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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

六 公営バス事業

 公営バス事業の現況

 昭和五八年三月現在、県内における公営(市町村営)バス事業者の状況は表交2―29のとおりである。いずれも離島町村で、民営バス事業が採算上の理由などから参入しない地域である。また、事業開始の時期はいずれも昭和三〇年代以降で、モータリゼーションの波が離島にも浸透し始め、島内道路の整備もある程度進捗したことを背景としている。
 うち、中島町における公営バスの歴史をたどってみよう(『中島町誌』昭和四二年)。中島に乗用車が初めて登場したのは昭和二七年(一九五二)であったという。同町の富永忠が三輪車を八人乗りの大型乗用車に改造したものを導入し、ハイヤー営業を始めたのである。三輪車であったのは、道路事情による。また、本来貨物車であったものを八人乗り乗用車に改造したのは、住民の希望が乗合バスにあったからである(営業免許はあくまでもハイヤーであった)。この「バス」は昭和三三年六月一日、中島町営に移管され、新たに購入された一三人乗りマイクロバスも加わって町内各地に路線を延ばし、町内集落の結合を促進し、合併による現在の同町の誕生(昭和三八年)に貢献した。昭和四〇年代に入ると四三人乗りの大型車が使用され始め、同四二年五月には、中島環状道路(主要地方道中島環状線)の全通に伴って、中島本島内一周路線(延長二六・二㎞)の定期運行が開始された。

 公営バスの先駆者

 わが国の公営バス事業は大正一三年(一九二四)の東京市営をもって嚆矢とする。愛媛県においても、実は昭和初年から公営バスが運営されていた。
 今治市は昭和六年(一九三一)六月乗合自動車運輸の免許を得て車両五台を購入、一〇月五日から越智中学校(現在の今治南高校前)~本町一丁目間など四路線で営業を開始した。免許取得に当たって知事に提出した市長名の意見書は「市街地に於ける乗合自動車の運営は市内電車の四通八達せる都市に於ても交通上重要なる関係を有し候処本市の如く膨脹的過程の街区にして現に他の交通機関を有せざるものに在りては特に重要且緊切なる施設なるを以て市はその性質に鑑み市営乗合自動車の設営を目論み………(以下略)」と述べている。今治市営バスの利用客は開業の翌年(昭和七年)の約四七万人からうなぎ登りに増加し、ピーク時の昭和一二年には約一〇六万人に達した(『今治市誌』)。しかし、バス事業者の統合を推進する戦時下の国策に沿って、昭和一七年七月一日、瀬戸内商船(現在の瀬戸内運輸)に営業を譲渡した。
 いまひとつは新居浜市である。昭和六年県道海岸線(西条~垣生。現在の主要地方道壬生川新居浜野田線)の第一期工事として新居浜昭和通りが竣工するなど道路整備が進んできた新居郡において、同八年新居浜町・西条町による事業組合「新居自動車交通組合」が組織された。翌九年免許を得て同一〇年七月から両町間一五・八㎞に乗合バス(定員二四人)四両を配し、一日一五往復を開始した。運輸成績は好調で車両数・便数を増やして「新居バス」の愛称で地元住民に親しまれた。これに続いて同一〇年一二月、新居浜町、金子村及び川東地区四か村、計六か町村組合の「東新自動車交通組合」が組織され、個人バス業者の営業権を買収して一一年八月から営業を開始した。これを「青バス」(車体緑色)と通称し、新居バス(車体黄色)と共に住民に親しまれた。しかし、両組合とも、前述の今治市営バスの場合と同様の事情で、現在の瀬戸内運輸に統合された(昭和一八年八月)。
 ところが新居浜市は戦後の昭和二三年(一九四八)再び市営バス事業を開始する(当初は市内一六・三㎞)。今度は戦前の場合ほど短命ではなかったが、経営収支の悪化などから、昭和四〇年一〇月またも瀬戸内運輸に買収されたのである。戦前のそれとは違った理由によるものであり、自動車時代における公営交通事業経営の困難さを示している。
 南予では八幡浜で市営バスが昭和一三年に営業を開始したが、同一八年統合のため廃止された。
 なお、戦前松山市においても市営バス事業経営の計画があった。昭和一三年の「松山市長事務引継書」に〝市営乗合自動車計画二関スル件″として次のような記述が残っている(『松山市史料集』第一一巻近・現代編3)。
 「乗合自動車経営二関シテハ昭和五年四月三十日市会ノ決議ヲ経テ同年六月二十八日知事二許可申請シタル所翌年三月二十六日電車線トノ併行、道路狭隘、市財政上不利等ノ諸点ヲ示シテ願書却下トナリ(御手洗市長時代)、其後香川、白石両市長時代二於テ路線ノ一部ヲ変更スルト共二相当理由ヲ述べ許可セラレ度旨ヲ以テ再願セシニ、昭和八年十月三十一日法ノ改正二依り許可権ガ鉄道大臣二移リタル理由ノ下二願書返却セラル、昭和九年八月二十九日新法ニ其キ当初計画ノ通出願シタリ、然ルニ伊予鉄電会社、三共社等の共願関係アリテ県二於テモ保留中ノ模様ナルガ、此際既定方針二基キ本事業経営上ノ調査ヲ確立シ一日モ速二之力実現二努カシ以テ交通機関ノ完璧ヲ期スルノ要アリト認メラル」(しかし、結局松山市営バスは実現しなかったこと周知のとおりである)。

表交2-29 公営バス事業者の現況

表交2-29 公営バス事業者の現況