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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

第一節 工業用水

 産業と水

 「産業の血液」とも言われている工業用水は、主に製造業に必要な水で、用水の水源は淡水と海水に大別される。水源の種類は、公共水道(工業用水道・上水道)・地表水・伏流水・井戸水・その他で、以上を補給水と言い回収水と区別される。
 その用途は、ボイラー用・原料用・製品処理及び洗浄用・冷却用・温調用・その他である。
 この工業用水は、第二次大戦前はわが国の工業、特に重化学工業が未成熟であったこともありその需要は一般に小さく、通常上水道の利用とか井戸水や付近伏流水から各工場が単独で用水を汲み上げ、これによって容易に工業用水が確保されていたため、一部の地帯を除いては、あまり社会問題化することはなかった。
 この事情は、本県も同様で専用の工業用水道事業は、わずかに戦時中昭和一九年(一九四四)に、松山市が同市大可賀の工業地帯へ供給するため着工(但し給水開始はなお約一〇年後となる)したものがただ一つあるのみである。
 その後、昭和三〇年代後半、経済の高度成長期の、産業構造の変化(重化学工業化=多量用水型)と規模の拡大は、かつてない程の大量の工業用水を必要としてきた。この間、わが国の主要な工業地帯では工業用水の地下水の過剰汲み上げなどによって、地盤沈下や海水の侵入が進行した。このため、それらの地域の地下水汲み上げを規制する「工業用水法」が昭和三一年(一九五六)六月成立し、さらに工業用水の需要急増のため昭和三三年「工業用水道事業法」が制定をみ、工業基盤整備のため公共の工業用水道事業が各地で積極的に建設されるようになった。

 本県工業用水の需給

 戦前の本県工業は、主として県外資本系の各地の紡績工場や新居浜市の住友関係工場などを中核とし、他は繊維関連工場、小規模の機械工場、食品工場などが散在していた。従って工業用水の需要もそれほど多量でなく、通常各工場敷地内での地下水(井戸水)汲み上げなどによって、所要用水が容易に確保されてきた(一部の地帯を除く)。
 戦後、特に昭和三〇年(一九五五)後半は本県にも合成繊維工場の進出拡張、製紙・パルプ工場の新増設などが相次ぎ、東・中予地域の臨海部に立地してきた。これらの多くの業種は多量用水消費型とされているものである。
 しかし本県の自然条件―地形や気象など―は、水政特に水の供給(水源)の面からは、必ずしも恵まれたものではなく、地形は峻勾配が海岸線まで張り出し、平野や水系は狭小で、加えて本県の主要大型工場が集中している東・中予は、わが国での寡雨地帯の一つである瀬戸内海沿岸に位置し、さらに県内の主要河川のあるものは徳島県や高知県に注がれている。
 このため戦前から(工業用水が新規需要として本格的に水利秩序に参入する以前)、各地域は既存の農業用水などの水利権の稠密なな網の目でカバーされており、それらの水利慣行権や水利権をめぐる深刻な紛争、水争いが各所で発生をみている。さらに戦後、人口の都市集中と生活様式の変化は多量の都市用水(家事用水・業務用水・官公署学校用水など)を需要するようになった。
 それ故、本県の利水環境は、他の多くの府県と同様に、新規需要参入者としての工業用水の取水にはそれ相当の摩擦の発生は避けられない。河川表流水よりの取水は既得水利権と競合を起こし、新規水源開発としての多目的ダムの建設には巨額の公共投資を必要とし、地下水の過剰汲み上げは地盤沈下や地下水利バランスの崩壊、海水の侵入などを惹起する。なお前記の「工業用水法」(地盤沈下などを防止するための法律)の適用を受ける地下水使用規制地域には県内のどの地域も指定されていないし、またこれに関する県内市町村の条例なども制定されていない(昭和五〇年現在)。
 以上のような水利的背景のなかで、本県工業用水の需要と供給が、戦後、如何に推移してきたかを計数によってみることとする(表用2―1愛媛県の工業用水)。
 高度成長期の初期、例えば昭和三七年(一九六二)には工業用水(淡水)の使用量は一日当たり約一〇〇万立方メートル、一〇年後の昭和四七年は約二七〇万立方メートル、次いで五年後の昭和五二年には約三二〇万立方メートルを超えることとなる。従ってこの一五年間に三倍以上の増加である(同じ一五年間に従業者数は一・二倍の伸びである)。
 この工業用水の需要面の特徴は、同時期すなわち昭和三七年は製品処理洗浄用水に約四五万立方メートル/日、冷却用水に約四一万立方メートル/日などに使用されているが、昭和四五年にはそれぞれ七一万立方メートル、二四五万立方メートル/日となり、冷却用水としての使用が著しく増大していることを示しており、これは前述した本県の産業構造の変化と対応している。
 工業用水の供給、すなわち水源よりの特徴は、公共の工業用水道からの供給が大幅に増加し、自家取水の井戸水・伏流水・表流水からの供給が減少ないし頭打ちをみせていることである。これは、多量の工業用水消費時代に入り地下水などからの自家供給では既に量的に対応出来難くなり、また近隣への影響・環境保全・公害などとも無縁ではない。同時に、水は製造原価の中にも入らない程低廉であった時代から、有料の時代に入ってきたことを心意味している。

 本県工業用水道事業

 戦後の急増する工業用水の需要は、① 工業生産には極めて多量の水を必要とし、工業の発展を図りより豊かな国民生活を実現するためには、その基礎条件として工業用水の安定と低廉な供給の確保。② わが国の地盤は、海成沖積層であるため軟弱な所が多く、既存工業地帯では地下水の汲み上げによって地盤沈下を招来している。このような地盤沈下を防止するため地下水依存からの転換水源の提供。③ 水資源の合理的な開発及び使用の促進。
 などのため、工業用水道事業の整備が急務となった。このため、昭和三三年(一九五八)『工業用水道事業法』が成立をみ、その第一条には「この法律は、工業用水道事業の運営を適正かつ合理的ならしめることによって、工業用水の豊富低廉な供給を図り、もって工業の健全な発達に寄与することを目的とする」と明示している。
 本県における工業用水道事業(公共)の建設はこの工業用水道事業法が制定をみる以前より計画・着工されており、その一つは松山市が昭和一九年(一九四四)八月に市単独事業として着工、給水能力一日当たり一万五、〇〇〇立方メートルの工業用水道である(但し給水開始は戦後昭和二七年)。その二つは戦後、川之江地域で銅山川総合開発事業としての柳瀬ダムよりの発電余水の利用といった形で、昭和二八年着工した給水能力一日当たり三万三、〇〇〇立方メートルとする川之江工業水利開発株式会社の工業用水道事業がある。なお、この事業はわが国で初めての地方公共団体によらない会社組織のものである。
 昭和三三年のこの事業法制定以降は、国の補助金や起債枠の裏付けなどもあり、本県においても各地域で工業用水道が施設され、昭和五〇年度現在で、愛媛県下では事業体数一三、総給水能力一日当たり四四万〇、五四〇立方メートルに達する(これらの工業用水道にいては各地域ごとに第二~六節で詳述することとする表用2―2)。
 またこれらの公共的工業用水道以外に、各事業単独のものすなわち自家用工業用水道が一六、その給水能力は一日当たり七八万二、五五八立方メートルである(昭和五〇年度現在)。

表用2-1 愛媛県の工業用水 (1)水源別

表用2-1 愛媛県の工業用水 (1)水源別


表用2-1 愛媛県の工業用水 (2)用途別

表用2-1 愛媛県の工業用水 (2)用途別


表用2-2 愛媛県工業用水道事業一覧

表用2-2 愛媛県工業用水道事業一覧