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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

四 工業の地域別構成

 八幡浜・大洲圏の組立型工業の急伸

 市町村内純生産によって、産業全体に占める工業の割合をみると、県全体では工業化率は昭和四五年度の三一・五%から五〇年度には二九・二%、五六年度は二七・三%と低下の一途をたどった。圏域別では、松山圏が一貫して低下し、逆に八幡浜・大洲圏で上昇している。製造品出荷額などの伸びは、四五~五八年の一三年間に、八幡浜・大洲圏が五・二倍と最大で、反対に工業シェアの大きい新居浜・西条圏は二・八倍、松山圏は三・〇倍と伸び悩んだ。とくに、八幡浜・大洲圏の組立型工業が年平均三〇%いう目覚しい成長を遂げた。対照的に新居浜・西条圏と松山圏の素材型は五五~五八年に七%強のマイナス成長で、これにより両圏域の工業は、この期にゼロ成長となった。このように圏域ごとの生産規模の拡大状況は、立地する工業部門の相違によって異なる様相をみせている。
 そこで圏域別の工業部門別構成をみておこう。県全体では素材型が依然として過半を占めるものの縮小傾向にあり、この一三年間に一一ポイント比重を低下させた。一方組立型が六ポイント拡大し、加工型も小幅ながら着実に比重を増大させている。圏域別では、四五年には新居浜・西条圏と松山圏で素材型が七〇%、宇摩圏で素材型八五%、八幡浜・大洲圏は加工型五七%とそれぞれ過半を占めていた。これが、四五~五八年の一三年間に、八幡浜・大洲圏で組立型が七%→三九%と急拡大し、加工型は五七%→三二%へと大幅に縮小した。松山圏では素材型が七二%→四五%と激減し、加工型が一六ポイント拡大した。その他圏域ごとに工業部門構成に著しい変化が生じ、それが工業の盛衰ばかりでなく各地域の経済全体に極めて大きな影響を与えた。