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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

四 松山市工業用水道事業

 創 設

 昭和一八年(一九四三)、丸善石油㈱松山油槽所が大可賀に創設され、軍用石油の精製用水の確保に迫られ、上水道水源と共同で水源の探求に努力した結果、東垣生の重信川水源に決定、上水道用水二万〇、四七七立方メートル/日、工業用水四万八、一二五立方メートル/日の水利権を獲得した。昭和一九年主務省の認可を受け工事に着手、上水道・工業用水共同の集水管を埋設、送水管の布設を開始したが、工事途中で終戦のため中止。昭和二六年に至り大阪曹達㈱松山工場の誘致が決定、丸善石油も操業を再開し、同二七年四月集水施設及びポンプ施設の完備を図るとともに配水管布設工事に着手し、同年八月竣工直ちに給水を開始した。

 第一次拡張事業

 昭和二九年一月、帝人松山工場の誘致が決定、同年一〇月操業開始。丸善石油も石油化学製品の生産を開始、それらの需要水量が増加したため第一次拡張を計画、同二九年五月集水管延長、ポンプ増強、配水管の布設に着手三四年四月竣工。この結果四万八、〇〇〇立方メートル/日の給水が可能となった。

 第二次拡張事業

 昭和三三、三四年度の渇水期における垣生水源の取水実績は、三万立方メートル/日と当初計画水量をはるかに下回っており、一方丸善石油は石油化学製品を、帝人は化学繊維をそれぞれ新しく拡張生産しその需量水量は逐年増加、これに対処するため第二次拡張事業を計画、余戸・垣生両地区にわたり、さく井八井を設置、一万立方メートル/日を取水、また浮穴地区かきつばた泉に集水管を埋設四万一、三〇〇立方メートル/日を取水、計五万一、三〇〇立方メートル/日を導水管で垣生水源地へ導水する工事を昭和三四年四月に着工、同三六年八月竣工。本工事により既設垣生水源分と合わせ計八万一、三〇〇立方メートル/日の給水能力となった。

 第三次拡張事業 

 昭和三七年(一九六二)度ごろから第二帝人松山工場の誘致が計画され、さらに帝人、丸善石油などの需要水量の急増が予想され、この用水確保のため第三次拡張事業を計画、市の坪地先のえんこ渕一万一、〇〇〇立方メートル/日と保免の長泉二万三、〇〇〇立方メートル/日を水源とし計三万四、〇〇〇立方メートル/日を垣生水源地へ導入、配水池とポンプの増設を行う工事を同三六年一二月着手、三七年五月竣工した。本工事の完成により全体として、工業用水一一万五、三〇〇立方メートル/日の給水が可能となった。

 第四次拡張事業 

本事業は、昭和四四年八月に帝人愛媛工場(ハーキュレスを含む)が松山市に進出することが決定し、四万立方メートル/日の用水を使用することとなった。また丸善石油松山製油所の拡張により一万立方メートル/日の増量が必要とされ、合計五万立方メートル/日の工業用水を確保しようとするものである。この水源として重信川周辺に浅井戸一一か所、深井戸二か所を設置してこの五万立方メートル/日を給水する計画で、同四四年九月計画、総事業費六億〇、四〇〇万円で四五年一月から着工、四七年三月全施設が完成した。

表用2-9 松山市水道拡張事業一覧表 1

表用2-9 松山市水道拡張事業一覧表 1


表用2-9 松山市水道拡張事業一覧表 2

表用2-9 松山市水道拡張事業一覧表 2