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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

第一節 全国的開拓の概観と沿革


 開拓の起源

 わが国の開拓の起こりは、遠く弥生式文化の時代にさかのぼって、その起源を見ることができる。この時代のいわゆる氏族は、多くの農奴を使って開拓に従事させ、次第に自己の領域を拡大すると共に、勢力の充実に努め、これが荘園制度に発展した。
 戦国時代以後の藩政下においても、富国富民政策として、常に開拓政策が遂行され、全国各地に干拓・開墾の耕作地造りが行なわれた。明治維新以後においては、士族の授産事業として開拓が提唱され、また、北海道開発のため、屯田兵制度ができ、今日の北海道を築き上げる基礎が造られた。内地でも大正八年には、開墾助成法が施行され、法的に開拓を奨励する基本法が確立された。しかし、当時の政府は、国策上内地開拓より、朝鮮・台湾等いわゆる外地の開発政策に重点が置かれ、昭和六年の満州事変以後には、満州開拓百万戸計画を樹立して、農業恐慌にあえぐ農民の意識を満州移民に向け、激増する農村人口の分散策をとった。
 昭和一二年には、自作農創設維持、補助助成規則が公布され、昭和一三年には農地調整法が公布されたが、実際には、これらを活用して未墾地を強制収用し、自作農を創設した事例は少なかった。
 昭和一五年から第二次世界大戦の拡大激化するに伴い、食糧の統制を実施すると共に、主要食糧の自給計画を立て、農地面積の増加による増産を図るため、開拓の推進に政府も乗り出した。この食糧難時代は、大戦終結後も続き、他方復員軍人・海外引き揚げ者・戦災者等が各地にあふれ、食糧増産と人口収容を目的に、緊急開拓事業へと政策も移行した。