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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

五 離農対策事業


  1 過剰入植地対策

 規模拡大のための対策

 「過剰入植」という用語は、意外に早く、昭和二三年頃からである。農林省開拓局長通達「入植者並び増反者再確認実施に関する件」(昭和二三年四月九日付け二三開局第六六号)の中で「過剰入植については別途整理する方針である」とある。しかしながら、食糧事情が窮迫していた戦後開拓にあっては、土地配分の是正や住宅移転などのほかには、過剰入植状態そのものを解消するための強力な対策を行なうことは困難であった。
 その後、開拓営農振興臨時措置法による第一次振興対策の実施に伴って、過剰入植に対する機運も漸く盛り上がり、昭和三五年に「過剰入植地等対策要綱」(昭和三五年六月二一日付け農地第二三二三号)が農林事務次官通達として施行された。
 この対策のねらいは、戦後の緊急開拓の頃にやむを得ない事情によって過剰に入植したため、一戸当たり土地面積が狭少で、それを拡大しなければ相互に自立が困難である開拓地について、開拓者の一部(二割又は一〇戸以上)を計画的に地域外へ移転せしめ、残留開拓者の土地面積の拡大を図ろうとするものであった。また、立地条件が極度に劣悪な開拓地については、全戸移転を行なうこととした。
 移転の実施に当たっては、県及び市町村が就職の斡旋などの指導を行ない、組合員全員の同意を得たうえで、土地・住宅、家畜などの資産及び負債のすべてを整理して離農することとなっており、移転者には奨励補助金が交付された。
 残留開拓者のうち、振興農家が土地を取得する場合は、特別措置として、登記税・不動産取得税が軽減された。


  2 開拓者離農助成対策
        
 離農者への対策

 昭和三八年度から第二次振興対策が実施され、二類農家(要振興農家)をテコ入れする反面、三類農家(不振農家)の離農を円滑にする措置が必要とされ、過剰入植地対策は、昭和三九年度から新たな構想に立って、「開拓者離農助成対策」(昭和三九年六月九日付け三九農地B第二二三四号(入)農林事務次官通達)へ移行した。
 規模拡大を主眼とする過剰入植地等対策から、不振入植者の離農の円滑化をねらいとする離農助成対策に転換するについては、次のような理由があった。
  ア 営農不振の原因が過剰入植のみではないこと。
  イ 移転者の実態が低所得層に移り、事実上、三類対策(不振農家整理)の性格を持ってきたこと。
  ウ そのため、一戸当たり補助金を増額する必要があること。
  エ 地区内入植者の二割または一〇戸以上が移転するという採択条件を緩和する必要があること。

 そこで、農林省は、当時エネルギー政策転換に伴う石炭産業の合理化のため、炭鉱離職者に相当の援助措置が図られていることと対比し、同じく開拓農家の経営不振の一半の責任は、国が負わなければならないことを強調して、離農補助金が増額された。その積算根拠は、次のとおりであった。
  ア 移転費用として、炭鉱離職者の例に準じて、五人世帯が、五〇~一〇〇㎞移転する場合 八万三〇〇〇円
  イ 離農後の当座の生計費として生活扶助六か月分相当額 九万円
  ウ 着業資金として炭鉱離職者に支給される退職金補填限度額三〇万円
 以上合計額 四七万三、〇〇〇円をもとに四五万円とした。
 本県の実施状況は表3-18のとおりである。

表3-18 開拓者離農対策事業実施状況(愛媛県農地拓殖課監査資料)

表3-18 開拓者離農対策事業実施状況(愛媛県農地拓殖課監査資料)