データベース『えひめの記憶』

えひめの記憶 キーワード検索

愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

三 水産学校教育の概要


  1 水産補習科・実業補習学校

 水産補習科

 明治三五年南宇和郡西外海村に県下で初めて水産補習科の附設をみた。その後表11-22のとおり県下に一〇か所の補習学校が附設せられ、水産業発展の基礎を学理のうえに求めるようになり漁業近代化への一歩が踏み出されたのである。

 実業補習学校

 水産知識の普及発達のため各地で講習講話が開催され大いに漁業者への啓発が進められたが、末端まで充分浸透せず大きい成果を収めるには至らなかった。そこで、西宇和郡真穴村大島に県下で初めて小学校に水産に関する実業補習学校が併置せられ、小学校卒業生の水産業従事者に対する知識と技能を伝承することとなった。その後表11-23のとおり順次各地に設立を見、昭和八年現在一八か所を数えるまでになった。この時代は水産学校教育の揺らん期ともいえる時期で、終戦後設立された本格的な水産学校のような教育体制は整っていなかったのである。


  2 水 産 学 校

 沿 革

 水産業界の発展を期するうえで有能な人材の養成が重要課題となり、このため水産に関する専門的な知識と技術を習得させ本業界の中堅指導者を育成する目的で、昭和二〇年四月一二日、愛媛県立水産学校が宇和島市に創立された。同校は漁業科のみの甲種三年制で定員は五○名で発足した。昭和二三年四月一日学制改革により、愛媛県立水産高等学校となり、さらに二四年九月一日高等学校の再編成に伴い、県立宇和島南高等学校水産課程となり、二七年には定員も八〇名に増員せられた。そして昭和三一年四月一日、県立宇和島水産高等学校として独立し、翌三二年度より漁業科(三〇名)、製造科(三〇名)、増殖科(二〇名)の三科が設けられ、水産全般にわたる教育課程が一応整ったのである。その後三四年度には漁業科(三五名)、製造科(三五名)、増殖科(二〇名)の計九〇名に定員が増加せられた。昭和三八年度には前記の科に加え新しく機関科(三五名)が設置せられたのにひきつづき、昭和四二年度には水産増殖科の定員が三五名に増員となった。さらに昭和四四年度には漁業専攻科を専攻科(漁業科、機関科)に変更し、二年制、定員二〇名として今日に至っている。

 施設の概要

 昭和二三年一〇月独立校舎(四四二㎡)が竣工して以来、順次校舎が整備せられ、昭和五八年度現在の概要は左のとおりである。
 校  地   一万二、七七七㎡
 校舎面積     七、九七九㎡
 校  舎  普通教室一二、特別教室四、実習室一八
 運動場       三、三三三㎡

 練習船建造の推移

  昭和二五年  六月 南光丸(五t三〇馬力)
  昭和三一年  四月 南光丸をみずほと改称し、ちどり(二・五t五馬力)建造
  昭和三二年一二月 愛媛丸(二一四t、四五〇馬力)建造
  昭和四四年  七月 えひめ丸(四〇七t、一、〇〇〇馬力)建造
  昭和五六年  七月 えひめ丸(四九六t、一、三〇〇馬力)建造
 以上のほか、昭和五二年三月小型実習船つるしま(一八t)が竣工、五四年二月漁艇いたしま(三・四t)を購入している。

 教育指導目標
① わが国水産業の産業的使命を自覚させ、水産界の中堅人物としての信念と実践力を涵養する。
② 水産人として必要な自律、協同及び勤労の精神をつちかうとともに強力な体力を養い、職業人と
   しての人間育成に努める。
③ 実践体験を基礎として学習意欲を喚起し、自主的に研究する態度を養う。
④ 地域社会との連携を深め、その発展に貢献する豊かな人間性を涵養し個性の伸長に努める。
⑤ 水産教育の振興と水産に関する知識・技術の普及に努め地域の文化向上を図る。

表11-22 水産補習学校(大正元年)

表11-22 水産補習学校(大正元年)


表11-23 水産関係補習学校(昭和8年)

表11-23 水産関係補習学校(昭和8年)


表11-24 歴代校長一覧

表11-24 歴代校長一覧


表11-25 卒業生徒数の推移 1

表11-25 卒業生徒数の推移 1


表11-25 卒業生徒数の推移 2

表11-25 卒業生徒数の推移 2