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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

六 都市疎開就農


 疎開者の開拓

 昭和二〇年七月三〇日、中国・四国・九州の各県農務課長会議が、広島文理科大学で開催された。会議は、第二次世界大戦の激化と深刻化に伴い、都市の過密人口を農村に疎開せしめ、疎開者は開拓農民になれる道を開くよう推進するためのものであった。この「疎開者に対し、開拓地を与える。」これが第二次世界大戦後の国内開拓事業の先鞭であったといえる。
 本県においても、これら疎開者に適地を探し与えるため対策を練っていたが終戦となった。そこで、旧軍用地跡や村々の適地に戦災者・都市疎開者・旧軍人・海外引き揚げ者が一斉に入植し、統制も整理もつかぬままに、われ先にと競って開拓の鍬を入れる地区が続出し、後日経営規模が不適正となり、過剰入植問題を惹起する原因となった。