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愛媛県史 社会経済4 商 工(昭和62年3月31日発行)

四 県内簡易水道など小規模水道

 簡易水道発達の背景

 愛媛県は全般に地形が急峻で、短流・急流の河川が多く、主要な川は吉野川上流の銅山川・仁淀川上流の面河川・渡川上流の三間川などのように他県へ流れている。そのうえ少雨地域で半島や島しょ部が多いため、日照りが続くと飲料水に不自由する地域が多かった。
 しかしこのような状況にもかかわらず、第二次大戦前は宇和島・今治・八幡浜など一部の地域に上水道が敷設されたに過ぎず、水道の普及は全国的にみて大幅に遅れていた。たまたま昭和二一年(一九四六)一二月に起こった南海地震により、県下の広範囲にわたって地盤が沈下し、井戸水の枯渇や塩害などの被害が広がった。そのため海岸部を中心に簡易水道(給水人口一○一人以上五、〇〇〇人以下)敷設の要望が高まった。政府はその対策として昭和二五年、「地盤沈下対策簡易水道新設補助金制度」を設け、四国四県など被害県を対象に二分の一の国庫補助金を交付することとしたので、県内海岸部、島しょ部の農山漁村を中心に簡易水道の敷設が盛んに行われることとなった。さらに昭和二七年度からは、防疫対策として簡易水道施設整備事業が制度化され、四分の一の補助率で国庫補助金を交付し、それに伴う起債も自動的に認められることとなったので、建設は一層促進された。その結果、昭和二九年度末までに県下で二三〇か所の簡易水道が完成した。

 補助金による簡易水道の建設促進

 昭和三〇年以降も県内簡易水道の建設は、ますます盛んに進められ、年々充実していったが、それは国・県の積極的な補助金投入によるところが大きい。すなわち昭和三〇年度から同五九年度までの三〇年間に国庫補助事業として、県内で七〇八か所の事業が実施され、国費八五億八、四九一万円、県費三〇億二、九一九万円の補助金が投入された(表公2-4)。さらにこれとは別に、県単独でも補助制度を設け、表公2-5に示したように、同じく三〇年間に八六三か所に対して二三億二、六二六万円の県補助金を交付し、県内簡易水道の伸展に努めた。

 簡易水道の普及と統合

 ここで県内簡易水道の普及率の推移を見ることにする。県内簡易水道の給水人口は昭和三〇年度末の一六万九、○○○人から年々増加し、三五年度には三〇万人台を数えたが、その後は四五年度まで横ばいの状態で推移した(表公2-6)。しかし五〇年度には三〇万人台を割り、その後も年々減少傾向を続け、五八年度には二四万人弱にまで減少した。また簡易水道普及率(簡易水道給水人口/県人口)を見ると、昭和三〇年度の一一%から急上昇を続け、三五年度には二〇%台にのせ、その後も四五年度までは二〇%強の水準で強含みに推移した。しかし五〇年度には一九・九%と二〇%を切り、その後も減少を続けた。一方上水道の普及は、昭和三〇年代は低かったが、四〇年度以降市部をはじめ県下全域にわたって急速に進み(表公2-1参照)、逆に簡易水道の地位は次第に低下するに至った。すなわち県内全水道給水人口に占める簡易水道の割合(表公2-6)は、昭和三〇年度五四・八%、三五年度五六%と過半数を占めていたが、四〇年度三四・三%、五五年度二〇・一%と急速に低下を続け、五八年度には一八・一%にまで減少した。ちなみに五六年度末の水道普及率を見ると(表公2-2)、簡易水道の一六・四%に対して上水道は六八・八%とこれを大きく上回り、簡易水道の地位は著しく低下し、上水道が県内水道の主体を占めるに至った。また簡易水道事業所数の推移(『愛媛県史資料編社会経済下』公益参照)を見ても、昭和四一年度の四八〇か所をピークに減少を続け、五八年度には三六五か所にまで低下した。
 このように簡易水道の地位が低下しだのは、その意義が失われたということではなく、次のような事情によるものである。本県は水資源に乏しく狭あいな海岸、山間部や島しょ部が多く、そこに自然発生的に多数の町や集落が形成された。従って初めから広域対象の完備された上水道を敷設することは困難で、小規模多数の簡易水道が部落単位に造られた。その後、次第にその効率化が図られ、大量水源の確保や簡易水道の集合・統合などによって、上水道が新設拡大されていったのである。このように県下の簡易水道は、飲料水施設として水道の普及に先駆者的役割を果たして来たのであり、特に大規模水源に恵まれない離島・海岸・山間地域にあって、簡便迅速に生活用水を確保してきた意義は高く評価されなければならない。

 専用水道と条例水道

 水道法の対象となる事業は、「水道事業」・「簡易水道事業」・「水道用水供給事業」及び「専用水道」に分かれ、いずれも厚生大臣の指導・監督を受けることと定められているが、給水人口が一〇〇人以下である水道は除かれる。
 このうち「専用水道」とは、寄宿舎・社宅・療養所などにあって設置者が一〇〇人を超えるものにその居住に必要な水を供給するものである。その事業所数などの推移は、『愛媛県史資料編下』に示したが、昭和五五年度~五九年度の施設数・給水量・給水人口は表公2-7のとおりである。給水人口の推移は、昭和四〇年度の四万五、〇〇〇人から五九年度には二万〇、七八〇人にまで減少した。
 また給水人口一○○人以下のものについては、国の指導監督の対象外であるため、特殊な目的のために設置される一〇〇人以下の小規模水道の敷設及び管理を適正に行い、公衆衛生の向上を図るため愛媛県では、昭和三八年七月、「愛媛県水道条例」(『愛媛県史資料編社会経済下』公益参照)を制定して、事業の適正化に努めている。その対象となるものは同条例において、「導管及びその他の工作物により五〇人以上の者に飲料水を供給する施設の総体であって水道法(昭和三二年法律第一七七号)によらないものをいう」と定められている。具体的には、山間へき地などの極く小規模なものや、学校など非常住者に給水する施設などを対象としている。昭和五五~五九年度の県内条例水道の概要は、表公2-7に示したとおりで、施設数は多いが給水量・給水人口は極く少ないものである。

表公2-3 上水道事業所の概要

表公2-3 上水道事業所の概要


表公2-4 簡易水道国庫補助事業実績

表公2-4 簡易水道国庫補助事業実績


表公2-5 簡易水道県単独補助事業実績

表公2-5 簡易水道県単独補助事業実績


表公2-6 簡易水道普及率の推移

表公2-6 簡易水道普及率の推移


表公2-7 専用水道・条例水道の事業規模

表公2-7 専用水道・条例水道の事業規模