-10 長浜町工業用水道事業概要図


表用2-13 大洲市工業用水道諸元

表用2-13 大洲市工業用水道諸元


図用2-11 大洲市工業用水道事業概要図

図用2-11 大洲市工業用水道事業概要図