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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

第三節 削り節の歴史と生産状況


 削り節生産

 削り節は大正二年、広島県福山市の安部和助によって始まったと言われる。郡中(伊予市)米湊の海産物商岡部仁左衛門が商用中、たまたま名古屋で福山産の削り節を見て、製造を思い立ち、名古屋から削り機を購入(伊予市誌)改良を加え、大正五年製造に着手、翌六年には北山崎(伊予市)の網元であった城戸豊吉が、さらに七年には同じく海産物商の明関友市が、いずれも郡中で創業した。
 当時の煮干しイワシは、西宇和郡・温泉郡・伊予郡・喜多郡が中心地で、従って地元に豊富な原料があったことも立地の要因であった。はじめは、手動式・足踏式であったが、漸次動力化されるなど、製造工程や製品の研究改良が進められた。昭和に入って生産量も急増し、これに対応して、南宇和郡の煮干しイリコ・雑節(サバ・イワシなど)の生産が増大することになった。昭和八年調査資料の『愛媛県水産要覧』に、

「近時鰹節ノ代用品トシテ郡中町始メ各地二於テ製造セラレツツアル削節(一名、花鰹)ハ煮乾鰮ヲ主ナル原料トシ、盛二京阪神地方其ノ他二移出セラレ、其ノ生産額侮り難キモノアリ」

とあって、カツオ節の代用品である「花かつお」が、安価で便利な調味食品として、大衆消費者に急速に普及している状況がよく分かる。
 削り節が水産統計に最初に掲載されたのは、戦後生産が再開された翌年の二三年の生産分であった。生産量は、県で一五四t、郡中(伊予市)七六t、松山市六六t、八幡一三tで、外に北条に少々ある。また同年伊予郡のイワシ節・サバ節の生産量は合わせて九九二tで、県全体の九七%を占めていた。削り節業者である明関が原料確保のため一貫企業として深浦でイワシまき網を経営した。
 昭和三五年以降の生産量によると、伊予灘海区の生産量が全体の九五%であったものが、五七年には九九・七%に達し、しかも、伊予灘海区のほとんどは伊予市で生産されているもので、伊予市七、〇二四t、松山六・七tで、その外での生産はない。
 昭和四七~四九年にかけて、パック自動計量充てん機、自動ガス充てん包装機を設置して、「カツオパック」が開発された。このカツオパックの普及によって、製品としてのカツオ節の需要は極度に減少し、カツオパックの原料としてのカツオ節の生産に切り換えられた。近年「だしの素」・「めんつゆ」などの生産も加わり、企業内容はますます多様化することになった。
 昭和五一年、品名規格で原料品を表示することが義務づけられ、従ってカツオ節が原料の「カツオパック」(本枯節が原料)と「花かつお」(花は薄片の意味、カツオ節、ソウダガツオ節を原料)をカツオと表示して、これ以外のサバ・ムロアシ・イワシ等の雑節を原料とするものは「削り節」と表示されることになった。原料のうち力ツオパック用は、九州の枕崎・山川が多く、それに土佐清水など一本釣カツオによって製造されたもので、花かつおの原料は、焼津(カツオまき網による漁獲)・南宇和郡深浦方面からの荒節、削り節の原料のうち、サバ節は静岡県沼津・九州の天草方面から、イワシ節は長崎県五島・南宇和、それにムロアジ節は九州天草・南宇和方面、ソウダカツオ節は深浦から仕入れている。なお一部は南方産のカツオ節も輸入しているが品質は劣っている。
 現在伊予市の生産量(カツオパック、花かつお、削り節を含める)は全国の五〇%を占め、企業別生産量の全国順位は、一位(ヤマキ)、二位(マルトモ)、五位(弥満仁)で上位を独占している。

図9-8 郡別煮干し生産割合(県全体に対する比率)

図9-8 郡別煮干し生産割合(県全体に対する比率)


図9-9 サバ節・イワシ節・削り節生産量

図9-9 サバ節・イワシ節・削り節生産量


表9-8 削り節の生産推移

表9-8 削り節の生産推移